第12話 命を守る行動
芥と夜島は、壷内を科学実験室に迎え入れ、バリケードを再構築した。
「おかげで助かりました……」
壷内は水道の水を飲むと、背筋を伸ばした。
「改めまして、僕は一年の壷内です。よろしくお願いします」
「俺は芥。よろしく」
「夜島です。……横井さんがあなたを庇って死んだって本当?」
あまりに無表情のまま問いかける夜島に、壷内は少しだけ戸惑って答えた。
「あ、はい。残念ながら……」
「ふーん」
返事を聞いた後も、夜島は眉一つ動かさない。
ただ壷内の顔を数秒見て、目を横にそらした。
「ネットも使えない様ですし、とりあえず持っている情報を共有しませんか?」
壷内はその辺の引き出しを漁って紙とペンを入手すると、内容を書き留めながら喋り始めた。
「僕がここへ来るまで見た怪物は24体、生存者は28人です。最も、彼らが今も逃げ延びているとは思えませんが……」
「すごいな。数えてたのか」
「何割くらいの人間が怪物化したのか調べたくて。それに、怪物化してしまう人の特徴も観察しようと努力しましたが、結局何も分かりませんでした」
芥は感心した。
同時に、彼を部屋に入れた事は間違っていなかったと確信した。
「芥先輩は、何か分かった事はありますか?」
「いや……申し訳ないけど、逃げるのに精いっぱいで、特には」
「そうですか」
(チッ、使えねーな)
壷内は心の中で舌打ちした。
「あっ、でもそういえば」
「何かあるんですか?」
「江村さんがバケモノになった時、『ゆうじくん』とか言ってたな。長峯君は『ときわ、ゆるさない』だったっけ……」
芥は水道水を入れたビーカー片手に、天井を見ながら答える。
「なるほど……」
壷内は、手元の紙にメモしながら考えを巡らせていた。
(この二人、何かヤバいんじゃねえのか?)
クラスメイトが死んだと聞いても、蝋人形のように無表情のままの夜島。
同様に、バケモノになったクラスメイトの事を平然と話す芥。
(普通のヤツはもっとこう、泣いたり、取り乱したりするもんだろう……?)
「ん、どうした?」
「いや別に……。もしかしてその江村さん、長峯さんというのは、家庭科室で戦っていた二体ですか」
「あぁ。触手のヤツが江村で、電撃が長峯だ。見たのか?」
「一瞬だけですけどね」
壷内は紙の上にペンを走らせた。
(触手に電撃か。僕が見た事あるのは吸盤のヤツに、口がデカいヤツ、怪力、鎧、ハサミ……共通点は無さそうだな)
メモを凝視しながら考え込む壷内を放っておいて、芥は再びSNSを開いた。
まだ動作は重いが、さっきよりマシになっている気がする。
トレンド欄には『ゾンビ』『パンデミック』『バイオハザード』等々、物騒な単語が並んでいる。
少なくとも、この現象が世界中で起こっている事は確かだ 。
『目からめっちゃ血出て来たんだがwwスマホもよく見えんw』
『姉貴がゾンビ化したから部屋に閉じ込めた どうすれば良い?』
『○○市の避難所はどこもダメです。もう終わり。』
悲痛な叫びで溢れ返るタイムラインで、芥は少しでも有益な情報を見つけようと彷徨う。
『怪物化現象はウイルスによるものです!マスクをしてください!』
『これは呪いだ 何をしたって防げやしない』
『どう考えても神の選別なんだが?人類自業自得で草』
(てきとうな意見ばっかだな。もっと自分の発言に責任を……なんて言う権利、俺には無いか)
『国家非常事態宣言が発令されました。国民の皆様は不要不急の外出を控え、命を守る行動をしてください』
(省庁の公式アカもこのザマか)
この非常事態に、宣言もクソもあるだろうか。
具体的にどうすれば良いかなんて一つも書かれていない。
「ん?」
よほど役に立つとは思えない投稿の数々。
その中にある一つの投稿に、視線が吸い寄せられた。
『血の涙は怪物化の前兆。出たら怪物になる前に自殺しろ』
芥は、江村の頬に血痕があった事を思い出した。
そして無意識に壷内の顔を見るが、血の涙が流れた様な痕跡は無い。
「芥先輩」
「な、何?」
急に話しかけられ、心臓が跳ねる。
「トイレってどうしてます?」
「あ、ああ……あそこの準備室にバケツ置いてあるから、そこに」
「分かりました。僕はバケツは使いません」
壷内はその辺の棚から大きめの薬瓶を取ると、それを持って準備室に入った。
やけにリアルな水音が聞こえ、夜島は少しそわそわした。
二分後。
準備室から出て来た壷内の手には、黄色い液体が入った薬瓶が握られている。
「……ふぅ。次は漏斗持ってこ」
「ちょっと壷内君?」
「はい」
「それは何だい?」
壷内はきょとんとして答える。
「尿ですけど?」
「ど、どうして持ってきた?」
「非常時に飲むためですよ。空気に触れない方が長持ちしますからね。本当は冷蔵保存したかったのですが……仕方ありません」
夜島は小さな声で「飲むの?」と尋ねた。
「海で遭難した漁師が尿を飲んで生き延びた、という話を読んだ事があります。なりふり構っている場合ではありませんからね」
壷内はそう言うと、流し台の栓を閉めて水を溜め始めた。
それが水道が止まった時のための備えである事は、聞かずともわかる。
芥は驚くと同時に、自分たちが置かれている状況を改めて認識した。
あまり焦りや恐怖を表現しない夜島のせいでマヒしていたが、今の自分たちはかなり死に近いのかもしれない。
情報を整理し、淡々と”命を守る行動”をする壷内の方が正しいのは明白であった。
「……壷内君、俺は何すれば良い?」
「そうですねー、とりあえず一緒に水溜めましょう。持ち運べるように瓶にも詰めましょうか」
「分かった」
「ご協力感謝します」
にこやかに作業を進める壷内の姿を、夜島は黙って横目で見つめていた。




