悪役令嬢、婚約を解消する。
オフィーリア視点
水の跳ねる大きな音が中庭に響いた。
「オフィーリア様、酷い」
声を上げたのは池に落ちて全身ずぶ濡れの男爵令嬢。
池のそばには、見下ろすように立つ侯爵令嬢がいた。
その姿は悪役令嬢そのものだった。
「フィー、君が男爵令嬢を虐めているという報告が上がっている。本当なのか?」
昼下がり。王宮の庭園で開かれている茶会の席で、王太子リンドールは静かに告げた。
向かいに座り、今が盛りと香り立つ芍薬を見ていたオフィーリアはゆっくりと視線を移した。
「ええ、それがどうかなさいまして?」
迷いなく、そう答えた。
一瞬、空気が凍りつき、リンドールの表情が強張った。
「……認めるのか?」
「ええ、実際にご覧になったこともありますでしょう?」
学園で公然と行われている行為だ、目にしたことのない者のほうが少ないだろう。
「君は王太子の婚約者。未来の国母になるんだぞ? 虐めなど、その身に相応しい行いだと思うのか」
「何をそんなに熱くなっておられますの? たかがしがない男爵家の令嬢ではありませんか、気になさるほどの事ではありませんわ」
さらりと言い放てば、リンドールは言葉を失ったように押し黙る。
「君は……どうしてそんな風になってしまったんだ? 聡明で慈悲深かった君はどこに行ってしまったんだ」
困惑を隠せないリンドールに、オフィーリアはふふっと笑って。
「さあ? 蝶のように飛んでいってしまったのかもしれませんね。ヒラヒラと」
「言葉遊びをしている場合ではない。このことはまだ陛下の耳には入ってはいない。だが知られれば婚約解消になるかもしれないんだぞ」
その言葉に、ほんの一瞬だけ。胸の奥が軋んだ。
──それでいい。
むしろ、その方がいい。
「そうですか。ええ、その方がよろしいかもしれませんわね」
「そんな他人事みたいに」
「殿下、学園で私がなんと呼ばれているかご存知ですか?」
愛称ではなく、“殿下”と呼んだことに、リンドールがわずかに目を見開く。
二の腕まである白い手袋をつけた細くしなやかな手がレースの扇を静かに開き、口元を隠す。
「私は悪役令嬢と呼ばれているようですよ。言い得て妙、ですわね」
くつくつと笑う。
「国母に相応しくない。そうでしょうね」
扇を閉じる。
そして、何でもないことのように告げた。
「婚約解消致しましょう。書類は侯爵家に送ってくださいませ」
椅子を引く音が、やけに大きく響いた。
「それでは、失礼いたします」
呼び止める声には、振り返らず、そのまま背を向けて歩き出す。
一歩、また一歩。
視界が揺れる。足の感覚が曖昧になる。
それでも歩みを止めない。
──ここで倒れるわけにはいかない。
庭園を抜け、建物の影へと差し掛かったところで。ふっと、力が抜けた。
ハッピーエンドなのでご安心ください。




