第20話 ドラゴン狩り
特班の班長――今津稜護は青空で旋回する翼竜のシルエットを睨み付けた。
大前提として、圧倒的に不利な点が二つある。
一つ目は敵の姿が見えないという点。
攻撃するにしろ、回避するにしろ、透明な相手では後手に回らざるを得ない。全長十五メートルもの巨体であり、細かい狙いを付けなくても良い事がせめてもの救いか。その重量が破壊力に繋がるため、一概に利点と言えないのだが。
二つ目は相手が空を飛んでいる点。
獲物を見つけた猛禽類みたいに旋回している高さは、円塔の屋上から五十メートルは上空。手が届くのは闘術の歩法『宙蹴脚』が使える自分と霧沢直也だけだ。身体強化では足りない。移動関連を専門的に鍛えた御代僚でも不可能だろう。
「(攻撃を届かせるだけじゃ意味がない。致命的な一撃を浴びせるためには、どうにかして距離を詰めないと!)」
気に掛けるべき点は他にもある。
足場にしているのは、西洋の城にある見張り台を手の平で押し潰したデザインの円塔の屋上。広さは直径四十メートル程度で、落下防止の石壁だって腰の高さまでだ。いくら身体強化が使えるとは言え、余波を受けて落下するだけでも致命傷になりかねない。
闇雲に突っ込むのは命取り。
個人プレイでは限界がある。
「闘術を使えるオレと直也が前衛、僚は射撃による後方支援! 氷華は遊撃手だ! 攻撃目標は全長十五メートルの翼竜! 何とかして地上に引き摺り下ろしてくれ! 最後はオレの最大火力を零距離から叩き込む!!」
「了解!」
隣にいた霧沢が鋭く叫ぶ。
訓練刀――鍔のない黒い長刀を構えて、体から赤い界力光を迸らせた。何本ものガスバーナーを束ねるよりも激しく放出される燐光。闘術発動に必要な氣を溜めているのだろう。こちらも先ほどの攻防で消費した氣を補充するために、特殊な呼吸法を使い、界力下垂体で生命力を純粋なエネルギーに変換していく。
だが、敵はこちらの準備など待ってくれない。
「攻撃の予備動作を確認――体と首を持ち上げ……っ、あれは咆哮!? 咆哮が来ます!!」
遠江という霧沢の同級生が叫ぶのと同時だった。
翼竜は十メートルはある両翼を強く羽ばたかせ、長い首を持ち上げる。軽く開いた顎の隙間から漏れ出すのはエネルギーの奔流。紅蓮の業火でも撃ち出すが如く、鋭く尖った頭部を何度も連続して振り下ろした。
それはまるで、夜空を彩る流星群。
これまでの突破力重視の咆吼ではなく、面で制圧する絨毯咆吼。たった一発で人体をゴルフボールみたいに吹っ飛ばせる破壊の塊が、隙間なく景色を埋め尽くして迫り来る。
「氷華に任せてください!!」
背後から聞こえてきた頼もしい声。突風のようにすぐ隣を駆け抜けていった小さな背中を見て、回避に動こうとした体が動きを止める。
一瞬の決断。
これでもう翼竜の絨毯咆吼の範囲から逃れる事はできない。それでも、動く必要などないと言わんばかりに氣を溜め続ける。
直後だった。
ピッキィィィッッッ!! と一瞬にして空気が凍り付く。
出現したのは、横に連なる何本もの氷柱。
それは白詰氷華の足下から天を衝く勢いで屹立した城壁だった。
儀式術式『ニクスの涙』。
記憶次元に保管された雪の神『ニクス』にまつわる伝承を再現する術式だ。発動に必要な供物は雪と冷気。雪の結晶を模した髪飾り――界力武装に触れて冷気を感じることで、白詰氷華は天候すら操作する神の力の一端を引き出せる。
そして、降り注ぐ。
絨毯咆吼が氷の壁へと着弾する。
下から突き上げる激震が、円塔全体に炸裂した。
辺りに着弾した咆吼の余波だけで体が持ち上がりそうになる。竜巻に巻き込まれたような状況。飛び散った石床の破片が鋭利な刃物と化し、風に乗って容赦なく襲い掛かった。
「俺が行く!」
先の見えにくい嵐の中、隣にいる霧沢が訓練刀を持ち直す気配が伝わってきた。鍔のない黒い長刀の切っ先を石床に向け、右足を引いた半身の格好だ。
奔水の構え。
霧沢の精神内に存在する『保管領域』に記憶された術式の中で、特に移動系の技と紐付けした構えだ。闘術は任意の術式を素早く保管領域から引き出すため、術式と構えを連動させる。術式情報を『構築領域』に送って最適化。『界力演算領域』から伸びた路を経由させて界力次元へ投影する事で、英雄達の絶技を再現するのだ。
一瞬にして、灰色に染まった景色に孔が開く。差し込んでくる陽光を反射してキラリと輝く氷壁の破片。それらは全て長刀を握り締めた霧沢が、射出されたような勢いで跳び上がった証拠だった。
歩法『宙蹴脚』と身体強化の併用。宙に即席の足場を生み出した霧沢が見えない階段を駆け上がり、一気に五十メートルの高さへと到達する。勢いそのまま黒い長刀を大きく振り被った。
一閃。
赤い輝きを纏った三日月型の軌跡が、翼竜のシルエットに吸い込まれる。
鉄同士をぶつける硬質な音が鼓膜を劈いた。
当たり所が悪い。長刀が振り下ろされたのは、尖った頭部や膜質な翼ではなく、ドラゴンの体表を覆う硬い鱗だ。やはり姿が見えていないせいで細かい狙いを付けるのは難しいのか。
間違って鉄塊をピッケルで叩いたみたいに、霧沢の体が大きく後方に弾かれる。そのまま為す術なく地面へ落下し――なかった。
ぐりんっ!! と。
唐突に翼竜の側面へ回り込む。それは真っ直ぐ転がっていた鉄球が磁石に引き寄せられるのにも似た不自然な軌道だった。
疾風乗り。
意図的に発生させた風を道と定義し、その間を高速で移動する術式。
瞬間移動とも見紛う速度で現れては長刀を振るい、敵の反撃に遭う前に姿を消す。あれは専用剣技『旋風』だったか。闘術発動後に必ず発生する硬直を無視して、疾風乗りを使い続ける技。一撃の破壊力よりも手数の多さで勝負する天穿風らしい戦い方だ。
だが。
「――逃げて霧沢君っ!」
無慈悲にも振り下ろされたのは、長い尾。
人間が耳元で飛び回る羽虫を手で払うのと同じ。邪魔な存在を遠ざけるためにドラゴンが暴れ始めた結果、偶然にも遠心力に彩られた凶刃が放たれたのだ。
見えない攻撃は躱せない。
異変に気付くも遅かった。鞭のように撓った一閃が、空中で無防備な霧沢の体に直撃した。
落下する。
猛烈な速度で石床に引っ張られる。
しかし、一直線だった軌道が唐突に斜めに曲がった。野球で言う所のスライダー。疾風乗りで強制的にベクトルを捻じ曲げ、硬い石床への激突を回避。鞠のように撥ねる事で勢いを削ぎ、近くの落下防止の石壁に当たって止まった。
「霧沢君っ!!」
悲鳴にも似た叫び声。霧沢の同級生という少女の顔は真っ青に染まっている。
舞い上がる粉塵の中で、訓練刀を支えにして霧沢がゆっくり立ち上がった。
「……大丈夫だよ遠江、心配するな。さすがに無傷とは、いかなかったけど」
つー、と額から垂れる赤い滴。着ている第一校区高等部のジャージもすでにボロボロだ。いつもは水晶のように冴え冴えとした黒い瞳も、流石に今は余裕を失っているのか荒々しい光が明滅している。
ほっと息を吐き出した女子生徒は、不思議そうに顔をしかめて、
「でも、どうして姿が見えないのに、あれだけ攻撃が……?」
「簡単だよ、風を読んだんだ」
ニヤリ、と得意げに片頬を持ち上げた霧沢が、空を見上げたままこちらに近づいてくる。
「俺の闘術『天穿風』は、風の中で最強を誇った英雄――ヴィンス・ニーグルの生き様を再現する界力術だ。翼を使って浮かんでいる以上、あのドラゴンは存在するだけで風を巻き起こす。充分な目印だ、その痕跡を読み取れば位置や動きは推測できる。翼竜って大まかな姿さえ掴めれば、あとは感覚でどうにかなるよ」
「感覚って、それだけ……?」
女子生徒が驚きと呆れが混じり合った表情で霧沢を見詰める。
「……まったく、どれだけ無茶苦茶なのよ」
「それで遠江、ドラゴンの背中ってどうなってる?」
「背中? どうって言われても、ただ硬そうにしか見えないけど。白い鉄みたいな鱗が岩肌みたいにゴツゴツとしてて……」
「やっぱりな。それだけ分かれば充分だ」
軽く頷くと、得意げな眼差しをこちらに向けてきた。
「直也、いけそうか?」
「問題ありません、条件は整いました。班長、ご注文通り今からアイツを叩き落としてやりますよ。止めは任せます。――それから氷華」
「はい!」
「バックアップを頼む。タイミングを見て氷で足場を作ってくれ。術式を切り替える一瞬だけは、どうしても必要なんだ」
「わ、分かりました……でも、」
肩を落とした白詰が、申し訳なさそうに両目を伏せる。
「氷華は先輩みたいに風を読んだりできないので、上手くタイミングを合わせられるかどうか……それに、『ニクスの涙』は術式領域がすごく狭いんです。具体的には氷華を中心として半径三メートルくらい。儀式術式は術式領域内でしか効力を発揮できません。『霜柱』の伝承を利用すれば術式領域を複数登録できるとは言え、姿も見えずに高速で動き回る敵が相手だと……」
「――影は?」
ぽつり、と黙って話を聞いていた霧沢の同級生が石床を見て呟いた。
「姿が見えなくても、地面に影だけはしっかりと映ってるでしょ。ねえ、貴方の術式領域って面積は狭くても体積はどうなっているの?」
「た、高さに関しては特に制限はありません……勿論遠くなれば精度は落ちますし、限界はありますけど」
「だったら影の下に走り込で、空に向かって界力術を使えば!」
「……確かに」
吟味するように呟くと、凪いだ湖面を彷彿とさせる静謐な瞳に鋭い光を浮かべて、幼い顔付きには似合わない勝ち気な笑みを浮かべた。
「いいですよ、やってみせましょう。あなたから言われたってのが気に食わないですけど、そんな詰まらない意地に固執するほど氷華は馬鹿な女じゃないですから」
「頼む。なら、あとは」
霧沢は赤い界力光を飛び散らせると、訓練刀の表面をさっと撫でた。すぅ、と黒い刀身に直線や図形を組み合わせた文様が浮かび上がる。
刻印術式。
始まりの八家の一つである『歳森家』が生み出した方式である。そして、霧沢直也が扱える三つの方式の一つ。出身である『天城家』の召喚術式や『夏越家』の闘術に比べて、まだ練度が低くく、あまり実戦で使おうとしなかったはずだ。
赤い光の文様に彩られて古代文明の儀礼剣のようになった訓練刀の切っ先を、離れた位置でこちらを見ていた御代僚に向ける。長身痩躯で明るい長髪を一本に括った少年は、意図を悟って力強く頷いた。鼻の高い爽やかな顔にはサプライズを企画するみたいに楽しそうな笑みが浮かんでいる。
「さあ、準備は整った」
奔水の構えを取る。
赤い輝きに包まれた訓練刀の切っ先を石床に向け、霧沢は大空に君臨する怪物を睨み付けた。
「ドラゴン狩りを始めよう! 英雄になる気のある奴はついてこいっ!!」
霧沢の体が、赤い残像となって消失する。
歩法『宙蹴脚』を使い、見えない階段を駆け上がる事で一気に五十メートルは上昇した。だが、黒い長刀を振わない。宙を蹴って高速でドラゴンの周囲を飛び回り、動きを制限させつつ注意を引き付ける。
その隙を狙って、白詰が動き出す。
旋回を止めたドラゴンの真下。大きな影へと走り込み、雪の結晶を模した髪飾りに触れた。
雪の神『ニクス』が、天候を操ったという伝承を利用した術式。術式領域内に氷を生み出し、任意の方向へと射出する――その応用。
まるで食塩水の中に入れた一粒の塵を核として、塩の結晶が形成されていく様子を早送りで再生したみたいな光景だった。
霧よりも曖昧だった白い靄がみるみる内に輪郭を帯び、ゴツゴツとした表面と共に質量を獲得していく。ギシギシギシッ!! と急激な温度の低下によって空気が軋んだ。あっと言う間に棺桶サイズの氷塊が存在を固定される。
とんっ、と。
軽い音を立てて、霧沢が氷塊に足を付けた。
浮遊するドラゴンの直上。洞窟の天井からぶら下がる蝙蝠みたいな格好になった直後、ッッッッズン!! と、霧沢の全身から天地を揺るがさんばかりの圧が放出された。訓練刀を右手だけで持ち直し、左手は正面に突き出す。
無明の構え。
萌芽青嵐――風の中で最強を誇ったヴィンス・ニーグルの伝説を再現する術式だ。そして、四月末の模擬戦で勝利を決定付けた専用剣技を発動するための下準備でもある。
「セェッ、ァァアアアアッ!!」
咆吼と共に、霧沢が氷塊を蹴った。
猛烈な速度で真上からドラゴンに肉薄する。切っ先を下に向けた状態の訓練刀を、両手で握り締めて持ち上げた。背中を弓なりに反って力を溜め、怪物の背中を覆っている硬い鱗に狙いを定める。
そして、穿つ。
限界まで蓄積させた力を解放する。
真紅の流星と化した長刀の剣尖が、岩肌よりも硬いドラゴンの背鱗に深々と突き刺さった。
苦痛から逃れるためにドラゴンが暴れ始める。陸に打ち上げられた魚よりも激しくのたうち回り、一気に高度を落としていった。
専用剣技『天穿風』。
何物にも囚われず世界中を飛び回ったヴィンス・ニーグルの生き様の再現。
立ちはだかる障害を対象に発動。それが概念的に『自分の行く道を遮る存在』だと定義できれば問答無用で破壊する脅威の術式である。
だが。
「……くそっ!」
足りない。
届かない。
背鱗に突き刺さる訓練刀にしがみ付く霧沢だが、安全設計を無視した絶叫マシーンの遠心力に負けて吹っ飛ばされた。歩法『宙蹴脚』を使って空中で姿勢を整えつつ減速する。宙と擦れる運動靴の底からは火花のような赤い界力光が飛散した。
「僚先輩!」
「はいよ、待ってたぜっ!」
三十メートルは高度を落としたドラゴンに向かって、御代は両手で構えた銃型界力武装――固有武装『アクディートAMs3-07』の銃口を向ける。小型の外付けHDDを幾つも取り付けたみたいに頭でっかちな銃身に、素材が剥き出しで無骨なデザイン。拳銃と呼ぶには少しばかり歪な形状の界力武装に、血が通うように黄色い光のラインが走った。
片目を閉じて狙う射線の真ん中には、ドラゴンの背鱗に突き刺さったままの訓練刀が収まっていた。
「R.I.P.――英雄からの気の利いた贈り物だ、遠慮無く味わえよ怪物っ!!」
電子音を重ねて加工した発砲音が連続して炸裂する。
夏空を引き裂いて飛翔する三条の閃光。
しかし、当たらない。
御代からドラゴンまでは三十メートル以上の距離があるし、何より姿が見えていない。それに距離が開けば弾丸の威力は減衰していく。いくら相手が巨体とは言え、有効打を与えるのは困難を極めるはずだ。
そう。
御代が放った銃弾が、普通の界力弾だったなら。
明確な変化があった。
意志を持ったと錯覚するほど不自然に弾丸の軌道が折れ曲がる。それぞれの弾丸は別々の方向からドラゴンの背中に――正確に言えば、霧沢が突き刺した訓練刀に吸い込まれていく。
バヂバヂバヂッ!! と思わず耳を塞ぎたくなる高音が弾け飛んだ。
刻印弾『雷の沼』。
術式情報を込めた特殊な界力弾だ。刻印弾に込められた界力術さえ発動すれば、距離による威力の減衰を無視して問答無用の破壊を巻き起こす事ができる。
弾丸の軌道修正には訓練刀に刻印された術式を目印に使用したのだろう。即席の誘導弾。霧沢と御代が編み出した連携技である。
避雷針に連続して落雷するような状況。ドラゴンの全身を黄色の輝きが走り抜ける。流石に許容量を超えたのか、動きを止めたまま全長十五メートルの怪物が円塔の屋上へと落下してくる。
「ありがとう皆、作戦通りだ」
硬く、硬く、拳を握った今津が、大きく胸を張って腕を引く。途端、栓を抜いたみたいに溢れ出した莫大な量の界力光が、石床や周囲の景色を紫色に染め上げた。
まるで、火柱。
余りにも強大な力を押さえ込もうとしたせいか、ぼごっ!! と体が一回り膨らんだ気さえした。放つのは近付く物を弾き飛ばしてしまいそうな圧力。軸足に力を込めたせいで石床に亀裂が走る。
そして、ドラゴンのシルエットへ、全エネルギーを集約させた右腕を激突させた。
たった。
それだけで。
轟ッ!! と。
途轍もない衝撃が一直線に世界を蹂躙した。
遠く離れた場所からその光景を目撃したなら、SF映画でしかお目にかかれない高出力のレーザー兵器が放たれたと勘違いするかもしれない。それ程までに異常な光景。紫色を帯びた破壊の奔流が夏空を突き破る。
吹き戻しの強風に晒される中で、今津は短く息を吐き出した。
半透明だったドラゴンのシルエットは、完全に気配を消している。
まるで嵐が過ぎ去ったような静寂が、そこにはあった。
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