第1話 冒険者への憧れ
幼い頃から、僕は冒険者に憧れていた。
きっかけは一冊の絵本だった。『始祖の灯火』。分厚い革表紙に金の箔押しで剣と盾が描かれた、もう何百回開いたか分からない絵本。ページの端はめくりすぎてふやけているし、背表紙の糸はほつれかけている。それでも僕にとっては宝物だった。
「お母さん、絵本読んで! またあれを!」
「まあまあ、カイは本当にこのお話が好きねぇ」
お母さんは呆れたような、けれどとても優しい顔をしながら、僕を膝の上に乗せてくれた。開かれたページには、千年前のダンジョンの奥深くで、恐ろしいドラゴンや巨大な魔物たちに五人の冒険者が立ち向かう姿が色鮮やかに描かれている。
剣から放たれる光、魔女の華麗な炎、そして仲間たちと笑い合う姿。王都の巨大ダンジョンを中心に回るこの世界で、彼らは間違いなく最高に輝くスターだった。僕の小さな瞳には、そのすべてが希望の光のように映っていたのだ。
「僕は将来、絶対冒険者になる!!」
「ふふっ、カイならきっと、すごい冒険者になれるわよ!」
いつか必ず、あの絵本の主人公のように——。そんな純粋な憧れだけを抱いて生きていた僕の運命が大きく動いたのは、5歳の誕生日を迎えた日のことだった
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「カイ、今日は何の日かわかる?」
夕食の席で、お母さんが少し得意げな顔で聞いた。
「うんっ! 僕の誕生日!」
「そう! カイ、お誕生日おめでとう!」
お母さんは僕を抱きしめて、
「しかも今年は特別よ。すごいプレゼントがあるんだから!」
「すごいの?」
「すごいわよ!」
満面の笑みで答える僕の前に、お母さんはもったいぶった仕草で「じゃじゃーん」と一つの箱を取り出した。 それは、5歳の僕の背丈ほどもある、大きな一本の長い箱だった。
この形。この長さ。もしかして。
「——剣?」
声が裏返った。冒険者が持っているような、本物の剣。絵本でしか見たことのない、あの輝く刃。
「開けていい?」
「ふふ、どうぞ」
お母さんが楽しそうに頷く。
僕は震える手で箱の蓋に手をかけ、勢いよくそれを開け放った。 中から現れたのは——。
笑顔のおじさんがいた。
正確に言うと、がっしりした体格の男が、歯を光らせて親指を立てている。
年の頃は三十代半ばといったところで、黒髪の中に何本か金色の筋が混じっており、光の当たり具合でそれが微かに煌めいている。背景には謎の光線が放射状に走り、その上に踊るような太い文字で、こう書かれていた。
『ヴォルフと学ぶ! 最強剣士への道!!』
「…………え、なにこれ!?」
想像していたものとは全く違うものだったため、あっけにとられていた。だけど箱の中を確認すると、パッケージの中にはクリスタルディスク——CDと呼ばれる板状の魔道具が一枚。それと、鉄でできた小ぶりの剣が一本、布に包まれて添えられていた。
これが剣の教材・・・!?
「さっきバザーに行ったらね、剣士になれるCDが売っていたの! しかもとっても安くて!」
CDといえば、魔道具の台座にはめ込むことで映像を壁に投影できる高価な代物だ。
お母さんが満面の笑みで話す。
「これを見て学べば、きっとカイもすごい冒険者になれるわよ!」
お母さんは自信満々だった。目がきらきらしている。多分、僕が絵本を読んでもらっている時と同じ顔をしている。
ただ、僕は自分で作った木の剣以外を初めて触って、この鉄の剣でテンションが爆上がりしていた。しかもこれまで独学で悪戦苦闘していたところに自分だけの教材が手に入るとあって、もうテンションが天井を突き破りそうだった。
「お母さんありがとう!!!」
「ふふん、でしょでしょ? さっそく見てみましょうよ!」
居間の棚の奥から、お母さんが古い魔道具の台座を引っ張り出してきた。手際よくディスクをセットすると、部屋の壁に光が投射され、映像が浮かび上がる。
そこに映し出されたのは、穏やかな森にたたずむ、パッケージと同じ笑顔の男——ヴォルフだった。映像で見ると、黒髪に混じる金の筋がより際立って見えた。
「やあ、よく来た。俺はヴォルフ。剣一本で人生を渡り歩いてきた、ただの剣士だ」
声は低く、聞いた瞬間に背筋が伸びるような重さがあった。
「このCDを手に取ったってことは、お前も剣士を目指してるんだろう。なら俺が全力で教えてやる。ただ一つだけ約束してくれ。最後まで諦めずについてこい。それだけでいい」
紹介映像が終わり、画面が切り替わった。
「では、第一の修行だ」
ヴォルフが横に歩いた。カメラが引くと、大きな岩が映った。人の背丈ほどはありそうな、ごつごつした灰色の岩だ。
「まず、手頃な岩のあるところへ移動してくれ。本来は木の剣でも何でも構わんが、一応そこに添えてある鉄の剣を使ってくれ」
それだけ言うと、ヴォルフは腰に下げていた剣をゆっくりと抜いた。
構えは小さかった。力んだところが一つもない、ただ自然に佇んでいるような姿勢。しかし次の瞬間、何かが変わった。雰囲気、とでも言えばいいのか。その老人を中心に、空気が締まったような気がした。
そして一閃。
岩が、両断された。
「……!」
音もなく、ただすっと剣が振られた。それだけなのに、あの大きな岩が、何事もなかったように真っ二つになっていた。断面は鏡のように滑らかで、切りくずひとつ飛んでいなかった。
「ええっ!?」
「すごーい! 鉄の剣であんな大きな岩を切るなんて、やっぱりすごいわね!」
僕とお母さんは、信じられない光景に目を丸くした。魔法でも使ったのかと思うほどの威力だ。 僕の胸の中に、再び冒険者への熱い憧れがふつふつと湧き上がってくる。このおじさんの言う通りにすれば、僕もあんな風になれるのだろうか。
「さあ、コツを教えるぞ。よーく聞いてくれ」
ヴォルフは画面の向こうで真剣な顔になり、剣の構え方について語り始めた。僕は一言も聞き逃すまいと身を乗り出す。
「まずな、お腹の丹田のあたりに、こう……ギュッと力を込めるだろ?」
「ぎゅっと」
「そして、足元をグッと踏み込んで、全身の気をバチバチッとさせる!」
「ばちばち……?」
「そこから一気に、ギャッと引いて、ジャーーーッ!!! だ!!! 分かったか!?」
「…………え?」
「ポイントはな、最後のバシュッの瞬間に手首をキュッとしないことだ。キュッとすると力がギュンと逃げる。ギュンと逃げたら斬撃がヘニャッとなる。ヘニャッとなったら岩は斬れない。だからキュッではなく、スッと——いや、スッだと弱い気もするな……ヌッ、に近いかもしれない。そう、ヌッだ。ヌッと握ってバシュッ! だ」
「——この人、何言ってるの?」
お母さんのほうに目をやりながら言った。お母さんも一瞬不思議な顔をしたが、すぐに表情が明るく変わった。
「ほらカイ、お母さん裏山にちょうどいい岩があるの知ってるわ! 一緒に行ってみましょう!」
お母さんは割り切るのが早い人だった。
困惑する僕をよそに、すっかりその気になったお母さんは、箱に入っていた鉄の剣を僕の手に握らせ、ずんずんと裏山へと歩き出した。
裏山までは歩いて五分もかからない。普段から遊び場にしていた場所で、道も草も体に馴染んでいた。お母さんの言う通り、少し登ったところに手頃な大きさの岩がある。昔から変わらず、そこにある岩だ。
岩の前に立って、鉄の剣を見様見真似で構える。
ずっしりとした重さが手に伝わった。木の剣とは全然違う。鉄のにおいがして、なんとなく剣士の修行を味わっている気分になった。
「じゃあ……やってみる!」
「頑張れ!!!
ヴォルフの言葉を思い出そうとした。ギュッ、ジワー、バシュッ。よくわからないが、とにかく「腹に力を込める」という部分だけは聞こえていた。息を吸って、お腹に力を入れる。そして剣を振った。
——バリッ。
「え」
手の中から重さが消えた。
地面を見ると、鉄の剣が二つになっていた。刃の部分と柄の部分が、きれいに分かれている。折れた断面は新しく、金属の光沢を放っていた。
「……折れちゃった」
「あらら、やっぱり最初からは無理だったみたいねぇ」
お母さんは折れた剣を見ても全く動じることなく、ニコニコと笑っている。
「でも、あのおじさん『木の剣でもいい』って言ってたわよ? カイが昔、剣士に憧れて暇な時に作ってた木の剣がたくさんあるじゃない。明日からは、それでやってみたらどう?」
「本当にこんなので、岩なんて切れるのかなぁ……?」
僕は手元に残った折れた鉄の剣の柄を見つめながら、修行に対して不安になった。 これが、僕とあの胡散臭い師匠との出会いだった。
そして彼は知らない。この修行が、世界でただ一人しか継承者のいない『一閃流』——その習得への、最初の一歩であることを。
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カイが裏山で木の剣を振っているのと同じ日。王都近郊のバザー。
店じまいをしている雑貨屋の親方と、弟子の少年。
「親方、そういえば今日、CDが一つ売れてましたよね。あれ、結構貴重なものじゃないですか? なんであんな安値で出してたんです?」
「ああ、あれか」
親方は荷物を片付けながら、面倒くさそうに答える。
「CD自体は確かに安いもんじゃねえ。だがな、問題は中身だ。あれは剣の修行映像が入ってるんだが……誰も習習得できねえんだよ。腕に覚えのある剣士が何人挑んだか知らねえが、最初の課題で全員投げ出す。『意味が分からない』ってな」
「へえ、そんなに難しいんですか」
「難しいっつうか……なんつーかな、教えてる爺さんの言ってることが人間の言葉じゃねえんだ。『ギュッとしてバシュッ!』とか言われても分かるわけねえだろ。ものがいくら貴重でも、中身がゴミならそれはゴミだ。棚に置いとくだけ場所代の無駄だからな、ワゴンに放り込んどいたんだよ」
「なるほど……。じゃあ買っていったのは?」
「田舎から来たっぽい母親だったな。目ぇキラキラさせて『息子が冒険者になりたいんです!』って。……まぁ、今さらあれを買うのはただの物好きだ」
親方は最後の荷物を片付け、店の看板を下ろした。
「せいぜい、子供のおもちゃにでもなりゃいいがな」
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