第8話 ブローディガンの死体は一か月後に見つかった
「あなたにいやな仕事させちゃったわね。ごめんなさい。ねえ、新しい仕事の依頼なんだけどいい?」
「もちろん」
「これを見て」
美津子さんに渡されたのはA4用紙の束だった。
「この一年間熊本で行方不明になった百人の人々のデータよ」
「百人? そんなにおおぜいの人が」
「いなくなったの。警察もマスコミもその事実に気づいてない」
あきれたように美津子さんは首を振った。
「いなくなった人たちはみんな特殊な職業についたフリーランサーよ。サラリーマンや学生は一人もいない」
書類を見た。
顔写真があってその下に名前と年齢と職業がしるされている。
男女それぞれ五十人。
プロのボディガードとかドローンカメラマンとか成人漫画家とかギター製作者とかSM嬢とか、たしかにユニークな職業の人が多い。
「ほんとだ。みんな集団に所属しない一匹狼って感じだね。一匹狼だからいなくなってもまわりに気づかれないんだ」
そんなバカなといわれそうだが、たとえば小説家は典型的な一匹狼の職業といえるだろう。
『アメリカの鱒釣り』で知られる作家リチャード・ブローディガンはカリフォルニアの自宅で拳銃自殺したが、彼の死体が見つかったのは死後一か月をすぎてからだった。
集団に所属しない人の死や失踪は、それほど長い間他人に気づかれない。
「三郎くん、この人たちを見つけて。生きていたら元いた場所に帰してあげて」
美津子さんはぼくのとなりに腰をおろした。
彼女のお尻の重みでソファが沈む。
書類に目を通しながらぼくは「死んでたら?」と尋ねた。
「犯人を捕まえて。そいつをどうするかの判断はあなたにまかせるわ。三郎くんはいつも正しい判断をするから。渡した資料にプロボディガードの河本祐一っていたでしょ? その人榊家の道場に通う呪術師でもあったの」
「榊家の?」
ぼくはにわかに緊張を覚えた。
名門榊家の呪術師が行方不明とはただごとではない。
「河本さんがいなくなって榊家が調査に乗り出した。調査にのぞんだ三人の凄腕呪術師の行方もその後わからなくなった」
「三人も!?」
「そう。榊家の組織力がすごいのはあなたも知ってるでしょ。スケールでは及ばないけど個々の能力なら警察を上回ってる。その榊家が『この事件はうちの手に負えない』と判断したの。あのプライドの高い名門が。そこで百人蒸発事件の解決を早川家の天才少年に頼もうって話になったの。
凶悪なオレオレ詐欺グループを三つまとめてつぶし、信者を食い物にするカルト教団の教祖を証拠をそろえて警察に逮捕させ、三十年間未解決で迷宮入り寸前だった某家族五人殺害事件の犯人を見つけ出し、精神病院の閉鎖病棟送りにした早川三郎くんに。
もちろん断ってもいいのよ。この仕事まちがいなく命がけだから。あなたが今までおそろしい相手と戦ってきたのは知ってるけど、こんどの相手こそ最強よ。百人もの人間を人に知られず消すなんて軍隊でも不可能だもの。それを……」
「やるよ」
ぼくはあっさり返事をした。
「本当?」
「本当。呪いを祓うのが呪術師の仕事。今熊本は呪われてる。だからぼくが祓う」
「ありがとう!」
美津子さんは大喜びで抱きついてきた。
彼女の大きな胸に抱え込まれたとき、濃厚な甘い香りが鼻を打った。
香水の甘い匂いに酔いながらふと視線をあげると、美津子さんののどもとにちいさい赤いアザがあるのが見えた。
(あのアザをかくすためにジャージを着てるんだ)
「よかった! 三郎くんに断られたらどうしようってドキドキしてたの。榊家が万全のサポートをするからなんでもいってね」
美津子さんは乱れたぼくの白髪を撫でて直した。
「ホッとしたらのど乾いちゃった。お茶飲む?」
美津子さんはこっちの返事を待たずキッチンに立った。
一人ソファに取り残されたぼくは何気なく正面の壁を見た。
するとグローブのとなりに、もう一つ吊るされているものがあるのに気づいた。
(あれは)
見覚えのある黒いチョーカーネックレスがそこにあった。
「ねえ、読書家の早川三郎くんは今なに読んでるの?」
キッチンから美津子さんの声が聞こえる。
「藤井達郎の『熊本の猟奇事件』読んでるよ」
「あら藤井さんまだ生きてるの?」
「十年前七十歳で死んだ」
藤井達郎は熊本市出身の純文学作家で、高校教師と教え子の女子生徒の恋愛を描いた短編『ハンカチ』は芥川賞の候補になった。
『熊本の猟奇事件』は藤井が書いた唯一のノンフィクションで、今では古本屋で高値で取り引きされている。
ネットにまったくのっていない情報満載の貴重な本だ。
ちなみに同書を出版したスナヲ書房はやはり十年前まで坪井町にあった小出版社で、その社名は熊本市西区花園出身のプロレタリア作家徳永直にちなんでつけられた。
「今熊本の未解決事件の章を読んでる」
「おもしろそうね。どんな話?」
「平成元年一九八九年本城町の廃工場で坂崎倫子さんの死体が見つかった事件知ってる?」
「わたしが生まれた年ね。知ってるわ。犯人は倫子さんを絞め殺したあとチェンソーで左手を切断し、それからなぜか死体をそのままにして逃げたのよね。犯人まだ捕まってないんでしょ?」
「捕まってない。倫子さんの事件の十年以上前、昭和四十三年から五十二年の十年間にわたって市内で四人の女性が行方不明になった。ジャーナリストは四人が半島に拉致されたと見てるけど、藤井達郎はちがうと断言してる。四人の女性には共通点があるんだ。それは」
「若くて一見地味だけど脱いだらすごいってタイプ。でしょ?」
美津子さんはぼくに紅茶を渡しソファに座った。
四人の女性の死にざまを想像して興奮したのか、かすかに目がうるんでる。
「かくれグラマーっていうのかしら。坂崎倫子も同じタイプね」
「そう。藤井達郎は倫子さんと四人の女性を殺したのは同一犯だといってる。四人の死体はチェンソーでバラバラにして海に捨てたと。もっとも犯人がなぜ倫子さんの死体を放置して逃げたのか、それから十二年も沈黙していた犯行をなぜ再開したのかはわからないといってるけど……」
「子育て」
「え?」
「犯人の子育てが一段落したのよ」
美津子さんは思案顔で紅茶をすすった。
「よくいるじゃない。子どもが手を離れてから独身時代に夢中だったバンドやバイクを再開する人。そのパターンよ」
「なるほど」
ぼくは感心してうなずいた。
「ぼく自分がまだ子どもだからその発想なかった。その推理たぶん当たってるよ」
「すごいでしょ?」
美津子さんは胸を張って大きなおっぱいをさらに突き出した。
「すごい。美津子さんにお願いがあるんだけど」
ぼくはさっきお城の近くで同級生佐伯賢太が宮沢竜たちラグビー部員にからまれた話、そしてケンタの家族が避難している泉田公園から追い出されそうになっている話をした。




