第八話 反り合わない二人
男の通された客間は畳が敷いてあり、思いのほか居心地は悪くない和室だった。
一度冷静に物事を考えようとするが、考えれば考えるほど異常な現象に心身が追い付いていかず、冷静になればなるほど当て処のない理不尽な怒りが湧いてくる。
「俺はなんでこんなところに居るんだよ、ここはどこだ、今はいつで俺はなんでこんな目に会っている。おかしいだろこんなの! 畜生、何なんだよ!」
男は、ひとまずこれが大掛かりな撮影などの類でないのは理解した。ドラマ撮影などにしては舞台設備が大掛かりすぎるうえ、動いていた人が目の前で首を落される光景まで見れば、いくらなんでも現代撮影技術の進歩でどうにかなる話ではないと理解する。
しかし、タイムスリップの類などとも考え難い。正確には、幾度となく頭を過ぎり、ありえないと脳内で否定して、湧いてはまた否定する事を繰り返している。
一通り叫び、畳に拳を当てて怒りを抑え、気を宥める。
しばらくすると考え疲れ、一通りの可能性や現状に思考を回した後、一息ついて寝そべることにした。
「ここはどこか、言葉や文化的に中世日本っぽいのは解った。有りえる可能性は広大な土地を改造できるレベルの予算をかけた大規模ドッキリか撮影か、大穴でタイムスリップ……どれも有りえねぇよ……」
腕枕で寝そべっている男は、溜息をついて呟いた。一種の災害にあったようなものだと思い、ひとまず無駄な体力の消費、空腹になる行動を抑えることにしたのだ。
次に、ひとまず目下しばらくの間をどうやって凌ぐかを考えた。
意識を取り戻した時の服装で上着には使えるかもわからない貨幣の入った財布、携帯電話、やたらのどの渇く固形携帯食料。ひとまず拘束などされていないところを見て、道中で見かけた井戸の水を使えれば携帯食料と合わせて二、三日は持つかもしれない。
しかし、二、三日で生活基盤を作るのは恐らく不可能である。仮にここが過去の戦乱蔓延るどこかの時代だと仮定するならば、おそらく流民よろしく同じことをすれば生き延びることは出来なくはないだろうが、それはつまり略奪強盗に雇われ傭兵となる事を指す。
男は身震いして、そんなのは自分の度胸ではとても不可能だと考えた。
ならば、現実的にまともな方策はなにか。
手元の物は大概物珍しいもので、口一つでそこそこに売れそうではある。ただ、学の無い層に売れば金があまり手に入らず、かといって商人ともなればさすがに目利きや細かいところを突かれてぼろが出るかもしれない。
また、男は時代に確信を持ってはいないが、加えて言えば、合理的考えが浸透し始めた戦国時代で携帯電話や物珍しい現代の産物が舌先三寸で高く売りつけられるなどというのはファンタジーのお話で、道楽に大枚叩ける呑気な時代でもなく、相当な物好き相手でない限りはどだい無理な話であろう。
では、真っ当に体を資本に肉体労働をするか?
これは比較的現実味のある話である。今いる土浦の城下は思いの外繁栄して人口も多く、職も様々なものが見受けられる。気楽に考えるのは良いことではないが、思いつめすぎて気が滅入っても意味がないと、ひとまずこのあたりで区切りをつけた。
「この土浦城ってとこ周辺でまずは日雇いの仕事を探すか。肉体労働ならそれなりには出来るだろ……って、ん? 土浦?」
聞き覚えのある名前に思わず何かが引っかかる。
「土浦って、え?」
男は慌てて部屋を飛び出すと、すぐ近くにあった矢倉に上って周囲を見渡す。
「ってことは、これ霞ヶ浦か……?」
眼下に広がる見覚えのある光景を見て、男は幾ばくかの勇気を得た。
何の脈絡も意味もないが、地元近くであるというだけで不思議と力が湧いた気になっていたのだ。ましてや、知人も、見知った光景も、情報すら何もない中で、昔なじみのこの光景ばかりが男の焦燥に駆られて渇いた心を潤した。
「とりあえず、場所は解ったな。時代もみるに古くはなさそうだが……鎌倉は無いにせよ、南北朝か、はたまた室町か……どちらかと言えば後者っぽいかな」
男はひとまず状況判断、これからの目標を仮決定し、すべきことは終えたとばかりに全身の力を抜いて部屋へ戻り、心身を休めようとした。
「お客人、失礼する」
声をかけると共に、一人の中年の男が障子戸を開き、廊下に立っていた。軍議を終えて立ち寄った菅谷政貞である。
男は慌てて姿勢を正し、背筋を伸ばして正座する。
「先ほどは氏治様をお救い戴いたこと感謝しておる。しかし、その傾奇いているというか、婆娑羅者な格好をなさっておるが……貴殿は何者であろうか?」
「え? あぁ、わ、私ですか……なんと申しましょうか……そうだなぁ……こことは文化の異なる遠い場所……」
「異国、南蛮ですかな?」
「まぁ、そこまでではないにせよ、そんな感じですね」
菅谷政貞の疑問に対し、男は作り笑顔でごまかしながら頷く。そんな反応を少し怪しみながらも、他国からの密偵ではないかどうかといったことを、投げかける質問に答える際の端々に見える、細かな所作から確かめようとする。
「ほう。見たところ、傾奇な格好の割りには、武士にも悪党山賊の類にも見えぬが、どこかの御家に仕えたりはしたのか?」
「御家……か。いえ、何処にも。少々頭の打ちどころが悪かったのか、以前の記憶がおぼろげで、衣服を返してみれば無一文の宿無し風来坊という有様でした」
男自身もこの状況に至った経緯を詳しく覚えていない。頭を打つなどと言った筋書きは口から出まかせであったが、経験をもとに半ば想像で言うのであって、端からの嘘という訳でもないため、言葉には幾分かの真実味が混ぜてとれた。
菅谷政貞はこの言葉は嘘でないと信じ、寧ろ同情する面持ちと態度になった。
「左様か……それは気の毒だな。上方も荒れていると聞くが、この関東は随分前から乱れ、野盗や山賊、身包み剥ぎなども横行している。どうにかしたいが、手が回らんのでな」
「あの、よろしければ少し……というより、だいぶ質問があるのですが、可能な限りで良いので、質問させていただいても構いませんか?」
「ん? うむ。よかろう。今は少し時間もあるしな」
菅谷政貞は快く了承し、男はその優しさに感激しつつ、僅かに身をにじり寄らせ、前のめりになって質問する。
「では有難く……ここは関東の霞ヶ浦の土浦であるということは理解しているのですが、情けないことに、領主、周囲の土地、生活の立て方などをすっかり失念してしまいまして……御厄介とは思いますが、少しばかり手ほどき願えませんか?」
「そこまで重症とはな……ここは私が治める土浦城で、霞の浦北西一帯は主に我等菅谷一門が治めている。とはいえ、この土浦城も間もなく信太家に明け渡すこととなっておるがな。して、すぐ南の信太庄は今言った信太一門が。その西を大門の岡見家が。そして、我等は南常陸一帯の主である小田家、氏治様の配下だ」
「小田家、ですか」
「うむ。関東でも名門中の名門。特に、先代政治様は将軍家の血筋、そして小田家の血を継いだ氏治様は世にも珍しいとても高貴なお方だ」
(なんでそんな名門が初っ端から惨敗してんだよ!!)
「ん、ってことはさっきの少女がお偉い大将で……えっと、すみません、知らなかったとはいえ、その、もしかすると大変な無礼を……」
「ははは、なに、急に畏まることもない。氏治様はお優しいお方だ。あの程度でどうという器の小さいお方ではない」
「な、ならよかった」
時代が時代なために、一つ間違えれば無礼をしたからと手討ちにされかねない。それを考えて顔を青ざめさせていたが、菅谷政貞の言葉を聞いて安心し、一息ついて胸を撫で下ろした。
菅谷政貞は腕組みし、少し難しい考えをしている表情で続けた。
「あぁ、それと、職探しや放浪するのに使う簡単な地図くらいならば後で配下に描かせよう。しかし、庶民の生活については詳しくないのでな。まぁ、何かの縁だ。恩もあるし、暫しここに逗留されるとよかろう」
「あ、ありがとうございます!!」
男が平伏すると、菅谷政貞はうむと頷き、その肩を軽く叩いてから退室した。
男は一人になると、残る疲れを癒すべくもう一度横になり、考えだけを巡らせる。
「そういや、小田家ってゲームで見たことあるな……北条と佐竹に挟まれた弱小、いつも佐竹に食われて早晩姿を消す様しか見たことは無いが……となると、向かうべきは南の北条か……いや、歴史を考えれば佐竹に仕官する方が安泰か……でも、そこまで生き残れるかというと……」
独り言を延々と繰り返し、考えを整理しながらの暫しの休息の後、一人の武士が障子戸から声をかけた。
「失礼仕る。殿がお客人を呼ばれるように、とのことなのでぜひおいでいただきたい」
(そういえば、今此処では客人として扱ってもらえるんだな。ひとまず命の心配はないか)
「わかりました。今出ます」
その後男を呼びに来た武士は、しばらく独り言を喚き散らす様を見てどうしたものかと悩んだが、大人しくなったところを見計らって声をかけ、警戒しながら城主の間まで連れて行く。
男は評定の間に着くと、息を整えてから肩肘を張り、身構えて木戸が開くのを待った。
「あ……戦場にいた変人!」
案内の武士が扉を開き、足を一歩踏み入れた直後の第一声がこれである。思わず身構えた姿勢を崩して転びそうになりつつ、息と態度を整える。
そして、一応命の恩人である者に対して酷い暴言だと顔をしかめる男に、どうか押さえてくれと言わんばかりの手振りと苦笑いをしている菅谷を見て、ここで怒るのも大人気ないと男は笑顔で席に着く。
「で、いったいこのわたくしめに何用でございましょうか?」
少しわざとらしく慇懃無礼な態度をとる。普通であれば命の危険さえありそうな行為だが、氏治の纏う空気に感化されたのだろう。男はすでに肩を張っている様子はなく、正座ではあるがどことなく寛いでいるようにも見える。
もっとも、この時代は胡坐が一般的であり、江戸以降に一般化した正座をする必要もないのだが、それがいいだろうと考えるのは現代の感覚が故である。
「まぁ、気を落ち着かせてくだされ。さて、殿。この状況に思い当たる節はございませんかな?」
菅谷政貞は男をなだめた後、氏治の方へ体を向け直して心当たりを問う。
「思い当たる節……? 私は何もしてないわよ?」
「そうではございません。ほら、何かお使いとかそういった……」
すると何かを思い出した様子の氏治に菅谷政貞は期待のまなざしを投げかける。
「そういえば、台所で餅を焼いてきてって太兵衛に頼んだんだけどまだかしら?」
菅谷政貞は若干呆れた様子で肩を落とした。
わざと無視しているのではない。全く気付かないのだ。神か仏のお告げだというのに全く重視している様子がない。それほど自分に自信があるのだろう。
「殿。こちらの方が神仏の御使いであられますぞ」
(ちょっと待ってくれ、唐突に神仏の使いってのは何なんだ!? 本人確認も無しで決めつけるなよ! いやまぁ、確かに現代から来ただけあって格好なんかはおかしいし、そもそも神憑りな何かがあったとしか考えられない状況ではあるけどさぁ)
菅谷政貞は男に確認をとるどころかまともに会話もしておらず、意思の疎通も行っていないが、一人合点がいった様子で自信をもって氏治に紹介した。
しかし、菅谷が報告するなり氏治は態度を硬化させ男を拒絶する。
「な、そんなものいらないって言ったじゃない! 私の家は私が守る! みんなは私が守るんだからあなたは必要ない。帰って!」
男としても、帰れるところであれば帰りたいのが本音で、訳の分からない天災じみたものに巻き込まれて辟易しており、精神状態もとても通常のそれとは違った。
故に、男も疲労とストレスも限界まで来ており、命の心配があまり必要でなくなったことで、ふとした拍子に感情のタガが外れてしまったのか、その態度を豹変させる。
「はぁ? 俺だって来たくて来てるんじゃねぇんだよ。衣食住に何の心配も必要ない安穏とした場所で暮らしていたのに、目が覚めりゃ人死にが横行する場所だぞ! 人が死ぬ様なんて見たこともないってのに、そんなもん見せつけられてくっそ気分悪いのに人助けして、いざ呼ばれて来て見りゃこれか? ふざけるなよ!」
男は苛立ちを隠す様子もなく曝け出し、先ほどの慇懃さの欠片もない。かといい顔は青筋立てるほどでもなく、語気こそ強いものの怒鳴り散らすでもない。
「知らない! そんなの私の所為じゃないでしょ! 神仏に言いなさいよ」
「まあまあ、お二方。落ち着いてくだされ」
「政貞は黙ってて!」
菅谷政貞が落ち着くよう宥めても氏治には火に油でしかなかった。
「てか、大体あんたは皆を守るったって守れてねぇじゃねえか! だからこうして落ちぶれて家臣の居城に居候してよお!? 情けなくねぇのか!?」
男は片膝を床についたまま反対の足を立てて前へ体を乗り出す。
「な、な、ぁ……っく!」
氏治は痛いところをつかれ、今回はたまたまだと言い訳をしようかと一瞬頭を過ぎったものの、武門を誇る小田家が言い訳をすべきかと悩んだ末、しばらく口をほぼ無音のまま開閉するだけだった。
「追放! こんなやつ追放よ! 菅谷政貞! はやくコイツを城から放り出して!」
氏治は言うに困り、多少横暴と思いつつも追放を命じる。
「お待ちくだされ氏治様! それはあまりにもお戯れが過ぎまするぞ! この方は仮にも神仏の御使い、あまり粗相をなされ仏罰にでもあてられては何としますか! これではお家が傾く一方ですぞ!」
先ほどまで和やかであった菅谷政貞の表情は単なる真顔とも怒り顔ともつかぬ顔で諭すように、けれども訴えるような大声で氏治をたしなめる。
「なんで、政貞までぇ……! ふん! いいわ。ここは菅谷のお城だしね。城主を無視して勝手な振る舞いをするというのも無礼だもの。政貞に免じて今回の件は保留にしておいてあげる。でもね! 貴方は役に立つかなんてわからない。何か口出ししたければ、まず何らかの功績を残すことね!」
菅谷政貞にまで反発された氏治は予想外であったこともあり、悔し涙を目に湛えながらも態度を軟化させ、それでいて当主が他人に弱みを見せまいと男に強気で言い放った。
「くっ……正論だな。見てろ、すぐに実績を残してやる」
男は売り言葉に買い言葉で返す。
「良い心がけね。せいぜい精進なさい。この者の処遇は政貞に一任するわ。押し付けたみたいで申し訳ないけれど、宜しくね」
「ははぁ! お任せくだされ!」
そしてこの日、男の身柄は菅谷家の預かる処と決定した。




