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中編『悲劇の香り』

 ある時、黒い神は遠くで誰かがすすり泣く声を聞いた。

 それが悲劇の種であると確信し、顔が醜悪な笑みを浮かべるのを隠そうともせずにその場所に向かった。

 

 その場所に近づくにつれ、甘美な悲劇の香りが強くなる。黒い神は、悲劇を鑑賞するだけではない。五感を使って悲劇をじっくりと味わう。

 悲劇を目撃し、悲劇の音を聞き、悲劇の臭いを嗅ぎ、悲劇を肌で感じ、悲劇を咀嚼して存分に味わう。すでに黒い神にとって、悲劇は食事のようになっていた。

 

 食事は何のためにするか? 無論栄養を取るためだ。

 しかし食事をする時、これを食べなければ死んでしまうなどといちいち考えながら食べるだろうか? そんなことはない。腹が減り、目の前に上手い食べ物があるから食べる。食欲を……欲望を満たすために食べるのだ。

 ただ、これは裕福な人間が行う思考かもしれないが……。

 

 黒い神は悲劇を求めた。己の欲望を満たすためだけに。それは金持ちが己の食欲を満たすために、必要もない仰々しい料理を所望するのによく似ている。

 金持ちが豪華な食事をしたとしても、羨む者はいたとしても非難する者は少ないだろう。誰かに迷惑をかけているわけではないのだから。

 しかし黒い神が求める悲劇は、必ず誰かが不幸になっている。だから多くの者が非難する。だが、絶対的な力を持った黒い神を止めるすべはなく、世界には悲劇が広がって行く。

 

 *    *    *

 

「ん、これは」

 黒い神はすすり泣く声が聞こえた場所にようやく到着した。そこには人間達が集まっていたが、雰囲気がどこかおかしかった。

 

 地面には若い女性が(ひざまず)いて己の首を晒していた。首には紐が結ばれており、地面に突き刺さった杭にその紐はつながっていた。

 そのすぐ横には少年が立ちつくしていた。大きな剣を持ち、絶望的な表情で女を見おろしている。

 

 その二人から少し離れて、屈強な男たちが、一人のひげを蓄えた裕福そうな男を囲むように立っていた。裕福そうな男以外は、斧や剣などと言った強力な武器を(たずさ)えている。

 

「ほう、なるほどな」

 黒い神は、己の鋭い観察力と神力を使い、この場の状況を正確に把握した。

 

 まず、ひげを蓄えた男は奴隷商人だ。悪事で金を稼ぐ者独特のきな臭いにおいを漂わせ、圧倒的優位な条件でこの場に立っている。

 対して少年と若い女性の方は、奴隷だ。来ている服も靴もボロボロ。髪はぐしゃぐしゃに乱れており、肌は泥に汚れていた。あちこちに鞭で打たれたようなあざがあり、ひどい扱いを受けているのが容易に想像できた。

 この奴隷二人は、血はつながっていないが、兄妹のような関係であるらしかった。黒い神は二人の間にしっかりとした絆の線が結ばれているのが見えた。ただ、黒い神はその絆の線を愛おしく撫でるのではなく、乱暴に引きちぎるのを好むのだが。

 つまり、この奴隷商人と奴隷の二人は、商人と商品の関係なのである。奴隷商人の周りの男たちは、奴隷商人の用心棒だ。

 

 ではこの状況は何なのか? なぜ奴隷の少年は、自分の姉とも言えるような女性の傍に立ち、剣を携えているのだろうか? 少年の視線は女性に向けられている。つまり、少年は女性に剣を振りおろそうとしているのだ。

 神という高次元の存在である黒い神は、それすらも理解する。

 

 この奴隷の二人は、力を合わせて逃げ出したのだ。しかし、逃げる途中で捕まり、奴隷商人の元まで連れ戻されてしまった。

 逃げた二人を罰せずに許せば、他の奴隷も脱走を考えるかもしれない。だから、奴隷商人は二人を徹底的に痛めつけ、それを奴隷たちに見せて脅した。

 そして、他の奴隷を十分に脅しつけると、後は逃げた二人をどう処理するかを考えた。目を背けたくなるほど鞭でうちつけたと言うのに、それでは足りないと考えたのだ。

 それもそのはず、鞭で打ったのは他の奴隷に見せつけるためであって、二人への罰ではなかったのだから。二人は別の方法で償わせなければならないと、奴隷商人の中で勝手にきめられた。

 

 そして奴隷商人は思いつく。二人が仲のいい兄弟のような存在であることはなんとなく知っていた。だからこそ思いついた。寛大(・・)な処置を考えついたのだ。

 

 奴隷商人は古びた剣を一本少年に与えた。少年はそれを持って用心棒と戦わされ、なぶり殺しにされるんだろうと思った。

 しかし違った。少年が思いもしなかったことを奴隷商人は提案したのだ。

 奴隷商人は、少年に首を切れと命令した。少年はそれを自殺しろという意味合いで受け取ったが、奴隷商人はそれを否定する。

 

『その女の首を切れ。そうすればお前だけは助けてやろう』

 少年は意味が分からなかった。意味が分からず、女の方を見て首を傾げた。だが、女の方はその言葉の意味を理解したようだった。

 

『私の首を切りなさい』

 

 そう言って姉は首を少年に晒した。

 奴隷商人は、少年が自らの手で女を切り殺せば、その見返りとして少年だけは見逃してやろうと提案したのだ。少年もついにその思考に至り、絶望的な表情で女を見おろした。

 

 少年には大体三つの選択肢があった。

 一つは、奴隷商人の命令を実行し、姉の首を切って生き延びること。

 もう一つは、姉の首に括りつけてある紐を切り、ダメもとで一緒に逃げること。虚を付いて逃げても捕まったのだから、これを選べば多分また捕まって、今度は殺されるだろう。

 そして最後の一つは、このくたびれた剣を持って、奴隷商人に切りかかることだ。ここから奴隷商人に切りかかるまで、少年の足で六歩は必要だ。不意打ちは不可能。用心棒達が立ちはだかり、容赦なく少年を切り殺すだろう。だが、少年はこれを選ぼうとしていた。

 

 二人で逃げても絶対に助からない。それなら、奴隷商人の顔に傷の一つでも付けてから死にたかった。

『そうと決まったら……』

「まて」

 少年が今まさに剣を振り上げて商人に向かって走り出そうとすると、黒がそれを止めた。

 

『あなたは誰ですか?』

「俺は黒い神だ。とはいっても、神の中ではかなりくらいの低い部類にはいるが……」

 嘘だった。黒い神はそれほど弱くはない。だが、その方が、都合がいいので嘘をついた。

 

『神様ですか! では私達を助けてください! この場に現れてあいつらを全員殺してください』

 少年は切羽詰まった声で、黒い神にそう懇願した。黒い神は、その少年の黒い思想が心地よかった。

「今も言ったように、俺は力が弱い。人の世に直接現れて何かすることはできない。だが、ここから逃げ出すことには力を貸せる」

『本当ですか? どうすればいいのです?』

「女の首を切れ」

 それは、少年が期待したのとは全く違う言葉だった。女の首を切れだって? それじゃあ奴隷商人が言っているのと変わらないじゃないか。

 

『それではあいつと変わりません!』

「奴は女を殺してもお前を逃がす気などない。お前が切り殺した後でお前も殺す気だ。だが、お前がその女を私に生贄としてささげれば、俺は力を得てお前を逃がしてやれる」

 あまりにひどい交換条件だ。最初から選ぶ気なんてなかった選択肢が、絶対に助かる選択肢に変わっただけだ。これでは少年にとっては何もいいことなどない。

 

『だ、だったら私は他の選択肢を選びます!』

「その剣を振りかざし、敵に向かって行くような名誉の死など選ぼうとするな。お前に守るべき名誉や ほこりなどない。小さい頃から埃にまみれて奴隷生活だったではないか。今更情けなく生き延びたとして、何の恥じがある? その女の紐を切って共に逃げ、奇跡にかけてみるか? だがそれは無理だ。私が絶対(・・)に逃げきれないと宣言してやる」

 

 黒い神はこともあろうに、紐を切って逃げても、絶対に逃げ切れないことを宣言した。

 ……ああ、ここに現れたのが黒い神でさえなければ、女の紐を切れば絶対に逃げ切れると保証し、勇気を振り絞って紐を切れと励ましたかもしれないのに……。

 黒い神は囁く。女の首を切ってみじめに生き延びろと命令する。少年の精一杯の勇気を否定し、誇りを胸に抱いて死を選ぶことすら許さない。

 

『でも……でも……』

「ここは女を切り殺して生き延びろ。そうして何年もかけて人を殺す技術を磨き、あの男に復讐するのだ」

 少年は奴隷商人の方を見た。

『復讐……』

「そうだ。俺がお前に加護を与えてやろう。復讐を心に誓い、怒りを魂に刻め、そうすれば俺がお前を育ててやる。最高の復讐鬼(ふくしゅうき)に成長させてやる。今女の首を切り落としさえすれば、お前は絶対にあの男に復讐できる。あの男の耳を切り落とせ、命乞いをさせろ! 歯を砕き、目を潰し、足の裏を舐めさせて顔に泥を塗ってやれ。快感だぞォ? あの偉そうにしてる男が、情けない顔をして地面にはいつくばる姿を見るのは。そして、それをさせるのはお前なのだ」

 もはやそれは悪魔の囁きだった。黒い神が悪魔でないと言えるのは、神という身分を持っていると言うだけであり、それがなければただの悪魔だ。

 楽園で美女にリンゴを食べろと囁いた有名な蛇と全く同じ。あの蛇は悪魔が化けていたものだった。ならばこれは、悪魔が神に化けて少年に殺人を犯せと囁いているのだろうか?

 

『分かりました黒い神様……。私の愛すべき姉の首を切り落とします』

 少年は決意した。神の囁きに乗せられてしまった。いや、この言い方はあんまりかもしれない。神に直接命令されて、抗うことのできる者がこの世にどれだけいると言うのか?

 

「よく決断した。一気に振りおろしてやれ。切れ味が悪い剣だからな、迷えば無駄に女を苦しめることになる」

 黒い神は囁きが成功したことを確信し、少年に殺しのアドバイスをする。すると、少年が口を開いた。

『それでも私はいまだ臆病で決心がつきません。どうか私の肩を叩いてくれませんか? それを合図に剣を振り下ろします』

 少年は震えていた。姉と慕った女を殺すのだ。迷いもするだろう。その迷いすらも、黒い神を喜ばすのだが。

「言いだろう。お前のために肩を叩いてやる。それが契約の代わりだ」

 言いながら黒い神は、少年の肩に触れた。

 

「かかったな黒」

 

 黒い神が少年の肩に触れた瞬間。少年の首が回転し、裂けるほど歪んだ笑みを浮かべて黒い神にそう言った。

 黒い神は驚き、慌てて手を引っこめようとしたが、少年の肩に手が張り付いて動けなかった。

 すると、少年の体から蜘蛛の糸が吹き出し、あっという間に黒い神を絡め取ってしまう。黒い神はそのままバランスを崩し、地面に倒れ込んでしまった。

 

「な、何だこれは!?」

「無様だな黒」

 黒い神は聞き覚えのある声を聞いて周りを見回した。すると、あたりの景色は一変しており、そこには黒い神と協力したいくつかの神の一人である緑の神(・・・)が立っていた。

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