北方戦争の終わり
「やっぱり……これ以上の侵略戦争はやめてもらおうか」
「おや、ヴィルヘルミナ殿は戦争そのものの是非については干渉しないという立場だったのでは?」
「確かにそのつもりだった。ある戦争は正しく、ある戦争は間違っているだなんて発想は、望ましいものではない」
「であれば、何も問題ないのでは?」
――そう、そうさ。そのはずだったんだけどね。
「戦争に大義がないくらいなら結構。しかし、賠償金を得るためだけに何千という人間を殺すのは、人のすることではない」
「そうでしょうか? そんな目的の戦争は歴史上幾度となく起こってきたと思いますが」
「ああ、確かに。だが、私の目の前でそれは許さない。新たに広大な領地を得られたんだから、それでいいじゃないか。君も言ってただろう? この領地は将来に渡ってポメレニア辺境伯領に利益をもたらすって」
「それはその通りですが、今のことを考えろと仰ったのはヴィルヘルミナ殿ではありませんか。向こう十年程度の財政の安定を得るため、我が国には賠償金が必要なのです」
――まったく、言い争いは無敵か、こいつは?
相変わらず辺境伯を言い負かすことは不可能そうだと悟ったヴィルヘルミナは、言葉によって説得するのを諦めた。
「はぁ、もういいよ。私が気に入らないから、この戦争を終わらせる。今すぐに和平を結ぶんだ」
「ふむ。さもなくば?」
「私が君達の敵になる」
――酷い脅しだ。
ヴィルヘルミナは右手の爪を伸ばし、その爪先を辺境伯の首元に突きつけた。ヴィルヘルミナがその気になれば一瞬で首を落とせるが、辺境伯は少し驚いただけで、怯える様子など微塵も見せなかった。
「それは困りましたね。しかし、我が民のため、この戦争で失ったものを少しでも取り返さなければ」
「君の敵は、君より遥かに多くのものを失ったんだ。痛み分けってことでいいだろう?」
「辺境伯として、それを受け入れるわけにはいきませんね」
「面倒な奴だなぁ……」
ポメレニア辺境伯は究極的な無私の人であった。自らの私利私欲など全くなく、ただ領民の幸福を願って行動している。だからこそヴィルヘルミナの脅しは通用しないのである。
「今ここで君が死んでもいいのかい? ポメレニア辺境伯を継げる人間は、今のところいないんだろう?」
「ええ。ですから、ここで殺されるのは困ります」
「……いや、君を殺すのはやめておこう。そんな騙し討ち、正しいやり方じゃない。もしもこれ以上戦争を継続するのであれば、私は諸種族連合軍の側に立って参戦する。ただそれだけだ」
――それでも、殺すって言うのと大差ないけど。
「それは困りますね」
「元より私達は敵でも味方でもない。私は相手の行為によって、誰に味方するか決めるだけだ」
「それでも、これほどの窮乏した財政に、手を打たなければ……」
辺境伯は珍しく、言葉が鈍っていた。空っぽの国庫をある程度埋められる可能性と、ヴィルヘルミナが敵に回る可能性。どちらが重いのか決めかねているようだ。
ヴィルヘルミナと辺境伯アドルフの間を、暫しの間、沈黙が支配した。
「さあ、どうする? 私と戦争して勝てるのなら、ここで手を切ってもいいと思うけど」
「……あなたと敵対するのは、我が国にとって危険が大きすぎます。ここは、あなたとの同盟を取りましょう。それがきっと、最善の選択肢のはずです」
「それは賢明な判断だ」
――まあ、全然美しいやり方じゃなかったけど。
ほとんど騙し討ちのようなものだ。人の道に悖るやり方を嫌うヴィルヘルミナとしては、甚だ不本意だと言わざるを得ない。だがそれでも、ヴィルヘルミナは感情的に動いてしまった。
○
さて、ヴィルヘルミナに脅された辺境伯は、コーヒーを飲みながら、ヘルヴェコナ伯ゲッツに事の顛末を語った。
「――そいつは大変でしたなぁ」
「ヴィルヘルミナ殿がもしも本気で敵に回れば、勝利は怪しくなるだろう」
「そんなことになったら、せっかく手に入れた領土をすっかり失って、俺達はただ莫大な金と命を失っただけになってしまいますな」
「卿も、負けると思うか?」
「五分五分ってところでしょうな。ただ、そんな危ない橋を渡るのは、殿下の趣味ではありますまい」
「卿がそう言うのなら、間違いはあるまい。大人しく和議に応じるとしよう」
「ええ、それがいいでしょうな」
ヘルヴェコナ伯ゲッツはヴィルヘルミナの意図を察し、辺境伯を和平に応じるよう説得した。家中で最も優秀な将軍であり、幼少の頃からの友人でもある彼に言われると、辺境伯も素直に応じる気になったのであった。
○
その後すぐに使者がやって来て、今度は辺境伯の方から無賠償での講和を提案した。現在の占領地をそのまま辺境伯の領土として割譲すること、そしてトワングステ近辺に配置する軍備を制限することを骨子とし、交渉は成立した。
双方の陣地の間にある原野で代表者同士が会合し、正式な和平が締結された。ポメレニア辺境伯アドルフとホルムガルド公リューリクが講和文書に署名し、正式な和平条約が締結された。
「我ら北の民は決して人を欺かぬ。貴公が裏切らぬ限り、条約は絶対だ。しかし、それは向こう五十年の話に過ぎぬ。それを過ぎればお互い敵同士になろう」
「失礼ながら、ホルムガルド公が五十年後に生きておられるとは思えませんが」
「儂はもうすぐ死ぬ。だが、エルフとドワーフの同胞達はほとんどが健在であろう。五十年後も今の恨みを抱え続けていることを、ゆめゆめ忘れぬことだ」
「五十年後ですか。私も死んでいる可能性が高いですが、その前に対策を済ませておきますよ。五十年後を楽しみにしていると、そちらのエルフの方々にお伝えください」
「よかろう。せいぜい後悔をせぬことだ」
向こう五十年間の平和は約束された。だが、エルフにとってそんな時間は束の間に過ぎない。




