77 婚約者たち6
「レナセール嬢ですよね?」
そう尋ねてきた男性の顔を見上げたモニカは、一気に身体が凍りついたように動けなくなった。
なぜならその人は、実際の推しを悲しませた人であり、ゲームの中ではルカを陥れる悪役だからだ。
(イサーク・リアマ……)
「すみません。突然に話しかけて驚かせてしまいましたね。私はイサーク・リアマと申します。本日の主役であるルカ・フエゴの従兄に当たります」
イサークは得意の爽やかさで挨拶をした。
(なぜ、この人の存在を忘れていたのかしら……。今日は特に注意すべき日なのに……)
皆が順調すぎるのと、ずっとイサークが影を潜めていたせいで頭から抜けていた。
それに、今頃イサークが策略を巡らせたところで、ルカのイメージを悪くできるとは思えない。それほどルカは大人として成長している。
彼の負けは確定しているのに、なぜ今ごろになって出てくるのか。
「……なにかご用でしょうか」
「そんなに警戒しないでください。私はただ、あの時のことを謝りにきただけですから」
(あの時って、王宮で会った時のこと……よね?)
イサークが公爵家の跡取りのような振る舞いをして、ルカを悲しませた。あの時の一度しか、イサークとは顔を合わせていない。
「レナセール嬢は、ルカを大切になさっているそうですね」
「……幼馴染ですから」
「存じております。ルカがいつも自慢していたのですよ。バケットサンドをくれる可愛い友達がいると。あなたのことですよね?」
イサークは昔を懐かしむように微笑んだ。きっとその頃のルカは、疑いもせずにイサークを信頼し、なんでも話していたのだろう。
そんな純粋なルカの気持ちを踏みにじっていたことに、改めて怒りがこみ上げてくる。
「申し訳ございませんが、用件だけお願いします」
「すみません。懐かしくてつい……。あの頃は私も子供でしたし、純粋にルカを可愛がっていたのです。ですが成長するにつれて、ルカと自分の立場の差が分かるようになり、ルカに嫉妬するようになってしまいました。ルカがこのまま無知でいれば、私が公爵家を継げるかもしれない。今にして思うと、馬鹿げた妄想でした。学園生活で成長するルカを見て、自分の浅はかさを痛感しました」
(もしかして、自分がしたことを悔いているの……?)
ゲームでは投獄された後も、ルカは馬鹿だ、自分のほうが公爵にふさわしい、とわめき散らしていた人なのに。
(ルカ様の成績を早期に上げたから、イサークが諦める時間を得たのかしら……)
思いもしなかった告白に驚いていると、イサークはさらに驚くべき行動を取った。
「あの時、あなたの大切な幼馴染を侮辱するような真似をして申し訳ございませんでした。私はもう、後継者になりたいとは思っておりません。ですからどうか、お許しくださいませ」
イサークが深々と頭を下げるものだから、周りにいた人々が気づき始めた。
「リアマ卿……! このような場で頭をおさげにならないでくださいっ」
「いいえ。この場であなたに許していただかなければ、私はルカを祝う資格を得られません。どうかお許しください」
(ずるいっ。この人、ずるすぎる……)
大勢の前で謝られたら、許すしかないではないか。せっかく自ら非を認めたことを見直したばかりなのに、やはり人の本質は簡単には変えられないのだろうか。
「受け入れますっ。謝罪を受け入れますから、どうか顔をお上げください。このようなことをされると、私も父も困ってしまいます……」
どうか事が大きくなりませんようにと心の中で祈りながらイサークの謝罪を受け入れると、彼はとても嬉しそうな笑みを浮かべながら顔を上げた。
従兄のせいか、笑うとルカに少し似ているところが非常に悔しい。
「ありがとうございます、モニカ嬢。あっ……、つい素敵なお名前なので呼んでしまいました。あの……あなたのお父上とも仕事仲間ですし、混乱を招かないためにも名前でお呼びしてもよろしいですか?」
(しかも、どさくさに紛れて名前呼びまでしようとするなんて……)
表情はルカと似ているが、性格は違いすぎる。
「お気遣いなく。レナセール家で『嬢』と呼ばれるのは私だけですので、間違えられることはございませんわ」
貴族らしく笑顔を貼りつけながら断ると、イサークは残念そうな顔を浮かべる。
「…………レナセール嬢と親しくなるには、時間がかかりそうですね」
「それより、謝罪は私よりもルカ様にしてくださいね。傷ついたのはルカ様なのですから」
ルカの悲しみを考えたら、このような謝罪だけでは到底許せない。
「ルカにはすでに謝罪しているのですが、あまり信用されていないようで……。どうかレナセール嬢からも、私が心から悔いていると伝えていただけませんか?」
「私がなぜ……。このような場で謝罪されても、本心かどうか見極められません」
「では、私をもっと知っていただく必要がありますね。私が公爵位を求めていないと実感できれば、あなたも安心できるでしょう?」
「それは、まぁ……」
「それでは後で、ダンスでも――」
そう誘うイサークの言葉を遮るように、「モニカ!」と声が聞こえてきた。
「先生」
「遅れて悪かった。挨拶されていてなかなか動けなくてな」
「パーティーですもの、お気になさらず」
「感謝する。それより――」
飲み物をモニカへ渡したカリストは、イサークへと視線を向けた。
教師だからだろうか。イサークは少し緊張したような顔つきになる。
「お久しぶりです、ビエント先生。覚えていらっしゃらないかもしれませんが卒業生の――」
「イサーク・リアマだな。首席で卒業した」
「覚えていてくださったとは光栄です」
「教え子を忘れるほど老いてはいない。それより、俺のパートナーに何か用か?」
「たいしたことでは……。フエゴ家に仕える方のお嬢様なので、ご挨拶していただけですよ。――では、モニカ嬢。またお会いしましょう」
(名前呼びは許してないのに……!)
笑顔で去って行くイサークを睨んでいると、隣でカリストが吹き出すように笑い出した。
「モニカはあいつが嫌いなようだな。あいつは親しく見せようとしていたのに」
「断じて親しくありませんよっ。失礼の連続でした。先生との仲も良いようには見えませんでしたよ?」
仲が悪いというよりも、イサークが苦手に思っているような。しつこくモニカに話しかけていたイサークが、カリストが来た途端に逃げるようにしてこの場を去った。
「あいつは人に取り入るのが得意なようだが、俺は普通の人間と見ているものが違うから。やりにくいんだろ」
確かにモニカも、事情を聞かされている間は誠実な雰囲気せいで、全てを信じそうになった。悪役だと知らなければ、素直に悔いている彼を疑いはしなかったかもしれない。
「とにかく、あいつにはもう関わらないほうがいい」
「もちろんです」
そううなずきながらも、モニカは何かを忘れているような気がした。しかしその時は何も思い出せず……。ただ、イサークの謝罪が本心なのか気になるだけだった。
そして始まった婚約式。
白い衣装に身を包んだルカとミランダの登場に、盛大な拍手が湧き起った。その中で誰よりも熱い視線を送っていたのはモニカだ。
「はあ……。今日のルカ様、王子様みたいでかっこいい……」
騎士の正装もかっこいいが、純白のタキシードも素敵だ。惚れ惚れとしながら呟くモニカの横で、ブラウリオがやや不満げな声を上げる。
「本物の王子を差し置いて、ルカが褒められると複雑だな」
「あのっ。今のは例えと言いますか……。物語の中の王子様みたいという意味でして……」
日本と違ってここでは、普通に王子も騎士も存在しているし、貴族にとっては身近な存在だ。平民でもなければこのような例えはあまりしない。
このニュアンスは伝わらないかもしれない。
「ブラウリオ。モニカをいじめるな」
「俺はただ、モニカ嬢にはすでに、いつも守ってくれる王子様がいるのにと思っただけですよ」
一応、ブラウリオには王子の例えは伝わったようだ。そして、ブラウリオが例えている王子とはきっと、カリストのことだろう。
(確かに先生も王子様みたいに素敵だけれど、私にとってはどちらかというとヒーロー? それより保護者のほうが合っているかしら?)
カリストを見ながらじっと、言葉の違いについて考えていると、カリストは気まずそうに咳払いした。
「式が始まる。口を閉じろブラウリオ」
婚約式は結婚式ほど複雑ではない。婚約書を司祭が承認し、当事者二人はお互いに将来は結婚するという誓いを込めて、お互いの薬指にキスする。
ルカがそれをおこなっている場面でモニカは、なぜか推しに注目するよりもこの前の温室でのことを思い出した。
(この前の先生みたい……)
カリストもこのようにモニカの指先へ口づけしていた。それが今の婚約式と重なって見えてしまう。
そう気づいたモニカの心臓は、どきどきと動き出した。それを感じ取ったであろうカリストが、モニカに耳打ちする。
「モニカ。推しの晴れ姿に興奮しすぎではないか?」
「違います……」
婚約の儀式を終えたあとの二人は、宣言どおりにリアナ、ブラウリオ、ロベルト、ビアンカ、モニカの五人を友人として招待客に紹介した。





