第21話 『彼女』の結末
今津稜護は凄まじい速度で御嵐山を下りていた。
身体強化を使って斜面や木の幹を蹴り、時には歩法『蹴宙脚』を交えて道無き道を突き進む。紫色の界力光と共に木々の隙間を潜り抜けるその挙動は、アクション映画で高層ビル群の合間をアクロバティックに飛行し続ける戦闘機に似ていた。
目的地は国立界力学博物館の裏手にある『遺跡』だ。生徒の誘導や戦闘の後始末は他の特班メンバーに任せて全力で向かった結果、本来なら二時間近く掛かる山道を僅か二十分足らずで踏破してしまった。
「稜護君!」
辿り着くや否や、強張った顔の早乙女京子が駆け寄ってきた。
「報告は聞いているわ。無事で良かった、本当にお疲れ様」
「ありがとうございます。優秀な班員を持ったオレは幸せ者ですよ」
得意げに笑ってみせると、ストライプの入った白いワイシャツに黒いタイトスカートを履いた特班顧問はホッと表情を柔らかくする。
「それで、あそこにいるのが……?」
「ええ、例の生徒よ。しかも何の偶然か、霧沢君の同級生みたいね」
緑の中にぽっと存在する背の低いコンクリート製の人工物。六家界術師連盟が一般公開を禁じた『遺跡』を祀る平屋の前で、一組の男女と国立界力学博物館の館長である奥田仁史が何やら言い合っていた。
主に話しているのは、第一校区高等部のジャージを着た女子生徒だ。
薄菫色のショートカットに、紫縁の眼鏡を掛けた華奢な身体。大切そうに握っているのは節くれた大木を加工した杖か。丈は一メートル程で、まるで絵本に出てくる魔女が持っていそうなデザインだ。レンズの奥にある優しげな瞳に力を入れて、真摯に言葉を紡いでいく。
隣に立っているのは、細身だがガタイの良い少年だ。風を受けたみたいに逆立つ髪に、目鼻立ちのクッキリとした顔。荒削りで活力に満ちた様子は、陽射しを受けて輝く五月の新芽を想起させる。理由は不明だが、着ている第一校区高等部のジャージは、過酷な戦場を生き延びた軍服ようにボロボロだった。
「片羽翔子さんと、上柳高澄君よ。どうやら他の生徒とは別行動していたみたいでね、誰よりも早く下山してきたの。それで建物のセンサーに引っ掛かって警報が鳴って、私と奥田先生が駆け付けたって訳」
細い腕を組み、眉を顰めて息を吐き出す。肩口から垂れるサイドテールが左胸の上で揺れた。
しばらく様子を見ていたが、議論は白熱するばかりで終息しそうにない。手に終えないと判断したのか、ポロシャツにスラックスとラフな格好の奥田仁史が人の良さそうな顔を困惑に染めて歩いて来た。
「仁史先生、どうしましたか?」
「いやね、あの子達が遺跡の中に入れてくれってしつこくて……六家連盟の許可なく立ち入らせる訳にはいかないって言っても聞かないんだよ。僕の裁量じゃどうにもならないのに」
「遺跡に? 変ですね、あの建物に遺跡が隠されている事は極秘なはずなのに……」
「それも含めて色々と要領を得なくてね。遺跡に入りたい理由を聞いても、天風島の界力術を在るべき姿に戻すとか、幽霊の女の子を助けるとか、僕には何が何だか……」
眉根を寄せて、首を横に振った。
興味本位だけの生徒なら無理やり突っ撥ねる事ができただろう。だが、あの二人の態度は真剣そのもの。感情に任せて怒鳴ったとしても食い下がってくるはずだ。やるべき事を果たすまでは梃子でも動かないという強い意志を感じる。
「オレが話してみましょう。まだ学生の身分ですが、これでも六家連盟の一員です。何かできる事があるかもしれません」
「悪いけど、お願いできるかい?」
奥田と代わり、二人に近づいて行く。
すると上柳が前に踏み出して、鋭い視線をこちらに――正確には腕に巻いた『風紀委員会』の腕章に向けてきた。第一校区の風紀委員会は腐敗しているのは周知の事実であり、自分はその副委員長だ。彼の警戒は至極真っ当だと言える。
「第一校区風紀委員会、副委員長の今津稜護だ」
二メートル程の距離を開けて立ち止まる。
「安心してくれ、オレは君達を処分して取締点数を稼ぐ気はないから」
「……俺達がその言葉を信用できる根拠は?」
「ここは第一校区じゃないからね、元々そんな権限はないよ。それに君達を不当に処分したなんて知られれば、今度はオレが直也に刃を向けられる」
「霧沢、に……? って事は知り合いなんですか?」
「ああ、直也は大切な仲間だよ」
ニッと頬を持ち上げて快活に告げてやると、上柳の眼差しからみるみる棘が取れていった。隣では片羽が安堵に胸を撫で下ろしている。霧沢直也という名前は想像以上の効果を発揮してくれたようだ。
「教えてくれないか、どうしてその建物に入りたいのかを。正直、オレには君達が悪ふざけをしているようには見えないんだ。その真剣な様子……何か理由があるんだろ? それに、『遺跡』の存在を知っているのも気になるしね」
「わ、私が説明します……信じてもらえないかもしれないんですけど、これから話す事は全部本当の――えっ!?」
ぱっと、淡い輝きが弾け飛ぶ。
驚愕に目を見開いた片羽を中心として、森の緑が大海原のように青く染め上げられた。梢の隙間から差し込む夏の陽光を受けて、ダイヤモンドダストみたいな燐光が輝き舞う。
「……な、に?」
最初。
ふわりと視界の中に現れたその存在を、正しく認識できなかった。
先程まで戦っていたドラゴンと同じく、光の屈折率が変化しているとしか思えない『歪み』。それが少女の姿を形取っていると気付くまでには少しばかり時間を要した。着ている服が特殊なのか、朧気な輪郭では判断しにくかったのだ。
「ど、どうしたの? 急に出てきたりして……何かあった?」
肩越しに振り返った片羽は、何も存在しないはずの空間に向けて言葉を放った。そこに誰かいるのが当たり前と言わんばかりに。
「君が、その少女を……?」
「この子が、観えるんですか? そうか、だから」
「ちよっと待ってくれ、君は一体何を言っている? その少女は何者だ? オレにも分かるように説明してく――」
落雷よりも鮮烈な閃きが、一直線に脳裏を過ぎる。
耳にしていた幾つもの情報。真っ赤な嘘で塗り固められた白竜伝説の真実や、天風島に仕掛けられた界力術など。それらが何の前触れもなく繋がった。激戦の後で冴え渡った直感が、点と点だったピース同士を嵌め合せたのだ。
「まさか、その子が『幽霊の少女』……? 白竜伝説で呪い師によって平穏な生活を奪われた女の子だって言うのか!?」
こくりと首肯した片羽は、背後でふわふわ浮遊している少女のシルエットに目配せをしてから正面に向き直る。
「今津先輩、私達はこの子と白竜を救いたいんです。そのために『遺跡』を使います。天風島に仕掛けられた界力術を再び書き換えるためには、どうしても『遺跡』の力を借りるしかないんです」
「具体的には、何をするつもりなんだ?」
「この杖を石の台座に設置して、天風島の界力術を正しい内容に上書きします。あの台座は術式にとって重要なポイントで、情報を入力できる唯一の場所なんです」
両手で抱えた節くれた木杖を持ち上げ、両目に力を込める。
「天風島で発動している界力術は未完成です。でも、完成させれば全ての問題が解決します。そのためにこの子はたった一人で準備をしてきたんです……何年も、何十年も、いつか救いの手が差し伸べられると信じて。何度も白竜に襲われた今津先輩なら、その必要性が分かるはずです」
「あのドラゴンについて、何か知っている事は?」
「天風島の結果に干渉した時……正確には、この杖を奪おうとした時に現れる自動迎撃術式、という事くらいしか」
「杖を……?」
「はい。元々、天風島の結界はこの『杖』を守るために創られたものですから」
一体、あの木杖にはどんな秘密が隠されていると言うのだろうか。
台座に突き刺すのだから、何らかの界力術的『記号』だという推測は立つ。だかその裏にどのような理屈が存在するのか見えてこない。落ちている部品を見てパソコンの一部だと分かっても、それがどんな機能を持っているのか知らないように。
「もう一つ訊きたい。君は、あのドラゴンが何者かによって意図的に呼び出された可能性についてどう思う?」
「そう考えて間違いないと思います。誰が、どんな目的で、までは分からないですけど……」
誰が、については心当たりがあった。
思い出すのはスクエア型の黒縁眼鏡を掛けた第二校区の男子生徒だ。目的については不明なまま。実験という言葉を使っていたが、何を試すためにドラゴンを呼び出したのかまでは分からない。
「(何にせよ、こうして立ち止まっているのはリスクでしかないか)」
黒幕の目的は不明だが、この状況を想定していたとは考えにくい。片羽翔子が天風島研修に参加したのは偶然だし、幽霊の少女が観えるだけではなく助けるために行動すると予想する材料はないのだから。
それに天風島で起きている問題について、最も解答に近づいているのはこの女子生徒だ。下手な口出しは状態を悪化させかねない。
「仁史先生、遺跡の鍵を開けてもらえますか?」
「ほ、本気かい稜護君!?」
両目を見開いた界力省の高官が、額から冷や汗を噴出させる。
「考え直した方がいいよ! いくら夏越御三家の長男とは言え、何かあったら一大事だ! 僕だって庇えないし、夏越家だって守ってくれないんだよ!! そもそも六家連盟に何て説明すれば……」
「親父にはオレから話を付けます。事後報告になりますが、問題はありません」
「だ、だけど」
「確信があるんですよ、きっとこの決断は間違っていないって。全責任はオレが取ります、だから……っ!」
頭を下げた。
まさかここまで協力的だとは思っていなかったのだろう。背後から片羽と上柳が息を飲む気配が伝わってくる。
「……分かったよ、今津家のご子息にそこまでされちゃ仕方ない」
奥田は渋々了承してくれた。コンクリート製の平屋に近づいて行き、南京錠を外してから緑色の界力石を扉に押し付ける。
「あ、ありがとうございます」
「気にしないでくれ、オレが必要だと思ったからやったんだ」
平屋の白い壁に回路図のような光の絵画が浮かび上がり、ゆっくり薄れていく。歩き出すと靄状の青い界力光を纏った片羽だけが付いてきた。上柳はそこで待っているつもりらしい。
両開きの扉を押して、中に入っていく。
狭い室内にあるのは、西洋剣でも突き刺さっていそうな石の台座だ。打ちっ放しのコンクリートの床に、汚れの一つも付いていない白亜の壁。台座以外の物はなく、全く人の気配が感じられない静謐は、何か大切な物を祀るための儀式場をイメージさせた。
両手で杖を抱えた片羽が、慎重な足取りで台座へと近づいていく。明かりとなるのは小さな窓から差し込む光だけだ。ぽわぽわと気泡みたいに溢れ出す界力光で淡い闇を遠ざける姿は、夜の海底を歩いていると思わせる程に幻想的だった。
「ん、なに?」
背後から話し掛けられたのか、片羽が石の台座の前で振り返る。不思議そうな視線の先には、少女のシルエットが浮かんでいた。
「……、」
数秒の沈黙。
ふっと、片羽の顔に木漏れ日よりも暖かい微笑みが咲く。余程嬉しかったのだろう。湧き上がる幸せを噛み締めるために淡い色の唇を綻ばせた。
「それじゃあ、行くね」
正面に向き直った後、両手で木杖を持ち上げて静かに台座へ差し込む。
光が、舞った。
雪よりも透き通り、朝の陽射しよりも眩しい、純白の輝き。
一面に咲き誇った白いアネモネの花が、そよ風の中で揺れるような光景だ。薄暗かった室内が、木杖の刺さった台座を中心としてたちまち淡く白く染まっていく。
「(白い、界力光……?)」
何故か、意識を強く引き付けられた。
それは、確信。
その輝きの中心――台座に刺さった木杖に触れれば、『何か』が分かる。台座に界力を流し込んだ昨日とは比べ物にならない程の『何か』を得られるという予感。
手を伸ばす。
それが危険な事だと分かっていても、全身に満ちていく欲望に逆らえない。
始めは逆風の中を歩くくらいの抵抗だった。しかし、次第に痛みを伴うようになってくる。
気付けば、無意識の内に全身から紫色の界力光が漏れ出していた。ただ近づくだけでは限界があると悟った瞬間、どうすれば良いのかを何故か自然と理解できたのだ。蒸気よりも激しく噴き出す白い奔流に体を埋めていく。
ッッッズギィ!! と猛烈な激痛が眉間の奥に突き刺さった。
『何か』が、入ってくる。
精神内の界力演算領域と界力次元を繋ぐ路を通じて、莫大なエネルギーの奔流が無理やり体内を侵してくる。狭窄する視界に、発火寸前まで熱を帯びる肉体。認識が朦朧としていくにつれて、正体不明の存在に肉体の所有権を奪われていく感覚に見舞われた。
今ならまだ、引き返せる。
辛うじて残った理性が、死を司る本能に警告する。
それでも、体は止まってくれない。
識りたいと思ったから。
観えない景色や、聞こえない声――そして、隠された『世界の真実』。
或いは。
中途半端な『英雄化』に達した事をきっかけに、普段は意識の外に存在する『何か』に近づきすぎていたのかもしれない。条件さえ整えば、器である自分の体の所有権が乗っ取られてしまう程に。
「――だめぇぇぇっ!!」
悲痛な、少女の、叫び声。
死角から殴られたよりも鋭い衝撃に見舞われて、高まっていた集中力が一気に霧散する。
全身が汗でグッショリと濡れていた。真夏にランニングをしてもここまでにはならないだろう。重たい疲労感に襲われて、思わず片膝をコンクリートの床に付いてしまう。その周りを羽毛みたいな白い界力光が飛び回っていた。
「……はぁっ、……はぁっ、声を掛けてくれて、助かった」
「良かった、本当に良かった……今津先輩、あのままだったら戻って来られなくなってたんですよ」
「……君は、どこまで知っているんだい?」
「今津先輩とそんなに変わらないです。確かに少しは多いかもしれないてますけど、そこが限界。人よりも少しだけ多くのモノが観えて、聞こえる、私の行き止まり」
恐縮するように、片羽はレンズの奥の瞳を伏せる。
「結局、私の『これ』はズルなんですよ。写真を見てその場所へ行った気になっているだけ。風の音も、土の香りも、太陽の暖かさも、氷の冷たさも、全部知った振りをしてるんです。本質は何も理解していないのに……いえ、理解できるだけの素養がないんでしょうね。だけど、今津先輩は違います」
「どうして?」
「だって、先輩には自分の足で歩いていくだけの力があるんですから。今はまだ無理でも、いつかは写真じゃない本当の絶景に辿り着けます。そうすれば、観る事しかできない私よりも遙かに多くを識れるはずですよ」
説明する気がないのか、説明できないのか。優しげに微笑んだ片羽は、そのまま口を噤んでしまった。
がさがさがさっ!! と。
枝葉が激しく揺れて、外の森がざわつく。
「良かった、上手くいったみたい」
「……?」
「外に行きましょう、すぐ分かります」
言われるがままに平屋から出て、空を見上げて驚愕した。
ゴォッ!! と。
巨大な何かが大空を引き裂いて、突風を撒き散らしていく。
始め、大型旅客機が低空スレスレで飛んで行ったのかと思った。
だが違う。
正体は、白い翼竜。
視界に入りきらない程に長い両翼で大気を叩き付け、巨大な影を大地に落としていく。鋭い陽光を反射するのは、鋼鉄よりも硬そうな銀鱗。精悍な顔付きで遥か遠くを臨むその姿には、邪悪さや凶暴さが微塵もなく、むしろ人々の信仰を集める神々しさを感じた。
「りょ、稜護君!! あれ……あれってまさか!?」
愕然とした表情で早乙女が叫ぶ。隣では奥田が腰を抜かして尻餅を付き、離れた位置にいる上柳は空を見上げて言葉を失っていた。
何度か天風島の上空を旋回した白い翼竜が、一際大きく羽ばたいて一気に加速した。
楔から解き放たれた喜びを表現するように。
ぶ厚い雲を突き破り、透き通る夏空を猛烈な速度で飛翔して行く。
どこまでも、どこまでも。
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