幕間7 冠位会議
コツ、コツ、コツ。
ヒールの音が、石造りの廊下に響いていた。
クレアは書類の束を胸に抱えながら、冒険者ギルド本部の奥へと歩いていた。普段は受付に立っている自分が、この廊下を歩くことは滅多にない。
本当に、最近はいろいろなことがあった。
忙しさに追われて自分を労う暇もなかったけれど、こうして一人で歩いていると、否応なく思い返してしまう。
特に——
「……先日の新星杯は、とんでもなかったわね」
思わず独り言が漏れた。
思い返すだけでも、それはすごかった。
まずは、一時代に一人と言われる第七属性目『雷属性』の2人目の覚醒。ミリアという名の、まだ若い少女。あの瞬間、アリーナ中が紫の光に包まれた時の観客の騒ぎようといったらなかった。
次に、レクトが準決勝で突如として噴き出した黒紫の魔力。魔力暴走、そして闇属性魔法の発現。あの注射器が何だったのか、今は魔淵の七花が調査を続けているらしい。観客席にまで被害が及びかけた時は、本当に肝が冷えた。
そして——カイ君。勇者リーナの代名詞とも言える絶魔の剣閃で、剣技すらも打ち消して見せた。そして、あの謎の深紅の魔力。暴走したレクトを正面から打ち破り、圧倒した。あの光景は、見ていた誰もが忘れられないだろう。
「まあ、それの報告書をまとめるのにも大変だったわよ。大会が終わってからも休む暇なんてなかったんだから」
ため息が漏れた。
ああ、またクレープ食べに行きたい。おいしかったなあ、あの生クリームとベリーソースの——
だが、そんなことを考えている場合ではない。
今日は、我が王都グランヴェルの冒険者ギルドにおいて、特別な日なのだから。
コツ、コツ、コツ。
廊下は奥に進むにつれて照明が少なくなり、空気が重くなっていった。一般の冒険者はもちろん、ギルド職員ですら滅多に足を踏み入れない区域。
冒険者ギルド最奥——円卓の間。
今日は、冠位会議が行われる日だった。
重厚な扉の前に立った。深呼吸を一つ。書類を持ち直し、ノブに手をかけた。
ガチャリ。
扉を開けた瞬間、空気が変わった。
広い部屋だった。中央に長い楕円形のテーブルがあり、その周囲に椅子が並んでいる。天井は高く、壁には王都の紋章とギルドの紋章が並んで掲げられていた。
そして——そこには、想像を絶するメンツが揃っていた。
黎明の聖剣が冠する者——勇者、リーナ。銀の軽鎧に白いマント。腕を組み、椅子の背にもたれている。表情は読めない。いつも通りだった。
烈火の戦陣が冠する者——剣聖のジェイド。赤い髪をセンターで分けており整った顔立ちに、不遜な笑みを浮かべている。椅子に深く腰掛け、退屈そうに天井を見上げていた。
魔淵の七花が冠する者——万象のエレノア。銀縁の眼鏡をかけた女性。手元に分厚い本を開き、こちらを一瞥してからまた本に目を戻した。
聖泉の祈庭が冠する者——聖女メルティナ。柔らかな金髪を肩に流した穏やかな顔立ちの女性。両手を膝の上で重ね、静かに微笑んでいる。その微笑みの奥にある魔力の深さは、この部屋にいる誰もが知っていた。
影刃の帳が冠する者——絶影のゼルド。その素顔は漆黒のベールに深く覆われている。だが、わずかな隙間から覗く切れ長の紫の瞳が鋭い光を放っていた。細身だが隙のない体つきに腰には二本の短剣を佩いていた。
冠位の五傑。ギルドの最高戦力。この国で最も強い冒険者たち。
「おう、クレア。来たか」
テーブルの上座から声がかかった。白い髪に短い白髭。冒険者ギルドマスター、ガレウス。
「はい。資料をお持ちしました」
「ご苦労。そこに座ってくれ」
示された席に腰を下ろしながら、円卓の間の空気を感じていた。重い。一人一人の存在が、部屋の空気そのものを変えている。
「またこういう長え会議すんのかよ。だりいな。おい、なんか酒をよこせ」
ジェイドが欠伸をしながら言った。
「ほら、そんなこと言わないの。大事な会議なんだから」
エレノアが本から目を上げずに窘めた。
「だいたいあなた、前回の会議でも同じこと言ってたじゃない」
「前回も出なかったからな、酒が」
「当たり前でしょう」
「まあまあ、お二人とも」
メルティナが穏やかに微笑んだ。
「せっかく皆さんお揃いなんですから、仲良くしましょう?」
「仲良くっつってもなあ。こいつらと仲良くするのは酒がねえと無理だ」
「あら、私は素面でも十分あなたの相手ができるわよ、ジェイド」
エレノアが眼鏡の位置を直した。
ゼルドは何も言わなかった。腕を組み、紫の瞳が円卓の上を一度だけ走り、それきり動かなくなった。
リーナは黙っていた。腕を組んだまま、微動だにしない。表情も見せない。
ジェイドがリーナとゼルドを交互に見た。
「こいつらはいつも通りだな。リーナはぶっきらぼうで喋んねえし、ゼルドは存在感がなさすぎて座ってんのかどうかも分かんねえ」
「ほら、二人のことも放っておきなさい」
エレノアがため息混じりに言った。
ゼルドが薄く目を開けた。
「無駄口を叩く暇があるなら、会議を始めた方がいい」
「ほらな。こういう返ししかしねえんだよ」
ジェイドが肩をすくめた。メルティナが小さく笑った。
ガレウスが立ち上がった。
白い髭を撫で、円卓を見渡した。最高戦力たちの視線が、静かに上座に集まった。ジェイドが姿勢を正し、エレノアが本を閉じた。メルティナが微笑みを収め、背筋を伸ばした。ゼルドは変わらなかったが、紫の瞳がガレウスを捉えていた。リーナは腕を組んだまま動かなかったが、その目はガレウスを見ていた。
部屋が、静まり返った。
ガレウスが口を開いた。
「——では。冠位会議を、開始する」
その声が、円卓の間に重く響いた。




