大室先生の告白(1)
「急に誘って悪かったね。こんなおっさんと一緒に飲みたくないだろうけど…。まあ、それはさておき、まずはビールで一杯やりますか?」
あわてて首をふった。大室先生はいきつけの居酒屋につくなり、いきなり変なことを口走った。人を誘っておきながら何だと感じた。
実は大室先生は意外と口が悪いらしい。生徒がそんなことを言っていたような気がする。だから、普段は必要なことしかしゃべらないのかもしれない。余計なことを言わなければ、失言をする心配もない。
「実はね、私もあなたを飲みに誘うつもりなんかなかったんですよ。でも…」
何だ、この人は? これがあの大室先生の本性なのか? 人をおちょくるのも大概にして欲しいものだ。私は貴殿に誘われたから、今ここにいるんですけど…。そう思った所でビールが来たので、とりあえずビールで乾杯した。
「でも、どうしても君に話したいことがあったんだよ」
「話したいことって…。話したいことがあって、一緒に飲みたくないなら、学校で話して下さればいいではないですか。別に学校でも人目を避けて話せる場所はいくらでもありますよ。例えば、今日の学年会の後、他の先生が帰るのを待ってから話せばよかったのではないですか?」
皮肉たっぷりに、でも無礼にならないスレスレのところで「私は今、不愉快です」と表現するのは意外と難しい。でも、それができないとストレスもろくに発散できないのが、下っ端のつらい所であろうか…。
「では、『福井先生、二人で話したいことがあるので、しばらく残って下さい』とさっきの学年会の後、言っていたらどうなったと思いますか?」
こんな大室先生をみたことがない。学校ではいつも仏頂面をしていて、無口なのに…。今はすごく楽しそうにしている。こんなにニコニコしている所を見るのは、間違いなく初めてだと思う。
ビールをグビグビと飲みながら、お通しのたこわさびをおいしそうにつまむ。こんな彼には学校ではまずお目にかかれない。私はビールをチビチビと飲みながら、ぼんやりと考える。
「福井君は素直だから、みんな帰ってしまうと思うでしょう?」
「はい、皆さん疲れているようでしたし、用事がおありでしたからね。さすがに、どこかに隠れて私らの会話を盗み聞きなんかしないと思いますけどね…」
「それが甘い!」
そう言えば、大室先生の口癖は「それが甘い!」だって、誰か言っていたな…。何が甘いのか、よく分からないので、黙って首をかしげた。それを受けて、彼は続けた。
「福井君はついこの間まで、ある女子生徒とのあらぬ関係を疑われた人です。そして、その人が仮にも学年主任から呼び出しを受けるとする。すると、他の教員はそのことで何かあったのではと勝手に思い込みます。すると、そのことが気になって仕方ない人は気配を消してでも、私たちの会話を盗み聞くわけですよ」
満面の笑みを浮かべていた。授業中にこの笑みを浮かべればいいのにと思った。生徒から聞く、彼の評判は「教え方はうまいけど、授業自体は淡々としていてつまらない」とよく聞く。
そりゃそうだ。仏頂面で淡々と授業を進めるからだ。笑顔が足りないのだ。もともと、笑えない人だと思っているので、誰もが諦めていただけである。この笑顔を学校でもふりまけば、それだけでも評判はそれなりによくなるはずである。
「例えば、君が味方だと思っている田村さんと土橋君だが、私が思うにあの二人は君を結構恨んでいるよ」
思わずビールを吹き出しそうになった。薮から棒に何を言い出すのか? 一方で彼の言ったことはそれなりに的を射ているとも感じた。確かに、あの二人にはそれなりに迷惑をかけた。
田村先生に取って磯辺は受け持ちの生徒であり、土橋にとって磯辺は手塩をかけて育てた美術部員である。もし、私がこの学校に赴任しなければ、二人は余計なことに気を使わずにすんだはずだ。そう考えれば、私は恨まれるべき存在かもしれない。
「まさか、そんなことを話すためにここへ私を誘ったんですか?」
ここでも皮肉たっぷりに言ってやった。本当は年配の、しかも自分の上司にあたる人であろう学年主任に対して、このような態度を取りたくないのだ。大室先生がいつもと全然違った行動をするので、どう接したらいいのか全く分からないのである。
もしかしたら、私もいつもと違った行動に出て、この非日常に包まれた空気に染まろうとしていたのかもしれない。
「もちろん、違いますよ。今のは君の質問に答えただけだからね。本当は誰にも話さずに、墓場まで持って行こうと思っていた。でも、今、君に話しておかないと一生後悔することになるだろうと感じた。だから、今日、このような場を作ったわけですよ」
もったいぶらずに早く話してくれと思った。でも、その言葉を飲み込んで、かわりに黙ってうなずくことにした。飲みに誘いたくないけど、どうしても伝えたいことがあると言う人が、一体どんな話をしてくれるのか、それが気になって仕方なかった。




