第18話 オカルト
上柳高澄は、森の中を疾っていた。
足を付けるのは御嵐山の斜面ではなく、宙。
闘術『天狗舞い』。大空を自由に飛び回った英雄『カルラ・アーベル』の伝説を再現する術式だ。金属溶接時に飛び散る火花よりも激しく黄色い界力光を迸らせて、上柳は乱立する木々の隙間を矢のように疾り抜ける。
「……っ!?」
少し先。
あと数秒後に通過する地点を狙って、収束したエネルギーの奔流が銃口を形作った。躊躇なく、槍の穂先よりも鋭く白い弾丸が射出される。
だが、上柳には当たらない。
ゴォッ!! と、噴流熱機関が空気を叩く音が炸裂した。
正面に突き出した右足の裏から界力を噴出して急減速。眼前を白い弾丸が引き裂いた。勢いを失って落下する前に、左足で強く宙を蹴って姿勢を制御。近くにあった樹の幹に両足を付け、身体強化を使って一気に前へ跳ぶ。
「……す、すごい! 全然当たらない!」
お姫様だっこで抱えている片羽翔子が感嘆の声を漏らした。幼馴染みの体からは靄のような青い界力光が漏れ出している。近くにいる幽霊の少女と交信を続けているのだろう。
「これくらいなら……何とか凌ぎ、切れるっ!」
目の前にエネルギーの収束点が出現するも、急加速して弾丸が射出される前に通り過ぎる。
「天狗舞いの速度なら、銃口を視認してからでも回避が間に合う! 術式に『意志』がなくて良かった、相手が人間ならここまで余裕じゃなかったはず……だっ!」
「どう、して?」
「この結界は、術式に登録されていない生命反応に反応して攻撃するんだったよな? ……よっと、つまりさ、人間みたいに俺の動きを先読みする訳じゃないんだ……次は上かよっ!!」
絶え間なく放たれる白い弾丸の隙間に無理やり体を捻じ込んでいく。
どれだけ素早く動けると言っても、上柳だって人間だ。切羽詰まって考える余裕を失えば動きは単調になっていくだろうし、体に染み付いた癖を無意識の内に優先してしまう。
相手が人間ならば、これは致命的な敗因。
実際に、初めて天狗舞いと対峙した霧沢直也は、上柳の動きの癖を見破ることで速度のハンデを悠々と覆してみせた。学内リーグで対界術師戦の訓練を積んでいる生徒なら、これくらい誰でもやってのけると言って。
「敵対者の動きを読み取って……とっ、学習していく術式じゃなくて助かった。RPGに出てくる厄介な敵モンスターと同じだよ。AIがプレイヤーの戦法を学習して対策してくるんだ。だとしても対策は講じられるけど……なっ!」
死角。
上柳の背後に出現した白いエネルギーの射出点だが、槍の穂先は放たれる前に霧散した。幽霊の少女が結界に干渉して打ち消したのだ。森の中を進む中で自然と生まれたコンビネーションである。
「AIを意図的に誘導してやればいい。わざと同じ行動を何度も繰り返せば……ッ、相手は勝手にその行動パターンが俺の癖だって理解してくれる。ならタイミングを見計らってパターンを変えてやるんだ。たったそれだけで……このっ、相手の攻撃は見当違いな方向へ飛んでいく事になる……だろッ!!」
左右から同時に放たれた白い弾丸を、一気に上昇する事で回避した。だがその先で三方向から白い弾丸が飛んでくる。迷わず両足で宙を蹴り前方へ加速して射線から逃れた。猛烈な風を受けて、がさがさっ!! と生い茂った枝葉が振動する。
「どれだけ優秀なAIだって、学習する時にインプットされた情報しか使えない。野菜や肉をそのまま皿に乗せるのと同じだよ……ふっ! レシピをネットから検索するのとは違う。想像力を働かせて、素材を組み合わせて、相手の嗜好に合わせて、料理を生み出せるのは人間だけ……だっ!! 血の通っていないシステム如きじゃ役者不足! 駆け引きも騙し合いもないなら、今の俺を止める事はできないんだよ!!」
上柳の界力下垂体はお世辞にも優れているとは言えない。
実力は黄色。ラクニル全生徒における平均値でしかなく、界術師として一人前と言われる橙色には一色足りていない。よって霧沢直也や遠江真輝のように、界力術の気配を感知する事はできなかった。
視野を狭くする眼鏡を掛けた状態で、四方八方から迫るゾンビを撃ち殺していくシューティングゲームと同じ。必死に頭を振って敵を見つけ、最速で倒し続けなければ、いつかはゾンビに囲まれてゲームオーバーになる。
そんな極限状態の中で、雑談をしながら回避しているのだ。つまり、それだけ余裕が生まれているという事。本人は否定するかもしれないが、上柳の技術力は四月に霧沢と出会う前に比べて天と地ほどの差が開いていた。
森の薄闇に界力光の帯を刻みながら、木々の合間を紙一重の間隔で進んでいく。白い弾丸を回避する関係で、黄色のラインは絡み合った毛糸の山よりも複雑な軌跡を描いていた。
「タカ君、あれ!」
怪物が顎を閉じるような軌道で迫った二条の弾丸を咄嗟に回避してから、片羽の伸ばした手の先を見てみた。
まるで、門。
左右に二本の大木が屹立し、伸びた枝葉が天蓋みたいに連なっていた。門の向こう側には霧でも発生しているのか、白い靄が蟠っていて中を見通せない。門の正面だけは樹や繁茂がなく、柔らかそうな下草の絨毯が敷かれていた。
明らかに周囲の森とは雰囲気が違う。
譬えるなら、寺院や鳥居の映える和の風景に、ゴブリンやユニコーンが当然の顔をして闊歩しているファンタジー超大作の世界観を無理やり貼り付けた感じか。周辺の景色が門の向こうに広がる世界に浸食されている印象すら受けた。
「あそこが『宝物』が隠されている結界の中心! あの空間の中だけは『宝物』を傷付けないために迎撃術式は発動しないんだって!!」
「なら、あそこに行けば!!」
だが、簡単にはいかせてもらえない。
結界の中心へ近づかせないと言わんばかりに、無数の白い銃口が記者会見のフラッシュよりも眩く周囲の空間を埋め尽くした。暴力の洪水。自然災害にも似た絶望が壁となって行く手を阻む。
「(くそっ、もう余裕なんか残ってないのに!!)」
すでに限界は見えている。
短距離走のペースで長距離に挑むのと同じレベルの無謀を繰り返しているのだ。僅かな気の緩みすら命取り。一瞬でも足を止めれば途轍もない反動に襲われる確信があるし、今の状態で壁と見紛う程の弾幕を突破できる保証はどこにもなかった。
それでも。
竦みそうになる心に鞭を打ち、宙に浮いたまま両膝を折る。枯渇しつつある氣を搾り出し、眉間の奥にある界力下垂体で燃え盛る炎へと焚べた。
「うおおお――ォォぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
迷いを振り切る。
体内に残った全ての氣を解放する勢いで、両足の裏で界力を爆発させる。
バッッンッッ!! と。
莫大な静電気が大気に放出されるような炸裂音が空気を叩いた。
それは、閃光。
放たれた矢よりも鋭く大気を穿ち、一直線に上柳が宙を疾る。今まで以上の超加速。遅れて発生した衝撃波が森全体を揺らした。舞い散る木の葉や一斉に放たれた白い弾丸の全てを置き去りにして、黄色い軌跡が蟠る靄へと突き刺さる。
そして。
そして。
そして。
「――っ!?」
視界に飛び込んできたのは一面の草原。
姿勢を制御して足から地面に付けようと思ったがすぐに諦めた。先の事を考えずに加速したせいで、上柳の体勢は水泳選手と同じく俯せである。今から天狗舞いを使ったとしても間に合わない。パラシュートで減速し切れずに地面に叩きつけられるパイロットと同じ末路を辿りそうだ。
「(最低でも、翔子だけは守る!!)」
ぎゅっと幼馴染みを抱えた両腕に力を入れ、同時に身体強化を発動した。無理やり体を捻って仰向けになる。そのまま草原へと背中から激突す――
ふわりっ、と。
羽毛布団に飛び込んだような柔らかい感触が全身を包み込んだ。
「???」
いつまでもやってこない衝撃に備えているせいで体の緊張を解く事ができない。レジャー施設にある流れるプールで長時間遊んだ結果、水から上がった後も体がその感覚を忘れられないような気分だった。
サク、と小気味の良い音が背中で鳴る。
気付けば、片羽を抱えたまま草原に下ろされていた。地面に体が付いた瞬間、思わず両手を大きく開いて大の字になって寝転んでしまう。
ジクッ、と。
頭の奥で尖った何かが膨れ上がる感覚があった。
「よいしょっと……ってタカ君、大丈夫? なんかすごい顔してるけど」
「うがああ、ぉぉおおっ! 痛い、頭が割れるみたいに痛いっ!!」
闘術を連続で使用した代償が莫大な反動となって返ってくる。爪の隙間に何十本の針を刺し込まれるより凄まじい激痛が眉間の奥で爆発した。
あわあわと盛大に視線を泳がせる片羽の目の前で、上柳は熱湯を浴びせられたリアクション芸人顔負けに悶絶する。たっぷり数十秒はゴロゴロと草の上を転がっていただろうか。ようやく歯を食い縛れば耐えられる程度まで落ち着いたところで、ゆっくり体を起こしてみた。
小さな泉の畔、だろうか。
広さは街中にある公園程度。頭上を覆う枝葉の隙間から差し込む柔らかい木漏れ日。茹だるような夏の暑さは消え、春の穏やかな陽気が辺りを包んでいた。中央に巨大な岩が横たわる小さな泉には、底までくっきり見通せるほど透明度の高い水が満ちている。妖精が飛んでいないか探したくなるほど幻想的な空間だった。
何よりも目を惹いたのは、水辺で咲き誇る花々。
レースのカーテンにも似た白い陽射しの中、赤色や紫色で鮮やかに景色を彩っているのは、アネモネ――?
『ここへ足を踏み入れるのは、何時以来だろう?』
鈴が鳴るような、可憐な少女の声だった。
『へぇー、「ここ」だとキミにもアタシの姿が観えるんだ』
見た目だけなら十歳くらいの少女。
ふわふわとした銀色の長髪に、黄水晶と見紛うほど透き通った瞳。そよ風に舞う白いローブに隠されているのは少女らしい華奢な身体だ。短いスカートに、フリルをふんだんに取り入れた明るい服装。ピンクを基調とした明るい格好は、日本の現代文化で熟成された意味での『魔法少女』を強く想起させた。
「……、」
『どうしたの、黙っちゃって。キミ、アタシの姿を見たかったんでしょ? 実際に目の当たりにしてみてどう? 何か感想はない訳? それとも、また土手っ腹に風を叩き込んであげれば目が覚める感じかしら』
「本当に……幽霊の、女の子……?」
『幽霊ってのは正しくないかな、今まで面倒だから訂正しなかったけど』
少女は勝ち気なつり目を楽しそうに細めた。妖しく輝く黄金の瞳で、呆然と言葉を失った上柳と、その近くで立ち尽くしている片羽を交互に見詰める。
『私は「聖霊」――正確には「だった」と言うべきなんだけどね。まあ分かりやすく今風の言葉で表現するなら、精霊でも妖精でも幽霊でもない正真正銘のオカルトよ。神秘的、超自然的、という意味での』
「さな、とあ……?」
聞いた事のない言葉だった。
だが、少女にとってはその反応で充分だったのだろう。
これ以上は話すつもりはないのか、淡い色の唇を閉じた少女はにっこりと陽だまりのような笑みを浮かべる。それは、ランドセルを背負っていそうな幼い顔付きには似合わない、超然としていて、何かを悟って、飲み込んだ表情だった。
『ありがとう翔子、勇気を振り絞ってアタシを見つけてくれて。翔子が立ち上がってくれなかったら、想像すらしたくない最悪の結末を迎えていたと思う。未練を残して、下を向いたまま、絶望と共にこの世界から消えていた』
体の向きを変え、サク、サク、と柔らかい下草の上を歩き出す。白いローブの上で柔らかい銀髪が揺れている。足下で咲き誇るアネモネに気を付けて進み、躊躇なく泉に満ちた透明な水へと踏み入った。
『ようやく……ようやく、アタシの物語が終わる』
水深は浅いのか、どれだけ進んでも少女の膝下までしか水に浸からなかった。水没した白いローブやミニスカートの裾に構わずに、波紋を生み出しながらゆっくり歩いて行く。
『これで全ての条件が揃った。ここから先はアタシ達の時間。在るべき姿に世界を正す。今まで好き勝手やってくれた連中に一泡吹かせてね』
泉の中央に横たわる巨大な岩。
そこには一本の『杖』が立てかけられていた。節くれた木の枝を加工した見た目で、絵本に出てくる魔女が持っていそうなデザイン。上柳には見覚えがあった。浅井鋳という画家が完成させた白竜伝説の水彩画でも少女が同じ物を手にしていたはずだ。
『これ以上、アタシから何も奪わせない。失った物は取り戻す。囚われたままの友達も救い出す。一片の妥協もしない。全部、全部、アタシの望む結末に導いてやる――それが聖霊だった存在としての意地よ』
その言葉に、どれだけの決意が込められていたのか推し量れない。それでも、心を震わせたのは思わず息を飲んでしまうだけの迫力――そう、それはまるで一つの物語を内包しているかのような重みだった。
「……電話?」
不意に、片羽が携帯端末を取り出して首を捻る。
「誰からだ?」
「マキちゃんだよ。かなり時間も経ってるし、心配させちゃったのかもしれないね」
そう言って、携帯端末を耳に当てた。
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