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第一話「砂被り姫の平手打ち」



 その日は、ある一家にとっては忘れがたい日となった。

 豪奢な調度品と、高級な料理、数多の絵画が並ぶ大きなパーティー会場には、大小問わぬ貴族から、幅広い年齢の紳士淑女が集まっていた。


「ウィトル宮廷伯とカエルム辺境伯の婚姻を祝して、カンパーイ!」


 この場に、一人の少女がいる。もうすぐ成人を迎えようと言う年ながら、庭で遊ぶことを覚えたばかりの子犬のような快活さを秘めていた少女だ。

 集まった貴族たちが祝福の眼差しを向ける先に、この少女――ロゼッタはいる。

 つまり、この度の婚姻のうちの片割れは、まだ成人していない少女なのだ。


「うら若く美しい辺境伯の姫を妻に迎えられるなど、ウィトル卿は強運の持ち主であるな」

「だがいくら辺境伯と言っても、あれは外の蛮族に対する壁となる者だ。それこそあの姫の出で立ち、顔はよくともまるで蛮族ではないか?」


 ロゼッタは、ドレスこそ身に着けているが、短く切りそろえた青い髪と日焼けした肌は、おおよそ貴族のご令嬢とは思えない。

 少なくとも、そうあれかし、とされるこの国の淑女たちに求められるものからは、遠く離れている。


「宮廷伯の噂を聞いたか? 今度宮廷書記官から国務尚書へ任命されるそうだ」

「一足飛びに上級大臣職となるのか? カエルム伯はそれを知って此度の婚姻を?」

「でなければ、宮廷伯の長男とは言え、十五も年上の男に辺境伯が娘を差し出すはずがない」


 貴族のパーティーは、噂の飛び交う魔窟となる。がやがやと騒がしい貴族たちを一段高いところから眺めるロゼッタは、頬杖を突きそうになるのをこらえる。


「ごきげんよう、ロゼッタ。退屈そうね」

「アミーポーシュ男爵夫人、本日はお越しいただき、ありがとうございます」

「そんな畏まらないでよ、つい先年までは、マドレーヌと親しく呼んでくれていたのに」


 ロゼッタに声をかけたのは、彼女とは対照的な金の長髪を山の如く盛った髪型、象牙色の肌をした美女だ。口調こそ砕けているが、その身振りは貴族の女性そのもので、ふわりと笑う様子に、複数の男性貴族は見惚れていた。

 四歳年上の姉のような親友に、ロゼッタは肩をすくめて見せた。


「退屈だというのは否定しないのね」

「……そう言うマドレーヌさんは、十五も年上の男性と政略結婚させられて、喜びます?」

「顔がよくて私の芸術性と相反していないのなら、私は年齢を問わないわ」

「うーん、懐が広かった……」


 寛容性の問題ではないのだが、共感してもらえる相手ではなかった。


「ただ今回に限っては、私もあなたに同情するわ。あの男は芸術が何たるかを全く理解していない。いいえ、それ以外にも詰まらない男だったわ」

「商業と軍事にしか興味がない感じでした」


 ロゼッタは自分の右隣りにある椅子に目を向ける。そこは現在空席だが、つい数分前までは一人の男が座っていた。ウィトル宮廷伯の長男シュテサル、此度の結婚相手だ。

 今はその姿はなく、パーティー会場中央でグラスを片手に談笑中だ。


「私の趣味も、否定されました」

「あら、あなたの趣味なんて、各地を巡って遺跡を調べて、ちょっとした発掘品を眺める程度じゃない」

「遺跡なんて古いだけの残骸だって言ったんですよ! 本当に何もわかってないし、こっちの話も聞こうとしない。顔合わせの時何聞いてきたと思います? 『蛮族どもは月に何度攻めてくるか?』――ですよ。今うちは融和政策で彼らと交易も始めようって時期なのに!」

「あら、考古学のことになると熱いわね」

「誰だってそうです! 考古学こそ人類の至宝です!」

「うん、それはあなただけね」


 必死に声を抑えながら、これから夫になる相手への不満を言葉にする。政略結婚だけれどお互い愛しあって幸せになりました――なんてのは夢のまた夢。十五も歳が離れ、感性も合わないとなれば、待っているのは地獄のような夫婦生活でしかない。


「でも、これから宮廷伯の所に嫁ぐのなら、遺跡巡りの趣味は諦めるのね。今日のパーティーは辺境伯領で行ったけど、これから先の生活は帝都が中心になるわよ」

「え……でも、帝都の地下には旧王朝時代の遺跡とか、博物館とありますよね!?」

「あるけれど……そもそも考古学って地面を掘ったり潜ったりする仕事でしょう? 正直に言うとね、あんまり女向けの趣味じゃないのよ」


 親友からの言葉に、眼に見えてロゼッタは落ち込む。雨に濡れた子犬のように縮こまる親友に、マドレーヌの母性がくすぐられる。


「わ、私はいいと思うわよ? あなたの趣味だもの、好きしたらいい。それに未知の探索とか、一獲千金とか、夢があるものね」

「その通りです、夢があるんです! 夢のある……話なんです……」


 熱弁するロゼッタだがその言葉は尻すぼみになる。彼女が好きなのは、考古学の知識を得ることだけではない。自らがその陣頭に立って、発掘し、研究することだ。

 少なくとも、この辺境伯領の娘でもなければ、矯正されていた趣味だ。

 この地域は彼女らが属する国とは異なる文化を持つ種族との境界線であり、様々な遺跡や史跡が残る。それらを調べる役目は、辺境伯に課せられた責務の一つだった。

 それを、この婚約で取り上げられるのだ。


「失礼いたします、カエルム閣下に伝令であります!」


 走りこんできたのは、息を切らした伝令だった。ロゼッタの父にスクロールを渡すと、そこにウィトルの長男であるシュテサルが、隣から覗き込む。


「何事ですかね、伯」

「おお。どうやら……ロゼッタ、来なさい」

「……? はい」


 どうしたのかと椅子を立ったロゼッタは、父から渡された手紙を見て驚愕する。


「メイベリアン系遺跡が平原で発見? 山岳信仰民族が、平原に出ていた……。お父様、やはりメイベリアンと我が国は、より親密な、それこそ親戚兄弟と言っていい――」

「メイベリアンとは、確か山の方の蛮族のことだったな。それが平原に遺跡だと!? そんな不愉快なものがあるのなら、即刻打ち砕くべきだ!」

「誰ですそんなこと言うバカは!!」


 とっさの反論だった。まして、その声が誰かなんて、ロゼッタは覚えていなかった。だから――それがウィトル伯シュテサルの言葉だなんて思ってもいなかった。

 ただし、言ったことに後悔はない。たとえ顔を赤くした男が目の前にいても。


「ば、バカだと? たかが十七になろうかという小娘が――」

「これは失礼いたしました。まさか我が夫になろうという方が、そのような浅はかななことをおっしゃられるとは思いもよらず。つい本音を口にしてしまいました」


 その言葉にシュテサルはプルプルと震える。怒りに打ち震えて、今にも叫び出しそうなところに、一切目を逸らすことなく睨みつけてくる少女に言葉が詰まる。

 いまだ成人してもいないロゼッタに、一回り以上年の離れた男が気圧されている。

 パーティー会場でありながら、まるでどこかの戦場で相対した騎士のようだ。


「メイベリアンと我々は三百年に渡る戦争の歴史を紡いできた敵だ。奴らの文化など砕いてしかるべきだ!」

「その戦争を担ってきた辺境伯の在り方が問われているのです! 時代は変わりました!」

「戦いこそが我らの真実を語っている! 過去にあるのは戦いの歴史だけだ!」

「それが真実と思いたいのならそれでもよろしいでしょう。ですが、遺跡は先人たちが残した時代の痕跡、言葉や文字では伝わらなかった想いを伝える宝です。それを壊そうなどという者に、私は一切の敬意を持つことはありません」


 シュテサルからの指摘にも動じることなく言葉を返す。彼女がどれだけ過去の人々が残した遺産を大切に思っているのか、理解できているのは片手の指で数えられる程度だろう。

 頭を抱える父、クスクスと笑う親友、その他数名。

 それ以外の者たちは、張り詰めた空気に顔を青くする。


「この産業革命の時代に遺跡何の役に立つ? そんなものはバラして庭の敷石にし、跡地は工場にしてしまえばいい! 廃墟同然のものなど、発展の邪魔だ!」

「価値を金額や利益でしか測れない者を諭しても徒労の極み。はっきり言いましょう。あなたとは、もう話したくない」


 すでに、お互いの忍耐の限界は突破していた。


「いいだろう! そこまで言うのならこの私が宮廷書記官になった暁には――」

「……?」

「――この国に存在する全ての遺跡を打ち壊し! 旧時代の遺産などという我が国の歴史に無用の長物を、その存在ごと消し去ってくれる!」


 シュテサルの発言に、さすがに他の貴族たちも凍り付く。そして、その凍り付いた表情は派手にぶち壊される。


 ――パァンッ!!


「か、はっ!?」

「国の歴史を司るべき、宮廷書記官になる男の言うことですか!」


 目にも止まらぬ、止める者もいない平手が、空気を裂いて振りぬかれた。

 鐘を打ったような、鉄板同士をぶつけ合ったような――聞いた者が様々に表現する一撃。頬を歪ませて倒れるシュテサルに、ウィトル家の側近たちが駆け寄った。

 命に別条があるわけではない。だが、貴族の誇りは致命傷を負ったことだろう。


「き、貴様! お、俺は宮廷書記官に、父は国務尚書になる男だぞ。このような無体が、許されると思うな!」

「上等です! あなたのような男に縋り媚びる女になることは、カエルム家の恥です!」


 部下に支えられながら立ち上がったシュテサルを、ロゼッタは頑として睨み続ける。

 自分の大切なものを傷つけようとする相手に、怯える道理が彼女にはない。

 ただし、父はもう頭を抱えて座り込んでいるが。


「そもそも、三十を過ぎて結婚できていない貴族の男なんて、自分を心配したらどうですか」


 彼女の言葉に、シュテサルも含み、会場にいた複数名が胸に手を当てて苦しむ。


「こんな婚約は破談だ! 全てなかったことにする! こんな野蛮人まがいの女など、他に嫁の貰い手もおるまい! せいぜいそこらの平民を手籠めにしておくことだ!」

「愛のない婚約なんて、私も破棄できて済々しています!」

「見ていろ、後悔させてやる!」


 売り言葉に買い言葉、シュテサルはロゼッタに指を突きつけながら言い放ち、会場を後にする。


「なら、私はもっとずっと素敵な相手を見つけて、幸せになって見せましょう」


 腕を組み、何も動じることなく言い切った。

 この先に横たわる困難など想像することもなく、ただ自らの幸せを思い描いていた。



少しでも気に入っていただけたら幸いです。




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