誰も本心は分からない ☆1
また、嫌なことを思い出してしまった。あれから15年経つのに川口先生とKが真剣に愛し合っていたかどうかなんて、未だに分かりやしない。そんなの結局、主観の問題だから誰にもわからないのである。
ただ一つだけ分かっていることがある。一人の大人が恋愛相手に未成年を選ぶと言うことは、それだけで多大なリスクを負うのだ。それは川口先生の事件でも明らかである。
あの後、彼は執行猶予がついたものの、それなりの刑罰がついたはずである。そして、二度と教育関係の仕事に就けなくなったはずだ。
私は川口先生のようには絶対になりたくないので、磯辺の件に対してはひたすら大人の対応で通している。何百回、何千回と「好きです」と言われても彼女になびくことはないと断言できる。
それが一人の大人の対応であり、一人の教師としての責任であろう。また、少しでもあらぬ誤解を招かぬように、すでに校内の全ての先生に何があったのかきちんと話している。同じ学年の先生たちにはこの問題を解決させるための協力を頂いている。
過去に起きた過ちを学ぶのは、今同じ過ちをくり返されないようにするためである。もし、同じ過ちを何度もくり返すようなら、それは過去に起きた過ちから何も学んでいないのだ。そう言う人は社会と言う学問を何のために学ぶのかよく分かっていないのだと思う。
私が社会の先生として、社会を教えている以上、そのことをしっかりと生徒に伝えていかないといけない。そんな思いが突然、胸に沸いた。
それはとても熱いものであった。そのおかげで何とも言えない嫌な思いを吹き払うことができた。うじうじ悩んでも仕方ない。
さて、この調子で次のクラスの授業も頑張ろう。そんな気持ちで授業に臨めるのはかなり久々のことである。
結局のところ、社会は自分の意志だけで動いているものではなく、さまざまな人々の意思が生み出す相互作用の産物である。
つまり、自分の思い通りになることよりも、なるようにしかならないことの方がはるかに多いのである。歴史を学んでも「過ちをくり返してはいけない」と思う人が少なければ、過ちは再びくり返されるだろう。こればっかりは教育だけではどうにもならないことである。
「福井先生、最近はどうですか?」
廊下を歩いていると、突然、学年主任の大室先生に尋ねられて、戸惑いを隠せなかった。この先生はいつも意表をついてくるところがある。
その上、もともと無口だから一言一言に重みがある。もちろん、何を尋ねてきたか分かるからこそ、戸惑ったのではあるが…。
「磯辺のことですか? 彼女は最近大人しいですよ。やっとわかってくれたようです」
「そうですか。それはよかった。ところでこの前の県下一斉テストはどうでしたか?」
この先生との会話は本当に無駄がない。何しろ、要点しか聞いてこないからだ。一度でいいから大室先生がたわいなく世間話をしているところが見たいとふと思った。
「社会はまあまあよかったですよ。まあ、まだ底上げを図る必要は当然ありますけどね…」
「そうですか。数学は県平均を下回ったので、かなり厳しいですよ。どうしたものか…?」
大室先生にしては珍しいぼやきだった。そして、いつの間にか僕の前からいなくなった。僕はそのまま社会科準備室に戻った。
10月に入ったと言うのに昼間はまだ暑い日が続いた。いくら地球温暖化が進んでいると言ってもこれはひどい。しかし、夕方になると急に肌寒くなるほど冷え込むようになった。少しずつではあるが、秋は深まっているらしい。




