99 モニカの婚約者10
「乳母は、絵を描くのが好きで、俺の成長をずっとスケッチブックに納めているんだ。普段は他人に見せないよう言っているんだが……」
「私には見せてくださるのですか?」
「モニカは、好きそうだしな」
カリストはモニカの好みをよく解っていらっしゃる。
「ふふ。楽しみです」
応接室でお茶をいただきながら待っていると、ソフィアが何冊ものスケッチブックを抱えて入室してきた。
それを見せてもらったモニカは歓声をあげた。
「わあ~。先生可愛い」
ソフィアは本当に絵が上手だ。鉛筆で描かれたデッサンが主で、写真でも見ているかのように丁寧に描写されている。
「こちらは、お生まれになってすぐの頃ですわ。こちらは初めて笑われた時で、こちらは初めておもちゃを掴んだ時――」
新しい発見があるたびに、ソフィアは絵に残していた様子。カリストからは呪われた子に対する家門の態度は聞いていたが、少なくともソフィアは愛情を持ってカリストを育てていたようだ。
それを知ることができただけでも、ソフィアに会えて良かった。
ただ、気になったのは、どのページもカリストが一人でいる場面ばかり。
両親と接している絵がひとつもない。
普通の親なら、これほど絵が上手な乳母がいれば、一緒に描いてもらいたいと思うだろうに。
カリストは両親から、ひとかけらの愛情も受けられなかったのだろうか。自分を生んだ母にすら。
ソフィアとカリストの両親の対比を感じつつ絵を見ていると、ついにカリスト以外の人物が登場した。
「あら、こちらの子はもしかして、ブラウリオ殿下ですか?」
カリストはもうかなり成長しており、学園へ通う少し前くらい。その隣にいる小さな男の子が、ブラウリオに似ている。
似ているというよりは、カリストに憧れているようなあのいつもの表情が、すでに完成している。これは紛れもなくブラウリオだ。
「あっあの、そちらは」
モニカの指摘に対してソフィアは、なぜか急に慌てた様子になる。王太子とカリストが親しい関係だと、モニカが知らないと心配したのだろうか。
それをかばうように、カリストが会話に入って来た。
「ブラウリオまで描いていたのか。たまにブラウリオの遊び相手になっていたんだ」
「それで以前からのお知り合いでしたのね」
遊び相手だったなら、ブラウリオが兄のようにカリストを慕っていたのも納得がいく。あの崇拝者のような態度は、長い年月を経て培ってきたのだろう。
「私はそろそろ、ディナーの準備を見て参りますわね」
納得したモニカだったが、乳母は失敗したと思ったのかそそくさとその場を後にした。
その後。ディナーの際にも、ソフィアからカリストの昔話をたくさん聞いたモニカは、ほくほくした気分で帰りの馬車に乗っていた。
(やっぱり、幼少期の振り返りイベントは楽しいわ。男爵夫人も想像以上に先生を愛して育ててくださったみたいだし)
とにかくカリストは、なにをやらせても優秀で、ソフィアにとっては自慢の息子みたいなもののようだった。
ソフィアには実子もいるが、カリストにはとにかく期待していたようで。本当は教師よりも男爵家を継いでほしかったと、カリストが席を外した際に、モニカへ吐露していた。
生家を追い出されたカリストには、ちゃんとした居場所と小さくても領地を与えたかったと。
けれど、カリストはそれを望んでいなかった。ソフィアの息子から奪うことはしたくない。それをしてしまえばソフィアは、息子に恨まれてしまうから。
今までは曖昧に断られていたそうだが、明確にカリストが爵位継承を断ったのは、去年の夏ごろだという。
「一生をかけてやり遂げたいことがある」と彼は打ち明けたのだとか。
それをやり遂げるためにはこれ以上、家の問題を増やしたくない。だから辞退すると。
去年の夏ごろといえば、モニカとカリストがお互いの秘密を打ち明けあい、いつかカリストがモニカの守護者になると約束した頃だ。
彼はモニカが知らぬ間に、人生の大きな決断までしていたのだ。
「今日は、招待に応じてくれて感謝する」
向かい側に座っているカリストがそう切り出したので、カリストのことで頭がいっぱいだったモニカは、びくりとしながらカリストに視線を向けた。
「こっこちらこそ、ご招待してくださりありがとうございます。男爵夫人ともたくさんお話しができて嬉しかったです」
「それならよかった。――今日はモニカに伝えたいことがって、その前に俺を育ててくれた人も見せておきたかったんだ」
「伝いたいこと……ですか?」
ソフィアと会わせてからモニカに伝えたいこととは、なんだろうか。生家に関わる、新たな打ち明け話でもあるのだろうか。
するとカリストは、椅子から降りて床に片膝をついた。
「先生……?」
「レストランで、モニカが聞こうとしていた質問の答えをさせてくれ」
「え?」
それからカリストは、ポケットから小さな箱を取り出し、それを丁寧に開けると、モニカへと差し出した。
「俺はあの家の後継者でもないし、守護者になる予定であってもモニカに満足な暮らしは提供できないかもしれない。だからモニカが言ってくれた、俺といる時が安心できるという言葉だけが、唯一の希望だ」
カリストが何を言いたいのか、モニカは理解した。自らの環境を知らせた上で、彼は求めているのだ。モニカを。
「教師としての一線は越えないつもりだったが、この気持ちだけは抑えられなかった。爵位がない俺が、伯爵家のご令嬢を求めることが分不相応だとも理解している」
「まっ待ってください、先生!」
(私、先生になにを言わせているんだろう)
指輪を差し出しながら、懺悔しているようなカリストの姿があまりに不憫で、居たたまれない。
彼は呪われているせいで、それほどに自分自身に自信を持てないでる。
言葉を止められたことで、さらに自信を無くした様子のカリストの両手を、モニカは上から包み込んだ。
「先生は、私の言葉に希望を持っていらっしゃるなら、もっと自信を持ってください。先生が今、私に伝えたいお気持ちは、裕福な生活を提供できないことですか? 裕福な環境で暮らしていても、モブになってしまえば誰も私を見てくれないんですよ。先生以外は」
モニカが望んでいるのは、どのような設定に変化しても、変わらずにモニカと接してくれる存在。カリストなら、十分に理解しているはず。
それを聞いたカリストは、気づかされたように身体の力を抜いた。実は緊張していたのだろうか。
「悪い。こんな話をするつもりではなかったのに、情けないな」
「情けなくなんてないですよ。それだけ先生は、私の幸せを考えてくださったのですよね。けれど私の幸せの第一条件は、先生がいることです。それを忘れないでください」
そう微笑むと、カリストは泣きそうな顔をしながらモニカを抱きしめた。
「俺を求めてくれるモニカが好きだ。だからこそ、今回は焦ってしまった」





