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2/12

『感情をもし売れるなら』

「……本当に、売るんですね」


薄暗い店内。

感情売買専門店《エモーション》。


男は、机の上に置かれた契約書を見つめたまま、小さく笑った。


「もう疲れたんです」


掠れた声だった。


「毎日書いて、

毎日読まれなくて、

毎日“才能ないのかな”って考えるの、もう限界で」


店員は慣れた様子で端末を操作する。


「売却する感情は?」


男は少しだけ黙り込んだあと、

喉の奥から絞り出すように言った。


「……創作意欲で」


 


夢だった。


小説家。


子供の頃、

ノートに書いた物語を母親が読んで笑ってくれた日のことを、今でも覚えている。


“すごいね”


その一言だけで、

世界を変えられる気がした。


でも現実は違った。


新人賞は一次落ち。

SNSは無反応。

生活は借金まみれ。


コンビニの廃棄弁当を食べながら、

ワンルームの天井を見上げて思う。


「……向いてなかったんだろうな」


それでも、

諦めきれなかった。


書きたかった。


認められたかった。


誰かに、

“あなたの作品が好きです”

って言ってほしかった。


 


「感情売却、完了しました」


その瞬間。


胸の奥で、

ずっと燃えていた何かが、

ふっと消えた。


 


「……あれ」


男は目を瞬かせる。


苦しくない。


新作を考えなくていい。

ランキングを見なくていい。

感想欄に怯えなくていい。


「はは……なんだこれ」


思わず笑みが漏れる。


「めちゃくちゃ楽じゃん……」


 


帰宅後、

男は最後に書きかけだった短編を投稿した。


どうせもう書かない。

最後だから。


投げやりだった。


けれど――


翌朝。


通知が、壊れていた。


『涙が止まりませんでした』

『あなたの文章に救われました』

『次回作、待ってます』

『天才を見つけた』

『書籍化してください』


男は、

画面を見つめたまま固まる。


「……え?」


震える指で感想欄を開く。


ずっと欲しかった言葉が、

そこには大量に並んでいた。


 


――なのに。


何も感じなかった。


 


「……あれ?」


嬉しくない。


泣けない。


心が動かない。


PCを開く。


真っ白な画面。


いつもなら、

苦しいくらい浮かんでいた言葉が、

何一つ出てこない。


キャラクターも、

物語も、

感情も。


何も。


 


「……書かなきゃ」


カタカタとキーボードを打つ。


『今日は、いい天気だった。』


そこで止まる。


「違う」


消す。


もう一度打つ。


『彼は、』


止まる。


「違う……違う違う違う」


頭を掻きむしる。


出てこない。


いや。


違う。


“書きたい”と思えない。


 


その時、

男はようやく理解した。


自分は、

夢を諦めたんじゃない。


夢を見たいと思う心そのものを、

売ってしまったのだと。


 


数日後。


出版社の編集者が部屋を訪れた。


興奮気味に、

何度も言う。


「先生、次回作を書きましょう!」


「今ならいけます!」


「諦めるのは、まだ早いかもしれませんよ?」


 


男は静かにPCを見る。


真っ白な画面。


そこには、

もう何も浮かばなかった。


それでも。


その言葉を聞いた瞬間だけ。


空っぽになったはずの胸が、

ほんの少しだけ痛んだ気がした。

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