決意と祈り
「いおり様、お茶をどうぞ」
季節がひと回りし、咲希が屋敷にいることに皆が慣れてきた頃、伊織もまた、穏やかに移りゆく季節を感じていた。
「すまんな。其方もここに座るといい」
「はいっ」
咲希は日課になっていたかくれんぼをやめ、今ではかいがいしく伊織の世話をやく日々。
ーーーなんじゃ?
お茶を運んできた咲希は、伊織の隣に座るとジッと見つめてくる。
不思議に思いつつ、運ばれた湯呑に視線をやる。
「ーーー桜…か」
お茶に浮かべられた一枚の薄桃色の花びらに気付く。
「これは其方が?」
「はいっ。いおり様、お庭の桜がとってもきれいに咲いたの。いおり様も後で一緒に見に行きましょう!」
うれしくて仕方がないといった風情で、咲希は伊織の袖を掴んだ。
ーーー無邪気なことよ。
自然と伊織の表情にも笑みが浮かぶ。
「そうじゃな。久方振りに其方と外を歩くのも悪くないな」
伊織の返事に、咲希は満面の笑みで何度も頷き返すのだった。
その日の夜。
花見と称し、散々伊織を連れまわした咲希は、いつもより早く床に就いた。
初めてこの屋敷に連れて来て以来、咲希は伊織の傍でしか眠らない。
何度か咲希のために誂えた座敷で眠れないか試みたが、夜中に目覚めては伊織を探すため諦めた。
今では、伊織の隣に布団を並べている。
ーーーよほど疲れたとみえる。
すやすやと寝息をたてる咲希を微笑ましく思いながら、伊織は音をたてないように手元の蝋燭で、今日届いた文に目を通した。
ーーーこれは…
文面を読み進めながら、伊織は表情を曇らせた。
送り主は、雪乃という名の同族からだった。
雪乃は咲華の実の妹であり、伊織の義理の妹ということになる。
そこには、どこからか咲希の噂を聞き、それを非難する内容が認められていた。
近く、此処を訪れるとも記してある。
伊織は視線を咲希へと移した。
ーーー傷つけ合うのは本意ではない。
伊織は妻である咲華を、人間に奪われた。同時に雪乃は姉を奪われた。
傍らで寝ている咲希は、伊織に二親を奪われた。
そう考えると、やはり不自然ではある。
仇の傍らで安眠する咲希の姿は。
ーーーこのままでよいものか…
伊織は深く息を吐いた。
それから数日が過ぎ、
「伊織様、雪乃様と焔様がご到着なさいました」
手紙で知らされた通り、雪乃が夫である焔と共に、伊織の屋敷を訪れた。
広い座敷に、伊織と雪乃、焔が顔を合わせる。
少し離れたところに近衛も待機していた。
「久方振りじゃ。よく参ったな。雪乃、焔」
まずは伊織が口を開く。
「お義兄様はお元気そうで何よりですが、どうしてもお義兄様にお伺いしたきことがございます」
雪乃は、美しい黒髪に透き通るような白い肌をしており、真紅の紅をひいた唇がとても印象的な、少々気の強い女だ。
対照的に、姉である咲華は淡い色の似合う、穏やかな女だった。
「文にあった童のことじゃな」
伊織は挨拶もそこそこに本題に入ろうとする義妹に、自ら切り出した。
雪乃の目の色が変わる。
「ここに呼んではいただけませんの?」
「あれはまだ幼子じゃ。話になるまい」
伊織は雪乃の要求を撥ねつける。
「どうしてーーー何故ですっ?その童はお姉様の仇の子ではありませんか!お義兄様は、妻と稚児を奪われた事実をお忘れなのですかっ?」
涙ながらに伊織を責める義妹に、伊織も心を痛めていた。
「やめないか、雪乃」
焔が初めて口を開いた。
「どうして、焔っ?」
「伊織殿にもお考えがあるのだ。其方が一方的に責めるのは如何なものか」
焔は落ち着いた様子で妻をたしなめた。
「伊織殿の意見を伺いたい。このままでは雪乃も哀れだ」
そして、深い闇の瞳で伊織を見据えた。
この男の持つ雰囲気が、伊織は昔から苦手だった。あまりに深い闇を感じる。
冷酷さがひしひしと伝わるような…
伊織は一呼吸おいてから言葉を紡ぎだした。
「あの夜、我が妻を殺めた憎き人間を、我は惨い手段で殺めた。憎しみのまま、怒りのままに。我等の血肉が不老不死の良薬などという根も葉もない戯言で、我から妻と吾子を奪ったのだ。当然の報いだと」
雪乃と焔はただ頷く。
「じゃが、二人の人間を手にかけ、仇を討った後も、我の心は晴れなんだ。より深い闇が訪れただけじゃ。咲華と吾子を弔えば、我も傍に逝こうと思っておった。ところが、あの童が目の前に現れて、仇である我を、この世に留めた。咲華と吾子に何の咎が無いように、あの童にも咎はあるまい。ならば、あれが成長し、物事の理解ができるようになった時、すべてを打ち明け、我を親の仇としてどうしたいか、決めさせようと思った。我が復讐のためにあれの二親を殺めたようにな」
伊織は、まるで用意していた言葉のように一気に話し終えたが、話しながら己が一番驚いていた。
自らの覚悟を再認識し、心が引き締まる想いだった。
「それではお義兄様は、人間の子が仇の死を望んだ時には、そのようにすると、そう仰るのですかっ?」
雪乃の顔色が一層白く蒼白となる。
焔はただ黙って、その先の言葉を待っているようだった。
「もとより、捨てようとした命じゃ。それでいいと思うておる」
「ーーーーー」
雪乃は言葉を失い、代わりに焔が口を開く。
「ならば、我らの同士を失う前に、わたしが童の命をいただこう」
「ならぬっ!」
ダンッ!と音を立てて伊織は立ち上がり、怒りの形相で焔の前に立つ。
焔は、表情を変えることなく伊織を見上げた。
その態度に、伊織は焔の目的が咲希であると知る。
雪乃の怒りを煽り、自分こそが人間を殺めたいがために。
「何故?」
深い闇が見つめる。
「咲華と吾子の仇は討った。復讐は果たされたのだ。これ以上の殺生は許さぬ」
「人間如きに、仲間を殺されるのを黙って見ていろと?」
「咲希に手を汚させはせぬ。その時には、自らの手で終わらせる」
伊織は、これ以上何も聞くまいと二人に背を向けた。
「咲希への手出しは無用。心しておかれよ」
その頃、咲希は彩と楷と共に離れの別室にいた。
「今日は、いおり様のお部屋に行っちゃだめなの?」
伊織が屋敷にいると、四六時中傍にいる咲希は不満で頬を膨らませた。
「伊織様はお客様のお相手をされているので、今日は私達と遊びましょう」
困ったようにそう言ったのは、蛇の妖である彩だ。
普段からもの静かで、いつもは厨に居て賄いをしている。
「大体なぁ、おまえはいつも伊織様にべったりし過ぎなんだよ」
軽口をたたくのは、彩の兄である楷。
二人は伊織に恩があり、此処で働いているという。
「カイはいじわるだからアヤと遊ぶ!カイは仲間に入れてあげないからね!」
「なんだとチビ助、生意気ばっかり言う奴はーーーこうしてやるっ」
「キャー!やだやだっ、カイいじわるー!」
楷のくすぐり攻撃を受けて、咲希は笑い転げる。
そんな二人を見て、彩はホッと息を吐いた。
妖と人間ではあるけれど、彩も楷も、咲希を大事に思っていた。
家族を失い、どうなるのか分からなかった伊織を支えているのは、咲希の存在だと分かっているから。
深い事情は知らなくても、大切な主人の恩人なのだと認識している。
それは近衛にとっても同じ思いで、咲希はそういう妖達に守られてこの屋敷に暮している。
これからも。
そうであればいいと、この屋敷の皆が願っている。
妖と人間。古より相容れない存在と語り継がれているとしても。
この平穏な日々が続けばいい。
長い妖の時の中で、人の生涯はあまりに短いけれど、それでも願わずにはいられない。
誰もが、幸せを望んでる。
大切な存在が幸せであればいいーーーと。




