第83話 津波とシャボン玉
固い金属音が聞こえた。
さっきぼくに飛びかかった若者が持っていたナイフとレインコートが、砂利の上に落ちている。
「純粋精神体Xは憑依した肉体とともに灰になりました」
頭の中で花子の声が聞こえる。
「カラミルさまの強力な呪力が、Xの肉体からの離脱をゆるさなかったのです」
「よかった……カラミルは?」
「拝殿の前に」
そっちを見るとカラミルとフランチェスコが向かい合っていた。
二人とも神妙な顔だ。
一瞬、握手してるのかな? と思ったがちがった。
二人は切り落とされた相手の手を互いに持ち、相手の傷口にあてがっていた。
その奇妙な姿勢のまま、二人はコーラスで呪文を唱えた。
「エコエコアザラク」
「エコエコザメラク」
「エコエコケルノノス」
「エコエコアラディーア……」
呪文を終えると、冷たい夜風が拝殿の鈴をひとつ、カランと孤独に鳴らした。
風が通りすぎ鈴の余韻が消えると、草薙剣に斬り落とされた二人の腕はもと通りくっついた。
「彼らは吸血鬼なんだ」
ぼくは血だらけの顔に、老人に布団を売りつけるインチキ講師みたいな愛想笑いをうかべた。
「吸血鬼だけど人を襲ったりしないから」
ぼくの説明を聞いたオサムと太一はぼんやりした顔で「へえ」「そう」とだけいった。
それ以上なにもいわない。
あまりにも奇怪なことがたて続けに起きて感覚が麻痺したらしい。
「じゃあ、これで終わり?」
と、やはりぼんやりした顔でランが尋ねた。
「そうだよ」
ぼくは力強くうなずいた。
「これで終わり……」
「まだよ」
と、とつぜんAがいった。
「津波がくるわ」
「津波?」
あわててまわりを見わたした。
「ここ海から遠いよ?」
「ここじゃないわ、北大西洋よ」
Aは自分の頭を指さした。
「気象衛星のデータをキャッチしたの。これも月が異常接近して起きた現象ね。三郎あなた目は見える?」
「大丈夫。津波は今どこ?」
「北ヨーロッパに向かってる。津波の到達が予想される場所は……スコットランドのアウター・ヘブリディーズ諸島ね」
「なんだって」
そばで聞いていたフランチェスコの顔色が変わった。
「パパの生まれ故郷がアウター・ヘブリディーズのバラ島なんだ。パパとママは今島にいる。毎年夏に帰省するんだ」
「ラジオの緊急放送をキャッチしたわ」
Aのボディから中年男性の声が聞こえてきた。
「こちらはJHKスコットランドのインヴァネス支局です」
「インヴァネスってネス湖があるところだよ」
「シッ」
ランにたしなめられ、タケシはしょんぼり口を閉ざした。
「こちらの時間で午後三時、大西洋で地震による津波が発生しました。津波は現在スコットランド西岸の島アウター・ヘブリディーズ諸島にせまっています。アウター・ヘブリディーズ諸島はヨーロッパでもっとも敬虔とされるカトリックが暮らす島々です。島だけではありません。今やスコットランドの西岸すべての都市が未曾有の危機にさらされています。それほど巨大な津波です。
わたしは信仰を持たない人間ですが、今は祈ることしかできません。
神よ、どうかスコットランドをお救いください」
「三郎!」
青い瞳を涙で光らせたフランチェスコがすがりついてきた。
「月を動かすきみならなんとかできるだろう? パパとママを助けてくれ!」
「いやでも……」
「津波は時速七七〇キロで進んでる」
Aはクールにいった。
「あと一分でバラ島に到達するわ」
「一分!」
「あ」
Aが急に夜空をあおぎ見た。
「どうしたの?」
「もう一つ津波発生」
「こんどはどこ!?」
「南大西洋。場所は……」
そのとき腰のポケットにさしていたスマホが鳴った。
「美津子さんだ」
美津子さんは今学生時代の友人さゆり先生と南アフリカのケープタウンを旅行中のはず、と思いながら電話に出た。
「もしもし」
「三郎くん助けて!」
電話に出るなり美津子さんは悲鳴をあげた。
「津波がきてるの!」
「今どこ?」
「テーブルマウンテンのふもとにある港町のホテルよ。今夕方だけどあと一分で津波がくるって館内放送があったの、どうしよう!」
「高いところに避難して!」
「むりよ! わたしもさゆりも裸だもの。わたしたち昨日の夜からずっとベッドで愛しあってたの」
「よけいなこといわなくていいよ!」
スマホをオンにしたまま頭を抱えた。
「津波が二つ起きたぞ。どうすりゃいいんだ?」
「スモール・インパクトよ」
それしかないとAは断言した。
Aはぼくの能力をすべて把握している。
「津波に隕石をぶつけるの。高速落下した隕石のパワーで津波にふたをするのよ。こぶしサイズの石をぶつければいいわ。それ以上大きいと逆に危険よ」
「よし! あ、でも津波は二つあるんだ……」
「わたしもやるわ」
声をかけられユイを見た。
「きみが?」
「ええ。流れ星をあやつるのは得意なの」
ユイはほほ笑んだ。
その自信に満ちた笑顔を見て思い出した。
(そうだ)
道目鬼山の頂上で、ユイが夜空に無数の流れ星を出現させたことをぼくは思い出した。
(そうだ彼女ならやれる!)
「じゃあきみは北大西洋の津波を頼む。南大西洋はぼくがやる。津波の先頭に隕石をぶつけるんだ」
「わかった」
「報道ヘリの映像を送るわ」
Aはその場にいる全員の脳に映像を送った。
(これは)
おお、今まさに巨大な波がスコットランドの島を飲み込もうとしている!
「ユイ、パパとママを助けて!」
フランチェスコは地面にひざまずいた。
「まかせて」
にっこり笑うとユイは夜空をあおぎ、呪文を唱えた。
「シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた
風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ……」
ユイが呪文を唱えると、ぼくらがいる境内は完璧な静寂に包まれた。
脳内で見るスコットランドの空は、どんより曇っている。
その灰色の空を、一筋の光がつらぬいた。
「あれは?」
とカラミルがつぶやいた瞬間、光の矢が津波を直撃した。
一瞬報道ヘリが送る映像が真っ白になった。
落下した隕石の衝撃で津波が爆発したのだ!
危うくヘリコプターを飲み込みそうなほど巨大な水柱が立った。
轟音とともに水柱が崩れると、海は静かになった。
「……奇跡が起きました」
Aのボディから、ラジオの男性アナウンサーの声が聞こえた。
「津波が消えました。島の目前にせまっていたのに、跡形もなく完全に消滅しました。津波に隕石のようなものが突入したという目撃情報がありますが、くわしいことはわかりません。新しい津波の情報はありません。
ともかくスコットランドは救われました。わたしは今日から神を信じます……」
「ありがとうユイ」
フランチェスコはひざまずいたままユイの手をとり、その手になんどもキスした。
頬を汗で光らせ、ユイは静かに笑った。
「三郎くん津波が!」
スマホから美津子さんの悲鳴が聞こえた。
「テーブルマウンテンの頂上カメラの映像を」
Aが指を鳴らすと脳内に見えた。
港町に津波がせまってる!
「この盃を、受けてくれ」
ぼくは夜空を見あげ呪文を唱えた。
「どうぞなみなみ
注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが
人生だ」
呪文を終えると城の上空にある星がいっせいに瞬いた。
脳内で見るケープタウンの空は、バラ島と同じ灰色だった。
その空が急に明るくなった。
「あれなに?」
さゆり先生の声がスマホから聞こえる。
ケープタウンの港に向かって、空から一直線に光が降ってきた。
隕石はねらい通り先頭の津波を直撃した。
轟音とともに、逆さまにした滝のような水柱が立った。
巨大な水柱は港と反対の海側へ崩れた。
崩れ落ちたところから沖に向かって波紋が広がる。
波紋はおそるべき速さで海全体をおおった。
隕石が起こした水の封じ網だ。
「津波が消えたわ!」
美津子さんの声は興奮で裏返っていた。
「三郎くんあなたがやってくれたのねありがとう! さゆり、助かったわよ」
スマホ越しに美津子さんとさゆり先生の歓声が聞こえた。
さっきのように美津子さんがへんなことをいい出したらこまるのでぼくは
「じゃ風邪ひかないでね」
とへんなあいさつをしてすぐスマホを切った。




