◆第30話「リド村の頑固者と、黄金のタマネギ」
王都から馬車で五日。険しい峠を越えた先にあるロミナ地方のリド村は、世間の喧騒から取り残されたような静かな寒村だった。この村は、かつてエリシアの祖父が治めていた領地の一つだった。土地は痩せており、派手な特産品はない。あるのは、冷涼な気候を活かした、身の締まった食用ジャガイモ畑だけである。
その村の入り口に、場違いに豪華な漆塗りの馬車が停まった。王都の投資銀行「グランド・ポテト・バンク」の紋章が入った馬車だ。降りてきたのは、泥で汚れるのを極端に嫌がる素振りで靴を見る、若いエリート銀行員だった。
「……やれやれ。こんな僻地にまで来なければならないとは。ノルマのためとはいえ、気が滅入る」
彼はハンカチで鼻を覆いながら、村役場の掘っ立て小屋へと向かった。
役場の前では、初老の男が薪割りをしていた。日焼けした顔に、節くれだった太い腕。村長のハンズだ。
「おい、爺さん。村長はいるか? 王都から『富の話』を持ってきてやったぞ」
銀行員が声をかけると、男は斧を置いて汗を拭った。
「私が村長のハンズだが。……富の話なら、間に合ってるぞ。今年のイモは豊作だ」
「ハッ! イモの話などしていません。もっと高尚な、金融の話ですよ」
銀行員は小屋の中に入り、持参した『PPP』のパンフレットをテーブルに広げた。
「村長。単刀直入に言います。村の積立金を、すべてこの証券に変えてください。年利20%を保証します」
「20%?」
ハンズが眉をひそめた。
「そんなに増えるのか。どうやって?」
「高度な金融工学によってリスクを分散し、未来の収益を現在価値に割り引いて再投資することで……」
「待て待て」
ハンズは太い指でテーブルを叩いた。
「俺は学がないんでね、難しい言葉はわからん。……要するに、誰が汗をかいて、その20%を稼ぎ出すんだ?」
銀行員は苛立ちを隠そうともせずに言った。
「だから、誰も汗などかきませんよ。お金自身が働くのです。魔法のような錬金術だと思ってください」
「魔法、ねぇ……」
ハンズは、囲炉裏の火を見つめながら、遠い目をした。
「……昔な。俺が若かった頃、『黄金のタマネギ』ってのが流行ったことがあった」
「は? タマネギ?」
「ああ。王都から来た商人が言ったんだ。『このタマネギの球根は、特別な肥料をやれば金色の花が咲く。王族が高値で買うから、今のうちに買え』とな」
ハンズは自嘲気味に笑った。
「村中の若者が飛びついたよ。俺も親父のへそくりを盗んで買った。……で、どうなったと思う?」
「……さあ? 花が咲かなかったのですか?」
「いや、咲いたさ。ただし、普通の花がな。だが、その頃には商人は消えていた。残ったのは、食えもしない不味いタマネギと、借金だけだ」
ハンズは銀行員を鋭く睨みつけた。その眼光は、長年、厳しい自然と向き合ってきた者特有の重みがあった。
「俺はその時、死んだ親父に誓ったんだ。『自分たちに理解できないものには、二度と手を出すな』とな」
ハンズはパンフレットを指先で弾いた。
「あんたの説明は、あの時のタマネギ売りと同じ匂いがする。……『なぜ儲かるか』を、この村の子供でもわかるように説明できないなら、それは詐欺と同じだ」
銀行員は顔を真っ赤にして立ち上がった。
「無礼な! 我々は王都の一流銀行ですぞ! 詐欺師と一緒にしないでいただきたい!」
「なら、帰ってくれ。俺たちはイモを作る。作ったイモを売って、その金でパンを買う。それ以上の『魔法』はいらん」
「……フン! これだから田舎者は! 一生、泥の中で這いつくばって貧乏生活をしていればいい!」
銀行員は捨て台詞を吐いて、パンフレットをひったくり、小屋を出て行った。
馬車が去っていく音を聞きながら、ハンズは再び薪割りの斧を手に取った。
「貧乏で結構。……だがな、最後に腹を膨らませるのは、証券じゃなくてイモなんだよ」
リド村は、王都からの誘惑を拒絶した。周りの村々が「開墾ローン」に手を出し、山を削り、湖を埋め立てていく中で、彼らは頑なに、先祖伝来の畑だけを耕し続けた。彼らは「時代遅れ」と笑われた。だが、その頑固さこそが、やがて来る嵐から村を守る最強の防壁となることを、ハンズは本能で悟っていたのだ。




