005_起動
翌朝、僕たちは地下三階のテストエリアへと移動した。
ヘビーな防音扉が開いた先は、昨夜の天国のような居住区とは打って変わって、無機質で冷徹なシェルターだった。
体育館ほどもある広い空間に、円状に並べられた五十台の「筐体」。航空機のコックピットを模したような、鈍い黒色に塗装された半密閉型のそれは、無機質な鉄の卵のようにも見えた。周囲には太い高圧ケーブルがのたうち回り、中央には身体を包み込むような形状のシートが鎮座している。
「各自、番号の書かれたポッドへどうぞ。まずはアジャスト(初期設定)から始めます」
天井のスピーカーから、林の平坦な声が響いた。
僕は指定された四号機のシートに深く腰掛けた。本革の匂いと、新車の電子部品が放つ特有の硬い匂いが鼻を突く。ヘッドセットを装着すると、外の音が完全に遮断され、自分の呼吸音だけが大きく聞こえた。手元には、アキラが言っていたオーダー用の小さなタッチパネルが見える。
『――システム、起動します。初期プロトコルを開始。第一階層:【根の国】へ接続』
耳元で、女性の合成音声が流れた。
正面の湾曲した大型モニターに、青い光が灯る。視界の隅々にまで広がる、圧倒的な解像度の暗闇。
画面の中央に、白い文字が浮かび上がった。
【PROJECT: AMENO-OHABARI - DAY 1】
続いて、バトルの待機画面に移行する。
UIは極めて無機質で、装飾の一切が削ぎ落されていた。画面の左上に、僕たちのIDが淡い白文字でリストアップされていく。
『A_killa』『cl0_』……昨日まで見慣れていた国内のライバルたちの名前が五十個並ぶのを見て、かすかに胸の奥が昂るのを感じた。
『アジャストを開始します。左右のコントロールレバーを握り、トリガーの遊びを確認してください』
言われるがまま、左右の手をレバーに添える。
冷たい金属の感触。指をかけるトリガーは、驚くほど軽かった。コンマ数ミリ指を動かしただけで、カチリ、と微小なスイッチが鳴る。
驚いたのは、その「追従性」だった。
画面の中央に配置された、僕たちの操作する「人型歩兵兵器」のグラフィック。それはファンタジーなロボットではなく、現実に配備されていてもおかしくない、防弾プレートと剥き出しの油圧シリンダーで構成された、無骨でミリタリー色の強い鉄の塊だった。
全高は二メートル強。重量は装備を含めてもせいぜい数百キロといったところか。生身の人間より一回り大きく、重いだけの、徹底的に無駄を削ぎ落としたパワードスーツに近い。だからこそ、バトルのゲームで生身の兵士を動かし続けてきた僕たちの感覚を邪魔しない、絶妙な軽快さを持っていた。
レバーを、ほんの数ミリだけ右に傾けてみる。
画面の中の鉄塊が、僕の「指先の肉の動き」と完全に同期して、滑らかに右腕の銃口を向けた。
ラグ(通信遅延)が、全くない。
いや、ラグがないどころではない。まるで、僕が「右に動かそう」と脳で考えた瞬間、すでに画面が動き始めているかのような、背筋が寒くなるほどの操作感だった。最新の視線トラッキングか、あるいはレバーの圧感センサーが優秀すぎるのだろう。その時は、ただそう納得していた。
『――フィールド展開。マッチ1を開始します。目標:エリア内のダミー標的の全破壊』
次の瞬間、視界がフラッシュホワイトアウトした。
3Dグラフィックというレベルを超えた、本物の「戦場の光景」が、僕の視覚へ直接流れ込んでくる。
気がつくと、僕は荒涼とした廃ビルの群れの中に立っていた。
コンクリートが削れる砂埃、錆びた鉄骨の質感、通路の奥に差し込む真昼のぎらついた太陽の光。すべてが、不気味なほどに「本物」だった。
『――3、2、1……START』
カウントダウンの終了と同時に、ヘッドセットの向こうから、いつものボイスチャットのクリアな音声が飛び込んできた。
「おい、セロ。このゲーム、ヤバいわ」
アキラの声は、さっきまでの緊張が嘘のように、弾んでいた。
「レバーの感度設定、触ってないのに完璧に俺の好みに合ってる。重さも、ストロークの深さも……全部だ」
「ああ、同感だ。ラグも全く感じない」
僕はレバーを小さく左右に振りながら、機体のステップ移動を試した。
強化プラスチックと電子人工筋肉で構成された四肢が、僕が親指に力を込めた瞬間、ミリ秒の遅れもなく横へと跳ぶ。まるで、自分の肉体がコントローラーを突き抜けて、そのまま現地の装甲服の中に滑り込んだかのような錯覚を覚える。
画面の右上に、赤い光点が点灯した。ターゲットの出現だ。
「二階、窓際。俺がやる」
アキラの機体が、恐ろしい速度で銃口を跳ね上げた。彼が得意とする、一瞬で照準を敵に合わせる「フリックエイム」。
――銃声。
鼓膜を揺さぶるような、硬く、重い発砲音がシートを伝って背中に響く。ビルの二階に配置されていた、着弾データ計測用の金属製マンターゲット(人型標的)が、中心部を派手に撃ち抜かれて火花を散らした。
「ハッ、最高。これ、物理エンジンどこの使ってんだ?」
アキラが興奮した声をあげる。
僕もまた、視界の左端に現れた別の標的に向けてトリガーを引いた。反動の衝撃が、操縦桿を通じて両腕にリアルに伝ってくる。手首で反動を制御し、二発目を叩き込む。標的のインジケーターが赤く明滅し、ダウン判定を示す。
脳の奥が、じわりと熱くなるのを感じた。
プロとしての本能が、この『天之尾羽張』というシステムの異常な完成度に、歓喜の声をあげていた。
初日のテストは、わずか一時間ほどで終了した。
目標のダミーをすべて破壊し終えると、画面は再び静かな暗闇――【根の国】の待機画面へと戻り、ポッドのハッチがシュー、と音を立てて上方に開いた。
「お疲れ様でした。初日のメニューは以上です」
林の声がアナウンスされる。
ポッドから這い出た僕たちは、誰もが少し上気した顔をしていた。いつもなら「クソゲーだ」「仕様が悪い」と文句ばかり言うトップランカーたちが、今日ばかりは互いに顔を見合わせ、満足げに薄笑いを浮かべている。
地下のラウンジに戻り、アキラはまた冷えたカフェイン缶を喉に流し込んで、ふぅ、と息を吐いた。
「なぁ、お前も感じただろ? あの……なんて言うか、自分の頭と画面が直で繋がってるみたいな感覚。あれ、癖になりそうだわ」
アキラは缶を持たない方の左手を、空中で何度も握ったり開いたりしていた。
その指先は、まだ見えないコントローラーの感触を必死に追いかけているように、微かに、しかしピクピクと不自然に震えていた。
「ああ。悪くない感覚だった」
僕はそう答えながら、自分の両手を見つめた。
至れり尽くせりの環境。巨額の報酬。そして、脳に直接流れ込んでくるような極上のプレイ体験。
ただの、最高に贅沢な、最新のゲーム。
初日のその時は、僕たち全員が、ただその快感に酔いしれていた。
二日目の朝、あの「違和感」が始まるまでは。




