幕間① 第一王子の焦り
「ニーナが逃げ出した?」
エドウィンの元にその知らせが持ち込まれたのは、聖女ニーナが逃亡してすぐだった。
取り次ぎの者までが、狼狽していた。無礼なほど、執務室の扉を激しく叩く始末。
案内されてきたランデルを管轄する大司教は、恐縮しきっていた。
「どういうことだ……。何のためにランデル修道院にやったと思っている!」
エドウィンの失跡に、ただでさえ縮こまった大司教の体が、さらに小さくなる。
ランデル修道院は、隔離された修道院だ。
辺境の地にあり、戒律を厳しく守ることで有名だ。修道女同士が見張りあっていると称されるほどで、あえて厳しい修行の場に身を置きたいという修道女が向かう場所でもある。エドウィンは、当然、逃げだせるはずがないと思っていた。
「探せ。帰る場所も、行く場所もない。身銭も持っていないはずだ。聖モントローズ王国内なら……」
「それが、三階のバルコニーから川に飛び込んだようで……」
「テオパルド王国か……」
エドウィンは舌打ちをした。
聖モントローズ王国は、周囲を他国に囲まれた内陸国だが、他の国とほとんど国交を持っていない。
そんな状況の小さなこの国が、他国から侵略されずにいれたのは、自然の城壁のおかげだけではない。
聖モントローズ王国が、聖地を有する神聖な国とされているからだ。
大陸最大の宗教であり、始祖神を主神とし、弱者救済を掲げるローズ教。国教と指定されないでも、市民貴族関わりなく信仰されている。国の中枢を、ローズ教の信者が担っている場合も少なくない。
その聖地が、聖モントローズ王国にある。
聖地を血で汚すべからず。
聖モントローズ王国は、人の心で作られた城壁に守られているのだ。
いくつも教会や下部修道院を持ち、広く門を開きながら信者を迎え、下部修道院の信徒が弱者に尽くす。一方で神髄たる聖地や総本山である教会は、聖地有する国とともに神秘の霧に閉ざす。神秘性を高め、侵されることを許さない気高さを演出するのだ。
「すぐにテオパルド王国に使いを出せ」
エドウィンは、書記官を呼びつけるや否や言った。
「しかし、いかように……。聖女のことは他国に公表していません」
「どうにでも書け!」
突然の出来事に戸惑う書記官を、エドウィンは突き放す。
「由緒ある修道院から修道女が不慮の事故で転落した。弔いたいので死体を引き渡せとでも……」
「し、死体!」
場に残っていた大司教が、裏返った悲鳴混じりの声を上げた。
「死んでいるものか!」
エドウィンはいらいらと声を上げる。どうして、こんな簡単なことに頭が回らないのだ、と。
「普通は川に飛び込めば死ぬ! だが、あの女はこの国どころか、大陸一の聖魔法の使い手なのだぞ! 切り抜けることは容易い」
はぁ、と官吏がわかっていないような相槌を打つ。どうせ、次は国交のない国にどう伝えればいいのかとでも悩んでいるのだろう。
「奇跡的に生きている可能性を考え、聖モントローズ王国からの調査団の入国を許せとでも書けばいい。下手に出るんだ。断れないように。いかにも哀れっぽく。修道院が嘆き悲しみ涙で満たされているとでも言ってやれ。書くだけなら何とでもなる」
「か、かしこまりました」
書記官は、頭を下げて退出する。明日には、エドウィンの言葉をそのまま記した親書が出来上がるのだろう。
無能め、とエドウィンは内心吐き捨て、未だに体を小さく縮こまらせて佇む際司教をみやった。
「下がっていい。この一件は私から教皇に申し上げる。処分は教会から通達される」
「申し開きも……ございません」
大司教は、消沈したままなお深く頭を下げた。その首元に、銀色に輝く首飾りが下げてあった。ローズ教が唯一許す装飾品だ。薔薇を彫り込んだ丸い板は、司教で銅、大司教で銀、枢機卿で金と色が変わる。教皇になれば冠が与えられるのだ。
その銀色の首飾りを下げることができるのも、あとわずかだろうと、エドウィンは冷めた目で大司教の背中を見送った。
エドウィンは執務机に向かい合う。やっと静かになったと息を吐いたその時。またノックの音が響いた。
「兄上」
控えめな腹違いの弟の声。エドウィンは、舌打ちをしながらも入室を許可した。
「兄上、ニーナが修道院から脱走したとは本当なのか?」
「本当だ。おそらく、テオパルド王国に逃げたのだろう。すぐに連れ戻す」
またその話かと思いながら、エドウィンは適当な書類を引き出し、いかにも忙しい風で目を走らせた。
急ぎの仕事など、なかった。国内には平和が戻り、雑多な業務は官吏が処理している。エドウィンはまず、自分の華燭の典をいかに華やかにするかを考えなければならなかった。どの貴族を呼び、席順をどう並べるか。今年の宮廷舞踏会も開催しなければ。
エドウィンの支持は、貴族からのものが多い。無用な軋轢は極力避けなければならない。
「兄上、ニーナのことは、そうっとしておいてあげて欲しい」
アルバートは、意を決したように言った。
「だから、何度もニーナの扱いがあんまりだと言ったんだ。ニーナが修道院から逃げたのも、仕方がないことだろう? 新しい国でやりなおしたいというのなら尊重すべきじゃないのか。むしろ、援助を……」
「煩い!」
エドウィンはアルバートの言葉を遮った。
自分のやり方が、間違っているとは思わなかった。召喚された聖女は、明らかに子供で愚鈍だった。だから、教育してやっただけなのだ。そうすれば、エドウィンが望む聖女が出来上がった。従順で有能、前に出ることは決してしない。
(その代わり、いつもびくびくして、卑屈な子鼠のようなみすぼらしい女が出来上がったが……)
母后はすでに亡く、父王は数年前から病がち。国の舵取りは実質数年前からエドウィンの手にあった。
エドウィンの思うままにならないことはなく、聖女という最強の手札を得て、ゆるぎないものになった。
アルバートにはわからないだろう。知るはずもない。聖女とは何か。災厄とは何か。それをうまく手玉にとれば、他国からも優位をとれるということを。
「頼むから。どうか、もう一度考え直してくれ。もし、このままニーナを連れ戻したとしても、前のように力になってくれるとは限らない」
「そんなはずないだろう」
エドウィンは断言する。
「私に逆らうことなど、出来るはずがない。ずっとそうだっただろう。結局、異世界の平民で……」
「自ら川に飛び込む程の決意なんだ! 戻ったところで今までと同じには戻らない! どうしてそんなことがわからないんだ!」
アルバートは食い下がる。エドウィンは少し驚いた。この腹違いの弟は、エドウィンに口答えをすることなどなかったのに。
反抗的な態度に、アルバートの体温が一気に上昇する。血が頭まで駆け上がる。
「お前、そんなにあの平民の娘が好きだったのか? 代わった趣味だな」
エドウィンは、あえて猫なで声を出した。弟の恥ずかしい部分を揶揄ってやるつもりだった。
そうでなければアルバートがここまで必死になる理由に説明つかない。
「いい加減にしてくれ!」
こうして怒るのが図星だろう。だが、アルバートの怒りは、エドウィンの怒りに油を注ぐだけだった。
「いい加減にするのはお前のほうだ!」
エドウィンは、怒りそのままに、アルバートに言葉を投げつけた。
「このままあの女が見つからなければ、再び国の危機なのだぞ!」
言うはずのなかったその言葉を。
「どういう、意味なんだ……」
「消えろ。お前には関係ないことだ!」
エドウィンは一方的に言い放つ。が、アルバートはその場を去らなかった。それどころか、まるで責めるような目でエドウィンを見ているのだった。
しびれを切らし、エドウィンは自ら執務室を出ていった。
足音荒く廊下を歩きながら、エドウィンは窓越しに外に視線をやった。
(絶対に、連れ戻さなければ……)
危機から解放された街は喜びにあふれている。エドウィンがもたらしたものだ。
それを不変のものにし、発展させていくために、聖女が必要なのだ。
「負けてたまるか……!」
父にも、弟にも。
焦りの奥底から、そんな強い思いがふつふつと湧き上がってくる。




