和睦
ウティウム伯と皇弟リヒャルトは早速、講和交渉を開始した。場所はリヒャルトの本陣であり、明らかにウティウム伯の方が格下の扱いであった。
「北方帝の弟ともあろう方が、ただの伯爵ごときとお会いいただけるとは、光栄です」
「貴殿の采配は儂も高く買っておるのじゃ。貴殿が聡明にして話のわかる男であること、期待しておるぞ」
それほど遠回しでもなく、時間稼ぎをするようなことがあれば容赦しないという脅しであった。
「ありがたきお言葉です」
「さて……儂としては、元より領土を広げる気などない。ただレムリアまでの道の安全を確保すればよいだけじゃ」
「はい。存じております」
「然るに、貴殿には我らがレムリアに行って戻るまでの間、人質を差し出してもらいたい。そして同時に、ウティウムに押さえの兵三千を置かせてもらう」
皇弟リヒャルトは穏やかな声で、しかし強硬な要求を突きつけた。このような要求を突きつけられて黙っていないのは、ウティウム伯の家臣の方である。
「そのような条件、降伏も同じではありませぬか! 殿下は交渉をなされる気があるのか?」
「儂は必ずしもこの条件でなければならぬとは申しておらぬ。いくらでも交渉して、よい条件を獲得するがよかろう」
「そ、それは……」
「我が家臣が失礼をいたしました。申し訳ありません、殿下」
「別に構わぬ。して、どうじゃ? 言いたいことはあるか?」
「私としては、気がかりな点は一つです。三千もの兵を置けば、ウティウムの民に大きな負担がかかりましょう」
「兵糧は本土から運び込むつもりじゃ」
「そうは言っても、兵らを泊めておく野営地や、食糧以外の必需品などは、ある程度は現地で調達することになりましょう。適切な対価を払っていただけるとは信じておりますが、そうは言っても極度の品薄が広がることは、民にとって好ましくありません」
「貴殿は駐兵を減らしたいのじゃな?」
「いかにも。せめて半分、千五百にしていただきたい」
三千の兵ともなれば、ウティウム伯が動員できる兵力を超えている。民が耐えられる負担の限界を超えているということだ。
「では、貴殿は何を提示してくれるのかな?」
ウティウム伯は一拍置いて、深く息を吸ってから答えた。
「私自身が人質となりましょう。そうすれば反乱など起こりようがありません」
「は、伯爵様!? そのようなこと聞いたことがありません!」
君主の子や一族が人質になるのはよくあることだが、君主自身が人質になる例はほとんどない。
「であればこそ、価値も大きいだろう。いかがですか、殿下?」
「面白い提案じゃ。よかろう。貴殿の誠意に免じて、駐兵も千に減らす。貴殿はこの遠征の間、我らに同行してもらおう」
「はっ。ありがたき幸せ」
「は、伯爵様、本当によろしいのですか……?」
「よいのだ。これで民の安寧は守られた。よいか、絶対に誰も反乱など考えてはならぬ。北方帝に楯突こうとした者は即刻首を刎ねよ」
「はっ……」
かくして、ウティウムは北方帝軍の手に落ちたのである。
「――しかし殿下、ウティウムに対して寛大過ぎではありませんか? 反乱への備えとしては不十分では?」
交渉の直後、ポメレニア辺境伯アドルフが問うた。
「レムリアに行って帰ってくるまでの間の安全を確保するには十分。それに、駐兵など大した数は要らぬ。最初から三千も残す気はない」
「そこまでお考えとは。是非とも見習いたい交渉術です」
「卿も儂と同じ立場なら、そうしていたのではないか?」
「さて、どうでしょうか」
市街地まで被害は及ばず、駐兵もそれほど多くはない。ウティウム市民は概ねいつも通りの生活を取り戻すことができた。
○
東方正帝アレクシオス率いるおよそ一万五千の軍勢は、半島本土南端を出発し首都長官領に入っていた。首都長官領は一切の戦いが禁止されているだけで、軍団が入ること自体は禁じられていない。
「申し上げます! ウティウムが陥落! 北方帝の手に落ちた由にございます!」
「それは真か? たったの一晩であのウティウムが落ちたと?」
「はっ。間違いはございません!」
「そうは言っても、敵の偽報やもしれん。陛下、まだ暫らく真偽を見極めるべきかと」
東方正帝が最も信頼を置く将軍ベリサリウスは、その主君に提言した。
「いや、よい。左様な偽報流したとて時間稼ぎにもなるまい。ウティウム一晩で落ちたとの由、真であろう」
東方正帝アレクシオスはその案をきっぱりと否定した。アレクシオスは何事も即断即決する御仁である。
「さ、左様でしょうか……」
「ウティウムと首都長官領の間で我らに靡きそうな貴族はあるか?」
「目処はたっておりません。まさかこれほど早くウティウムが突破されるとは思わず、調略を行っている最中です」
「なれば、此度の戦は終わりよ」
「畏れながら、今こそ北方帝と会戦を――」
「ベリサリウス、兵を帰せ」
アレクシオスは有無を言わさず撤退を命じた。いくら敵対していると言っても、用意もなしに北方帝との戦争状態に突入するわけにはいかない。
「……はっ。陛下はレムリアに残られるのですか?」
「少し気になることがある」
「はっ。では、護衛として二千ばかりをレムリアに置き、残りの兵は帰します。後のことはこのベリサリウスにお任せを」
「任せた。せっかく軍団を用意させたのに、何の活躍もさせてやれなかったこと、すまなく思う」
「何を仰いますか。今回のことは仕方のないことです」
「天運味方につけてこそ真の君主の器。儂もまだまだであるな」
これで北方帝のレムリア遠征を妨げる者はいなくなった。




