最終章 更地からの再建
建築における更地とは、終わりを意味しない。過去の不要な構造物をすべて取り除き、新しい、より強固な建築物を建てるための、最も美しく清らかな始まりの舞台だ。あの木曜日の夜の解体着工から、三ヶ月が経過した。初夏の柔らかな光が差し込むリビングで、私は一人、新しく引き直した自邸の登記識別情報を見つめていた。財産分与も離婚調停も、真壁建設の法務部が後ろ盾となった私に対して、律が抵抗できる余地など一ミリも残されていなかった。律は、真壁建設からの巨額の損害賠償請求と刑事告訴の取り下げを条件に、この自邸の全所有権の譲渡、および子供たちの将来の学費を含めた多額の養育費の支払いを一括で承諾した。当然、彼の勤めていたIT企業からは懲戒解雇処分となり、業界内での再就職の道も完全に閉ざされた。風の噂では、同じく真壁建設を懲戒解雇され、親から事実上の勘当を言い渡された香織と、お互いの欲望の果てに泥沼の擦り付け合いを続けているという。信頼という強固な基礎を持たない違法建築は、一度崩落を始めれば、跡形もなく砂へと還る。彼らは自ら招いた崩壊の瓦礫の中で、今も互いを呪いながら浅ましく足掻いているのだろう。
「ママ、新しいお部屋のデザイン、もう決まった?」二階から階段を下りてきた娘の結菜が、私の横に腰掛けた。その後ろからは、大きなリュックを背負った駆が楽しそうに顔を覗かせている。「ええ。この家のリビングを、もう少し風通しの良い、明るい空間にリフォームしようと思っているの。あなたたちの個室も、それぞれの動線に合わせて少し広く設計し直すわね」「やった! ママ、さすが一級建築士だね!」駆が無邪気に歓声を上げる。結菜はそんな弟を見て呆れたように微笑みながらも、その現実的な瞳に、確かな安心の色を浮かべていた。子供たちはすでに、過去の不要なバグを頭の中から綺麗に解体し、私とともに新しい生活の構造を築き上げる準備を済ませている。この賢く逞しい子供たちこそが、私がこれからの人生で守り、育てていくべき、最も価値ある最高の発注だ。「さあ、お腹が空いたでしょう。今日はお祝いに、三人で美味しいものを食べに行きましょうか」
「賛成!」
子供たちの笑顔を見つめながら、私は手元のスマートフォンを操作し、自宅のスマートホームシステムを完全に初期化した。あの換気ダクトの奥のセンサーも、床板の裏のマイクも、もう必要ない。この家は二度と、誰かの嘘を暴くための実験室には戻らない。ただ、私たち三人が心地よく、安全に暮らすための本物の城へと生まれ変わるのだ。
全ての人間は利己的である。
夫の裏切りに直面したあの日、私はその真理を再確認した。人間はどこまでいっても己の利益のために生きる生き物だ。ならば、私はこれからもその冷徹な仕様書に従い、一級建築士としての知性とプライドのすべてを賭けて、私と子供たちの幸福という利益を最大化し続けてみせる。青く澄み渡った空の下、私は子供たちの手を引き、新しい一歩を踏み出した。 永瀬美咲による「泳がせ妻の観察記録」。その最終ページは、ミリ単位の狂いもない、完璧な未来の設計図によって美しく締めくくられた。
【エピソード一 完】




