第44話 ぼくらの聖歌
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「ユイ」
緊張して何度も生唾を飲みこんでいると、ふいに耳もとで三郎がささやいた。
「フランチェスコがきみのことすっごくきれいだっていってたよ。
こんばんは! The Small Hornsです!」
すばやくわたしから離れると、三郎はたった一人の観客であるサンジに元気にあいさつした。
拝殿の真ん中にわたしが立ち、サンジから見て右側に三郎が、左にカラミルが立った。
カラミルのうしろにAがいて、いちばん奥にドラムのフランチェスコが控える。
「Small hornはちいさいツノって意味です。飛鳥時代の呪術師で修験道の開祖役小角にちなんでつけた名前です。ではライヴをはじめる前に、夢野久作の歌集『猟奇歌』から今宵の宴にふさわしい歌をいくつか紹介します」
三郎はネクタイをゆるめるとこんな歌を詠んだ。
「『メスの刃が
お伽ばなしを読むように
ハラワタの色を
うつして行くも』
この歌を、ぼくが以前戦った神兵山田高文さんにささげます。それから
『あの娘を空家で殺して置いたのを
誰も知るまい
藍色の空』
この歌は大塚富士子とその一味に。もう一つ。
『教会の
彼の尖塔の真上なる
青い空から
血しおしたたる』
この歌は宮下神父にささげます。そして最後に、
『ある名をば 叮嚀に書き
ていねいに 抹殺をして
焼き捨てる心』
この歌を、今夜の賓客である宇宙からの精神Xにささげます。
ではお聴きください。
これから演奏する曲は、ぼくらの世代の聖歌です。A」
三郎の合図でAは静かに電子ピアノを弾いた。
こうして宴が始まった。
■
Aの電子ピアノに続いてユイが「ルルル~」とスキャットを歌った。
ユイが歌いはじめると、たった一人のリスナーであるサンジはたちまち目を輝かせた。
波紋のように静かな歌声が、彼の不安を消した。
やがてピアノと歌声が消え一瞬の静寂が訪れる。
その静けさをカラミルのドスの効いたリフとフランチェスコのドラムが打ち破る。
そして無数の星が瞬く夜空に向かって、地上から光が放たれた。
光は声だ。
「あ~」
ユイがシャウトするとサンジはバネじかけの人形のように立ちあがった。
最後にぼくがギターを弾いて、土石流の勢いで走り出した演奏に強引に合流した。
こうしてBABY METALの世界的ヒット曲『イジメ、ダメ、ゼッタイ』の演奏がはじまった。
ステージの一分は日常生活の一時間に匹敵する。
それは夢のような時間だった。
すぐ近くでユイの歌を聴くのは楽しかった。
自分が彼女のギタリストであることに喜びと誇りを感じた。
やがて間奏になり、ぼくとカラミルははげしくギターバトルした。
ここがギタリストいちばんの見せ場だからカラミルは金髪を、ぼくは白髪を振り乱して熱演した。
ぼくのギターに合わせて、サンジはがくがく頭を振った。
ヘドバンだ。
するとふいにあたりが暗くなった。
夜なのに? とまつ毛をあげると夜空の半月が消えている。
星も消えた。
(これは)
「きたぞ」
とうしろでフランチェスコがいった。
宴の招待客のお出ましだ。
姿が見えない無数の招待客が放つ妖気が、油膜のように夜空をおおっている。
(待ってたぞ、宇宙からの精神X!)
思わず叫びそうになるのをなんとかこらえた。
Xがいちばん好きなスパイスは熱狂だ。
その熱い香りをかもすため、ぼくらはこうしてヘヴィメタルを演奏している。
今世界でいちばん熱い場所はリオでもメッカでも上海でもニューヨークでもない。
ここ道目鬼山だ。
夜空を埋め尽くすXの存在がそれを証明している。
彼らを呼び寄せた最大の功労者はユイとサンジだ。
そのサンジだが、彼といっしょに暮らすようになって気づいたことがある。
彼のこころには巨大な虚無がある。
十数年間まったく日がささない地下室に監禁されているうち彼の内心に育まれた闇は、宇宙の空洞に匹敵するほど暗く大きなものになった。
今音楽に熱狂しているサンジのこころに、自意識はかけらもない。
空っぽだ。
憑依するのはたやすい。
この巨大な虚無の沃野へ地球にいるすべての精神体Xを誘い込み、一網打尽にする。
それがぼくの考えた作戦だ。
曲の終わりが近づいたときだった。
夜空をおおう油膜が波のように揺れた。
「ラフェル マイ アメク ツァービ アルミ」
ぶあつい声の合唱が鼓膜ではなく直接脳を揺らす。
Xの大群が唱えたのはまぎれもない呪文だ。
意味はわからない。
それに男か女かもわからない。
まるで夜そのものの声。
「演奏を止めるな!」
フランチェスコに叱咤され、ぼくらはなんとか曲を完奏した。
音が絶え、硝煙漂う静寂が山に満ちた。すると
「だめよ」
拝殿から駆け降りようとするボーカリストをカラミルはあわてて止めた。
「どうしたの?」
「と、友だちがそこに」
ユイが指さす先におかっぱ頭で赤いスカートをはいた女の子がいた。
サンジのすぐ右側にぽつんと立っている。
いつのまに? と思いながらぼくは彼女に声をかけた。
「花子、よく学校から出られたね」
「ごめん三郎。わたし幽霊じゃない」
「え?」
「わたしはXの目なの。
パペ・サタン、パペ・サタン、アレッペ!」
花子の甲高い声が夜空にひびく。
次の瞬間花子の姿は空き地から消えた。
「花子?」
「さ、サンジの口の中に入っていった……」
ユイがふるえながらそういったときだ。
ふいに頭上の油膜が渦を巻いた。
そこから地上に向かって逆さまに黒い柱が立った。
柱の底にサンジがいる。
サンジは笑っている。
その口の中に、先日ぼくが音楽室で見た黒いけむりのようなものが次々侵入してゆく。
「サンジ!」
「三郎くん動くな」
フランチェスコは強い口調でぼくを止めた。
「おかっぱ頭の女の子は想定外だが、今の状況は予定どおりだ。今こそ彼に依り代の役目を果たしてもらおう」
「……」
ぼくは黙って肩からギターをはずした。
花子のゆくえは心配だが今はどうしようもない。
Aも足もとに楽器を置いた。
カラミルはふるえるボーカリストを抱き寄せた。
やがて空き地がほんのり明るくなった。
夜空に半月と星がもどっている。
すべてのXがサンジに憑依した。
山頂に静寂がもどった。
なんの変化もない。
「サンジだいじょう……」
と声をかけたときだった。
プツンと音がした。
サンジが着ているセーラー服の左肩のひもが急にほつれた。
次にビリッと聞こえた。
セーラー服の右肩が裂けた。
服が破れる音はそれからも続いた。
「サンジ?」
二度目の声をかけたとき、彼の上半身は裸になっていた。
サンジと目があった。
高床式の拝殿に立つぼくと、空き地にいるサンジの視線は完全に平行だった。
すぐにベルトが引きちぎれ、白いズボンが紙のように裂けた。
「サンジ!」
と叫んだとき、ぼくの視線は上を向いていた。
巨人と化したサンジの頭は、拝殿の屋根を軽く越えた。
身長十メートルはあるだろう。
「まあすてき」
カラミルは頭上を見あげほほ笑んだ。
彼女は今サンジの両足のあいだに立っている。
彼女の頭のはるか上で、ヤマタノオロチのしっぽのように巨大な逸物がぶらぶら揺れていた。
「きみはこの事態を予想してたのか?」
「まさか……」
となりにきてあきれるフランチェスコにそう返事をしたとき気がついた。
鳥居のように太いサンジの両足に傷がある。
古い傷だ。どれも地震でできた亀裂のように長い。
(これは刀傷)
「みんなスピリットガンを……」
と叫ぶフランチェスコの髪がピンと立った。
サンジが手刀を振りおろした。
「ヤバ! あ」
次の瞬間体が宙に浮いた。
Aは両脇にぼくとユイを抱え拝殿から飛んだ。
フランチェスコとカラミルも華麗に跳躍する。
ぼくらは空中で際どくサンジの手刀とすれちがった。
巨人と化したサンジの手は拝殿の屋根を発泡スチロールのように真っ二つに割り、楽器やスピーカーをなぎ倒し床も二つに割った。
空き地に着地すると地ひびきで膝がふるえた。
おそろしい音立てて拝殿が崩壊し、砕けた木片が雨のように空き地にふりそそいだ。
手で頭を覆いながらフランチェスコが叫んだ。
「みんなスピリットガンを!」
ぼくらはそれぞれ銀色の銃をとり出した。
Aは自分のうしろにユイをさがらせた。
サンジがゆっくり振り返る。
星々に青く照らされた彼の背中にも長い刀傷がある。
「サンジがこっちを向いたら」
フランチェスコは銃口を上に向けた。
「ぼくの合図で心臓を撃て。心臓の真裏にある不滅のティグレを撃ち抜くんだ」
「サンジが死ぬわ」
とカラミルがためらう。
「大丈夫」
ぼくは女吸血鬼に説明した。
「スピリットガンの光線は肉体に影響を与えない。それにサンジの体と同じように、一体化したXのティグレもサンジの体内で巨大化してる。巨大なティグレが盾となって宿主であるサンジのティグレを守ってくれるよ」
「わかったわダーリン」
「こっちを向くわよ」
珍しくAの声が緊張している。
フランチェスコ、ぼく、カラミル、そしてAは横一線に並ぶとそれぞれ両手で銃をかまえた。
サンジがついに振り向いた。
その顔を見てとっさに泣きそうになった。
サンジは笑っていた。
その口もとが青くヌラヌラ光っている。よだれだ。
(ぼくらを食う気だ)
「心臓をねらえ!」
「は花子が死んじゃう」
フランチェスコの叫びとユイのつぶやきが交錯する。
サンジが左足を踏み出し大地が揺れた。
フランチェスコは号令を発した。
「撃て!」




