25 到着早々、最悪な夜
「うぇっ、気持ち悪い……死ぬ」
朝日が眩しい。誰か、太陽を消してくれ。
鳥がピーチクパーチクうるさい。ギィ、捕まえてこい。
今の俺にとって全世界が敵だ。
昨夜、胃に詰め込んだオーク肉はまだそこに居座り、喉元までせり上がっている。
食べすぎてしまった。
だが問題なのは腹痛だけではない。
昨夜の記憶が、鮮明に、俺の過去一の羞恥としての記憶に刻まれている。
獣みたいに木に登った。
皿を抱えて威嚇した。
更には「もっと寄越せ」と催促した。
「はぁぁぁぁ……」
胃痛とは別の理由で呻き声が漏れる。
――消えたい
「朝から情けねぇツラしてんな」
シアンが妙に爽やかな顔で言う。今日もムカつくほどお綺麗な顔だ。
「うるせぇ」
「昨日はあーんなに元気だったのによぉ。木の上で肉がっつきながら獣化してたもんな」
「言うな!」
叫んだ瞬間、吐き気がぶり返す。
「うぷっ!」
「ぎゃははははは! だせぇ! 食欲に負けた護衛騎士サマ、だっせぇぇぇ!」
最悪だ。こいつ、マジで最悪だ。俺を指差しながら爆笑するんじゃねぇ。
オグも妙に機嫌がいい。鼻歌まじりに荷造りしている。
「いやぁ、すごかったなぁ。ユーイがあそこまで理性飛ばすなんて。オーク肉は依存性あるってことだよね?」
「忘れろ……今すぐ……昨夜のことは忘れてくれ」
「しかも木の上で膝抱えて『お前の分も俺のものだ!』って」
「やめろぉぉぉ!」
頭を抱える。思い出したくない。俺にこれ以上恥を与えるな。
オグはきらきらした目で俺を振り返る。
「ねぇユーイ、今朝もう一回作ってあげようか?」
「殺すぞ……」
「俺逃げるけど、俺を追いかけ回す元気あるの、ユーイ?」
「……消化した後ならば……」
シアンが腹を抱えて笑い転げる。
「おいオグ、今なら簡単にしつけられるぜ。皿持って走りゃ尻尾振って追ってくる」
「やめてくれ……、本当にやめてくれぇ」
「ありゃ、確かに『味覚の革命』だったぜ」
「黙れ」
悔しいが、完全否定できないのが腹立たしい。
あれはうまかった。
異常なほどに。
また食いたい気持ちが、めちゃめちゃある。一度ちゃんと消化した後で、だが。
「へぇ、今ちょっと食いたそうな顔したぜ、こいつ」
「してねぇよ!」
「した、した」
「したよな」
オグとシアンが俺の顔を覗き込んでくる。
「してねぇって言ってんだろ!」
反論した勢いで胃が揺れる。
「おぇぇぇ」
「ユーイ、どんどん口悪くなってきちゃっているなぁ」
「ああ。騎士がいいんかよ、そんなガサツで」
こいつら、本気で性格が悪い。
オグは鍋やらを冷凍庫に詰め込んで片付けた後は、昨日作ったせっけんも一つずつ収納していく。どうやら乾燥過程中のせっけんを冷凍庫に入れるのは初めてらしく、少し不安そうだ。最後に炒めたギィの白玉。一度洗った後はどの粒もあの虹色が浮かび上がっていた。俺が完全に理性崩壊してしまったので、ゆっくり考えてから後日実験してみるとオグが言っていた。
シアンは道路の先を指差す。
「ルーン村はこっちだ。だらだら歩いても夜にゃ着くはずだぜ」
「おぉ、じゃ、今夜はお店の夕飯かぁ! スープ楽しみだなぁ!」
「ユーイ、おめぇ、そこまで行けんのか?」
「遅かったら、シアンと先に行っていい?」
「お前らは先に地獄へ行きやがれ……」
俺は青ざめた顔で立ち上がる。一歩踏み出しただけで、胃が悲鳴あげる。
「……待て。やっぱ無理だ。置いて行け……」
「昨日の元気、どこ行っちまったんだ?」
「理性と一緒に食べちゃったんじゃない?」
朝の森に、シアンとオグの笑い声だけがやけに元気よく響いた。
◇◇
「これがダンジョン村!」
オグの無駄に弾んだ声に顔をしかめる。
結局、俺の腹が落ち着くまで二時間近く待つ羽目になった。その間も、オグとシアンは代わる代わる、ずっと俺を小突くように弄ってきた。人を「木の上の野獣」だの「怪力食い尽くし野郎」だの、思い出すだけで胃ではなく頭が痛い。
太陽はすでに傾き始め、山々を赤く染めている。
その麓に広がる小さな村、ルーン村。
「……でっか!」
小さな村はダンジョン景気のおかげで随分と賑わっていた。一年前に訪れた時の倍はある。家屋は倍増し、美味しそうな露店が並び、武器屋や防具屋まで軒を連ねている。工房から鉄を叩く音が色んな方向から飛んでくる。
「すごい! 冒険者が大勢! 初めて見たよ!」
オグが目を輝かせる。
「いや、おめぇも冒険者だろうが」
「え? 俺は料理人兼発明家兼勇者だけど?」
「肩書きが渋滞してんぞ」
シアンが笑う。
――――なぜ世界を救う勇者が三番手扱いなんだ?
最初は宿屋。
瞬時に「個別に部屋を取ろう」で一致した。考えていることは三人とも同じだ。今夜は好きに過ごせる。
静かな夜。
可愛い女の子。
至福の時間。
そう思っていたのに。
「その前に飯!」
オグという事故発生装置がいる。
だが彼が道中ずっと「スープ、スープ」と騒ぎ続けたせいで、俺まで飲みたくて堪らない部分もある。一日中歩き、昼飯も抜いたおかげで腹も普通に戻った。
「飯前に酒だろうが」
「ほどほどにしろよ。お前は酒癖が悪い」
「なんでだよ。おめぇは肉癖悪ぃだろうが」
「そんな癖はない」
「あったじゃねぇか」
言い合っていると、オグが真っ先に一軒の飲み屋へ突っ込んでいく。止める間もない。看板には大きく「ダン活」と刻まれている。
「……あいつ、名前で決めたな」
「分かりやすすぎだろ」
扉を開けた瞬間、熱気と酒の匂い、汗臭さ、腐った足の悪臭が顔面に叩きつけられる。中は冒険者らしき連中で埋まっている。鎧男、傭兵風の男、服から筋肉はみ出している荷物運搬男。
笑い声。怒鳴り声。グラスの激突音。
テーブルも床も酒や得体しれない固体だらけ。
可愛い女の子が一人もいない。
「うわぁ、すごい活気!」
オグは感動したように目を輝かせる。
「活気じゃねぇ、騒音だ」
「オレはこういう場、嫌いじゃねぇぜ」
シアンはにやつきながら空いているテーブルを見つける。
「おら、空いているうちにさっさと座んな」
仕方なく俺とオグも向かいに座る。テーブルの表面は何かしらの液体でぬめっている。
すぐにひげの長い爺さんが慣れた様子でやって来る。
「注文は?」
「スープとお酒!」
オグが食い気味に叫ぶ。
「早ぇな。液体と液体じゃねぇかよ」
「だってずっと飲みたかったんだもん」
「じゃあ、オレは肉盛りと酒」
「俺はスープだけでいい」
「なんでだよ。付き合い悪いよ、ユーイ。彼にも酒をお願い」
「勝手に注文するな」
爺さんがいなくなると、すぐに周囲の視線がちらちらとこちらへ向いている。
目的は明らかにシアンだ。
整った顔立ちに、エキゾチックな肌色、長いまつ毛、金の瞳、可愛い唇。黙って座っていれば、色気のある踊り子姉さんだ。
「おい」
隣のテーブルの大男が肘でにやつきながら仲間に合図する。
「見ろよ。えらい別嬪じゃねぇか」
「……胸全然ねぇぞ。男じゃねぇのか?」
「どっちでもいいだろ。こっち来てもらおうぜ」
嫌な流れだ。
俺はわずかに椅子を引いて、対応できるようにする。シアンは完全に男どもを無視している。
「おい、姉ちゃん、いや兄ちゃんか? こっち来て一杯しねぇか?」
シアンは男を無視し、きた酒を持ち上げる。
「おう、カンパーイ!」
「カンパーイ!」
「……乾杯」
今夜、この先、不穏な予感しかない。
「おい、美人ちゃん、聞こえねぇのかよ?」
シアンは男を無視したまま、酒を景気よく飲み始める。
隣のオグは俺の方に身を寄せると小声で俺に囁く。
「ねぇ、これって怒ってるよね?」
「いや、まだだ。今は機嫌が悪くなっただけだ」
「それって『怒っている』って言わない?」
「これから『怒る』」
次に料理が運ばれてくる。普通の肉が入ったスープ。固い味のないパン。普通の肉の炒め物。
「これが普通のスープかぁ!」
オグが嬉しそうにスプーンを手にする。
その瞬間、また別のテーブルから声が飛んできた。
「おい、踊り子! そんな地味な連中なんかやめて、こっち来い! 可愛がってやる」
今度は五人組だ。完全に酔っぱらっている。
シアンのこめかみがぴくりと動く。
「踊り子の分際で無視するんじゃねぇって!」
一人が立ち上がり、シアンの肩へ手を伸ばす。
俺はその男を止めようとしたが、 遅かった。
シアンの手元のグラスが消える。
そして。
パリンッ!
グラスが男の顔面にめり込む。男は後ろの椅子ごと、吹き飛ばされる。
店内が静まり返る。
シアンはゆっくりと立ち上がり、地を這うような低い声を出す。
「誰が踊り子だ、モンスターのゲロみてぇなツラしやがって」
「て、てめぇ!」
男の仲間二人が椅子を掴んで突っ込んでくる。
シアンは片方の椅子を蹴り砕き、もう片方の腕で肉料理を別の男の顔面に叩きつける。
「うぉぉぉぉぉぉ!?」
「喧嘩だぁ!」
なぜか別のテーブルの男まで興奮して乱入してくる。
「なんで増えるんだよ!」
俺が叫ぶ間にも、誰かが酒瓶を投げてくる。
オグは目を輝かせて左右を見渡す。
「え、すごい! これが冒険者の大乱闘!」
「見世物じゃねぇぞ、若造!」
屈強な筋肉男がシアンへ飛びかかる。
シアンがそれを軽くかわすと、男は俺たちのテーブルへ衝突する。スープが宙を舞う。
「俺のスープ!?」
オグが絶叫する。
「ふざけんなぁ!」
そしてオグが参戦。
酔っ払いの背中に飛び乗り、空になったスープ皿で次々と頭を叩いていく。男が崩れると、また別の男の背中へ飛び移る。
「俺のスープを返せ!」
「知らねぇよ!」
その横でシアンは笑いながら男どもを翻弄し、綺麗に舞っては固いパンで顔を叩く。
「飯は武器じゃない!」
俺の叫びも虚しく、今度は誰かが俺にぶつかる。
「邪魔だ、兄ちゃん!」
「いい加減にしやがれ!」
俺はそいつの襟首を掴み、そのまま扉へ放り投げる。男は扉を突き破り、外へと転がっていく。
店内が一瞬、静まり返る。
「……お」
全員の視線が俺に集まっている。
次の瞬間。
「なんだあいつ、強ぇぞ!?」
「面白ぇ、ぶっ殺せぇぇぇぇ!」
「増えんなぁぁぁ!」
こうして、俺たちの最悪なダンジョン町の夜が始まった。




