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10.椿

葉一の働くBAR柳は【完全紹介制】

基本的にオーナーの柳会長からの紹介が無ければ、店内に立ち入る事すらできない。

外に漏れる心配がない機密性の高いBARでどのような話が繰り広げられるのか

「いつものところでよろしいですか?」

「ええ。お願い。」

椿は、後部座席で運転手に答える。

このやりとりも何回目だろうか。

社屋駐車場から出口へ向かうスロープから夕闇が見えてくる。

自らも夕闇に染まる時間帯だ。


椿は何の気なしに自己の想いに沈み込んでゆく。


椿は、才女であった。法学部在学中に司法試験に受かり若くして弁護士となった。

ただ弁護士として活躍したかったわけではない。

法学部に所属するものとしてついでに受かったにすぎない。

むしろ、もっと刺激的なことにチャレンジしたいこともあり海外に出ることも考えた。

そんな中とりあえずと就職した柳会長のもと秘書室に配属された。

秘書室は通常業務の他対外的な秘密業務もあると聞いた。

エリートの最たるものとしての誇りよりも先輩方がほとんど出社せず明らかに秘書業務ではない何かをしている方が気になった。

秘書業務は新人に毛が生えたような人材しか対応していない。


椿は非常に気になったが先輩方は誰もが「ちょっとしたおつかいよ。」としか答えてくれない。

椿の好奇心と刺激を求める心はいやが応にも高まったが、才女であるハズの自分ですらたちうちできない有能さが目の前にあった。


そんな中現場を知るためにと不動産部仕入課に手伝いがてら配属された。宅建士の資格なぞ片手間にすぎない。本来受験者が宅地建物取引業に勉強を絞り、後にまわされがちな科目である民法で満点を取れるのだ。それこそ司法試験受験中についでに取っておいた資格だ。


仕入れ土地の現場に行きメジャーで接道を図った。旗竿地の接道部は2mちょい。他の人間が何十億のビルを仕入れるなか、たかが1億切るような居住用建物の転売なんてとさらさらと決済を終わらせ売却課に書類を回した椿は、次の仕入れ資料を見ながら秘書室に戻る前に大きい決済をしたいなと考えていた。


上司が売却課の副課長と一緒にやってきた。

「仕入れ前に測量部に調査依頼をかけなかったのか?」と。


住宅への進入路の接道は測った。2m以上あった、接道対象の道路は県道だったし40年ほど前の地積測量図でもなんの問題もないはずだと答える椿の前に確定測量図が広げられた。売却課が測量部に測量を依頼したのだろう。進入路の接道部分は黒字で「2.12m」とあった。同時に進入路の中ほどに道路幅が示され、赤字で「1.98m」と記載があった。


「秘書室からの応援は万能と思っていたのだがこんなミスをするとはな。秘書室に報告せざるをえんよ。」


住宅への進入路はどこを測っても全ての部分で2m以上なければならず、そうでなければ住宅を建築することはできない。

こんなことは建築基準法の初歩であり、建築できなければ土地の価値は半値以下。

売買契約書には、「現状有姿」の特約があり契約不適合責任を相手方に追及することはできないし、椿の会社の不動産部は当然「不動産業者」だ。古い時代の測量図面は「縄伸び」といってcm程度の誤差は普通にある。だから事前調査のための測量部が存在するのである。


ケアレスミスで5000万円以上の損失を出した椿は、1週間の自宅謹慎の後、会長室に呼ばれることなった。


クビかもなぁ。そしたら弁護士登録でもして開業しようかしら。こんなミスが広まればこの業界にはいられないし。とはいえ「ケアレスミスで5000万円損害」だけでどの業界でも苦しいのは当然だ。


そんな椿に会長は思いもよらぬことを言い出した。

「私には趣味があってね。『人生とはなんぞや』ってことなんだよ。」


意味が分からない。


応接に小さく座る椿に背を向け本棚のファイルを見ながら会長は続けた。

「古来より『人は人によって磨かれる』といった高尚なセリフから『私の人生を変えた出会い』といった一般大衆本のタイトルみたいなことまで色々と言われている。そんな中、私は人は他人の人生と言う物語にどこまで干渉できるのかが気になり、そして干渉した結果の物語を知りたいと思うようになったんだよ。」


椿は会長が見る本棚のファイルの背表紙に気がついた。

通常であれば、OO決算レポートやOO事業計画書といった堅苦しい背表紙が並ぶはずだ。

なのにそこに書かれているのは、「灰かぶり姫」、「エレンディラ」、「御伽草子」といったものが並んでいる。

「灰かぶり姫」は白雪姫のことだろうと推測がたつ。「エレンディラ」はノーベル文学賞のガブリエル・ガルシア=マルケスか?なら「御伽草子」は太宰治?

全く脈絡がないし、似つかわしくないにもほどがある。


「私は初代でここまで会社を大きくして十分に満足している。かといって社会貢献にも興味がない。そして若くして引退する条件として秘書室を与えてもらった。」


会長は椿の目の前に無地のファイル類を雑然と積み上げ対面のソファーに腰かけた。


「非常に有能な人間がケアレスミスをする。そんなときはプライベートに悩みをかかえている。もしくは職場の人間関係等といった他に集中力が削がれる事由がある。」


会長が椿の目を覗き込む。


「どれも該当しない場合は、『つまらない』んだよ。」


椿は心拍数がはねあがるのを自覚した。


会長は続ける。

「ケアレスミスにより通常業務ルートを外れた省略業務を行った君は会社に5000万円を超える損失を生じせしめた。君には選択肢がある。懲戒を受けるべきところ自己都合退職として起こした事実を相互に秘し新しい人生を進む。もしくはペナルティとして会長直属業務につき激務の中修正指導を受ける。という名のもとに私のライフワークの補助をする。そして業務完遂後に解消したとして秘書室に戻る。」


椿は気づいた。自分より何段も上のミステリアスな先輩方がやっていることを。


椿は視線をファイルに移す。乱雑に積まれた資料からBAR柳といった文字や店舗図面、興信所の人物調査報告書といった文言が目に入る。


増えた心拍数が下がる気配がない。自分の能力のどれだけをつぎ込めば完遂できるのだろうかと考えるだけで様々な想いが浮かんでは消える。

「刺激的ですね。」


会長は笑った。「そう言うと思ったよ。」


繁華街の端に止めた車から降りた椿は暗くなりゆく中、逆に明るくなっていく繁華街に向かって歩く。


今日は何を飲もうか。


椿は自らを詐称し物事を動かそうとする自分をむしろ面白く感じている。

「幇助犯」そんなくだらない構成要件にひっかかるほど無能じゃない。

臨床心理や脳科学、催眠術すら学ぶ気になった。何を学んでも面白い。

全ての学びが自分の血肉となり実践がそれを固める。


楽しくて仕方ないと感じる自分は悪女なのだろうか。


「悪女ねぇ」


使い古されたような単語を思い浮かべてしまった椿はつい独り言を呟きながら笑ってしまう。


飲む酒は決まった。


BAR柳の扉を開けながら天真爛漫を絵にかいたような椿が店に入ってきた。

店にはいつものように葉一がボトルを磨いていた。


「ナイスタイミング!葉一君ちょうどそれの水割り飲みたかったのよ。」


ボトルの銘柄は「フォーローゼス」アメリカ産のバーボンだ。


いつだって悪女には4本の薔薇(フォーローゼス)がつきものなのだから





「椿」さん誕生話でした。

そもそも4本の薔薇はいい話なんですよ。

ですが青柳友子さんの悪女シリーズ(1986)のおかげでそっちの方が有名になったまである。

テレビにもなったし。ちなみに「土曜ワイド劇場」です(笑)

20%近い視聴率なんて今では考えられないですね。

火曜サスペンス劇場と土曜ワイド劇場の影響でその曜日のチャンネル主導権は母がガッツリ握ってたのが懐かしい思い出です。

どうでもいいことですが個人的には黒ラベルのフォーローゼスが一番好みです。

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