第十話「砂被り姫の解読」前編
街での偶然の出会いから数日。
この十数日間でまだ見たことのなかった青年の意外な一面は、ロゼッタの中になかなか大きな衝撃として映っていた。
それを振り払うかのように、ロゼッタは研究に打ち込んだ。
「カイロさん、この部分の文字ですけど」
「ちょっと掠れているけど、まだ見えるね。写しは――」
「完了しています。それでこれ本当に意味だけを表しているんでしょうか」
メイベリアンの遺跡に描かれた文字は、何か特徴的な絵のように見えるものばかりだ。少なくとも、ロゼッタやカイロが普段使う、直線と曲線で造られる文字とは違う。特に時折見受けられる動物を模した文字なんかは、これ一つ書くだけでも相応の労力が必要だ。
「過去に水害のあった地域で描かれた碑文では、動物の絵で洪水を示唆していた。それ以上の意味があるとは考えにくいけど」
「同じ絵を使って、同じ意味介錯で言葉を並べた時、どうしても話の流れが合わないんです。解釈違いだから合うはずがないのかもしれませんけど、これを」
「……確かに、急に話の内容が飛んでる。それまでの流れは神々の世界について書いていたのに、急に食べ物の話になる……神への供物の話にシフトしたわけじゃないだろう」
同じメイベリアンという古代文明に思いを馳せる二人は、寝食を忘れたように解読に取り組んでいた。お土産のケーキだけは食べて、栄養を補給して全力を挙げる脳を使う。
まるで子どもたちが誰かの出した謎々を、夢中になって解くように。
少なくとも、今の二人を邪魔するものはいなかった。
***
「ちょっとカイロ、ロゼッタ。お昼になるっていうのにお店の外に準備中の札が出てるわよ。ちゃんと商い中にしないと――」
そう指摘しつつ、店に入ってきたのはマドレーヌだ。
勝手知ったる友人の店。気にせず扉を開けた彼女は、机に突っ伏した男女を見た。
「年頃の男女が揃って机で寝落ち……もうちょっとロマンスとかないの、あなたたちは」
二人が隣り合っているようなことも、肩を預け合っているようなこともなく、ただ純粋に疲れて眠ったように、腕を枕にして眠っている。
お互いの背にケープが掛かっているから見て、どちらかが先に寝たということはない。おそらくは朝にハリエがかけて、そのままにして行ったのだろう。キッチンには布をかぶせられたパンとサラダが用意されて、未だ手付かずで放置されていた。
「ほら、あなたたちさっさと起きなさい。でないと、この発掘調査参加許可書、二人の分を用意したけど破り捨ててしまうわよ」
「「調査!」」
まるで鼻先にニンジンを差し出した馬のようだった。
空気を切り裂くような勢いで飛び起きた二人は、男爵夫人の指に挟んだ書状を掴み取る。
ペーパーナイフで素早く開けるカイロ。面倒だと言わんばかりに男爵家の封蝋を割って開くロゼッタ。マドレーヌは手近な椅子に座って、許可書に目を通る二人を眺める。
「先日見つかった発掘調査許可、王立博物館からこんなに早く降りるなんて……発掘隊隊長はマドレーヌ様で、発掘資料の保管はアミーポーシュ邸。研究の主体をこっちにもらえている!」
「当発掘に、民間研究員カイロ・ベアーガ、および研究助手ロゼッタ・カエルムの参加を許可する。……研究助手に私の名前もちゃんと書いてあります!」
紛れもない本物の許可書を、マドレーヌは持ってきてくれたのだ。
「さ、本番はこれからよ」
ウィンクして見せたマドレーヌが、二人には救いの神のように思えたのだった。
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