第9話 真夜中の開戦
「車中泊者を追い出すなんてひどいわ」
ぼくの話を聞いて美津子さんは怒った。
「宮沢敦ならライオンズクラブのパーティーで会ったことあるわ。そんな乱暴なこという人に見えなかったけど」
「乱暴だよ。公園から出たくなかったらケンタの母親に自分の家にあいさつにこさせろなんて息子にいわせてる。しかも時間は今夜午前一時」
「真夜中じゃない」
美津子さんはすぐスマホでどこかに電話をかけた。
「……ではよろしくお願いいたします。宮沢敦にアポイントをとったわ。今秘書が出たけど昼間は被災地めぐりで忙しいって。だから話があるならやっぱり今夜午前一時うちにきてくれですって」
「ぼくも行く」
「起きてられる?」
「平気。今道路は緊急車両でいっぱいだから宮沢の家まで自転車で行こう。ここから十分で着くよ。美津子さん自転車は?」
「マウンテンバイクがあるわ」
「最高。今夜午前〇時にぼくがここへくるよ。それから」
ぼくは今家にいるユイのことを話した。
「あの子に手を出さないよう榊家に伝えてほしい」
「わかった。榊の人間にぜったい手出しさせないわ。約束する。お菓子持ってくるわね」
美津子さんがいなくなり、ぼくはもう一度壁に吊るされたチョーカーネックレスを見た。
(あれ朝吹先生のネックレスだな。先生昨日この部屋にいたんだ)
先生は今となりの本城小学校にいる。
地震で家が壊れ、学校へ避難してきた人たちのために走りまわっているのだ。
先生と美津子さんは知り合いなんだ、とぼんやり考えていたらその美津子さんが戻ってきた。
「ママのお見舞いに行った?」
ぼくは羊羹を乗せた皿を受けとり、今朝病院に行った、といった。
「元気そうにしてたよ」
「よかった。ねえママにキスした?」
「してない」
ぶっきらぼうに告げ羊羹にかじりついた。
自分でいうのもなんだが、ふだんのぼくはルパン三世みたいに上機嫌だ。
でも母親の話題になると、空条承太郎みたいに愛想が悪くなるんだ。
消防車のけたたましいサイレンが電車通りを駆け抜け、静かだった夜の空気が一気に引き締まった。
乗ってきたマウンテンバイクを歩道のすみに停めた。
まもなく約束した午前一時になる。
ぼくは夜の寒さに備えてグレイのパーカーにブルージーンズという服装できたが、まだ四月なのにその格好だと汗ばむほどあたたかい夜だ。
「自転車はひさしぶりだから痛くなっちゃった」
黒いメンズスーツに赤いネクタイというスタイルの美津子さんは愚痴をこぼしながら自分のお尻を撫でまわした。
地震でできた地面の亀裂や凹凸で自転車がなんどもバウンドし、お尻を痛めたようだ。
「想像の五倍道が悪かったわ。地震の被害ってすごいのね」
美津子さんはぼやきながらポニーテールをほどき、首を振って茶髪を肩に垂らした。
「どう? こうしたら色気三倍増しになるでしょ?」
「五倍増しになったよ」
本気でそういって周囲を見渡した。
これから訪ねる宮沢邸の正面に夏目漱石の内坪井旧居があった。
五高に英語教師としてまねかれた漱石が暮らした家は、熊本にたくさんある。
なんせ熊本にいた四年三か月のあいだに六回も引越してるから。
中でも内坪井旧居は漱石がいちばん長く一年八か月暮らした家だが、そのとなりにあるのは熊本中央高校の校舎だ。
どちらも真っ暗でひとけがない。
ここいらへんは熊本大空襲で焼けなかったから古い建物が多い。
昨日の地震で古い家屋が倒れたりしてないかと心配したがそんなようすはない。
通りに面しているのは大きな屋敷ばかりでどこも明かりが消え静まり返っている。
「眠ってるというより人がいないみたいだ」
「みんな避難したんじゃない? 行きましょ」
通りを横切っていると、美津子さんがふいにいった。
「今年は二郎兄さんの三回忌ね」
「そうだけどどうしたの急に?」
「二郎くん絵を描くのが好きだったじゃない。こういう古い家を描くのが」
美津子さんは足を止め腰に手を当てた。
ぼくらの目の前に大きな門がそびえている。
宮沢敦邸の門だ。
下にコンクリートが打たれて車が出入りできるようになっているが、車より馬が通ったほうがはるかに似合いそうな古めかしくいかめしい門構えだ。
屋敷の裏に坪井川が流れていて、そこで夜の魚が跳ねる音が聞こえた。
ゾッとするほど静かだ。
「監視カメラがないね」
ぼくは首をかしげた。
門のどこを見てもそれらしきものがない。
「公人なのにへんだ」
「そういう性格なのよ」
とあっさりいって美津子さんは柱のブザーを押した。
「夜分に失礼いたします。お約束していた半藤と早川です」
美津子さんがだれかとインターフォン越しに話してるあいだぼんやりしていたら、頭上から声が降ってきた。
「カーッ」
嘴に白い傷があるカラス、ユイが自分の友だちといっていたカーキチが宮沢邸の上空を悠々と飛んでいる。
(あいつこんなところに)
カーキチが飛んでいく西の夜空に半月が見えた。
上弦の月だ。
昨日月見公園の真上にうかんだ満月を指さし、ユイがいった。
「あの月さっきまで、上弦の月だったよ」
その直後、地震が起きた。
揺れが収まってから見ると、月見公園の真上にあったはずの満月は、西の空に沈んでいく上弦の月に変わっていた。
(あれはなんだったんだ? 見まちがえかな)
首をかしげていると門が内側にひらいた。
「夜のカラスなんて珍しいわね。行きましょう」
美津子さんにうながされぼくは門を通った。
こうしてついに幕があがった。
ぼくと悪魔の戦いの幕が。
宮沢敦の家は鉄筋コンクリートの二階建てだった。
門構えからは想像できないしゃれた家だ。
地震の被害はまったくない。
行政の関係者がたくさんいると思ったのにここも静まり返っている。
ぼくらを出迎えたのはうす緑色の作業着を着た二人の秘書だった。
一人は身長が一九〇センチありそうな日焼けしたマッチョで、もう一人は背は低いが首が橋げたみたいに太い坊主頭の男性だった。
「地下道場で先生がお会いになります。その前にボディチェックを」
日焼けしたマッチョが近づいてくる。
ぼくはパーカーのポケットにねじ込んだリコーダーのケースをさしだした。
「もうすぐ合奏コンクールがあるんでリコーダーの練習してました」
話を聞いたマッチョはケースにさわりもしないで「OK」といった。
「これは?」
美津子さんのスーツの内ポケットから出てきた金色の物体を指でつまみ、坊主頭の秘書は首をかしげた。
知らないの? とぼくは横から口をはさんだ。
「ハンドスピナーだよ。小学生に大人気のおもちゃ」
「六枚刃に文字が刻まれてるでしょう」
美津子さんはにっこり笑った。
「それチベット文字の真言なんです。六枚刃を回転させるとお経を唱えるのと同じ功徳があるといわれてます」
解説を終えた美津子さんは目を閉じ、合掌した。
坊主頭の秘書はこまった顔で肩をすくめ、ハンドスピナーをぼくに渡した。
二人の秘書が先に家に入った。
玄関で待っているあいだ美津子さんに小声で告げた。
「結論だけいうよ。大男の秘書は元野球選手。左手首に古傷があって右腰にホルスターがある。ホルスターの中に警棒が入ってるから気をつけて。坊主頭の秘書は現役の柔道家。得意技は払い腰」
「なぜわかるの?」
「上衣の左ポケットは小物でふくらんでた。右はからっぽ。右の腰に相手を乗せて投げるんだ」
「警棒は?」
「持ってない。腕に自信がある証拠……」
「こんばんは」
ぎょっとして振り返ると、さっきの二人と同じうす緑の作業着を着た三十代半ばくらいの男性が背後に立っていた。
服装は同じだがさっきの二人と比べるとやせている。
「きみとは今朝公園で会ったね」
そういわれて一瞬とまどったが、相手の髪の毛に帽子のあとがあってそれでわかった。
(レノンキャップをかぶってたあの人だ)
笑顔で立っていたのは山田義肢製作所の山田所長だった。




