タイトルの長文化? 表題と中身の関係性
いつからでしょうか、ライトノベル界隈の「タイトルの長文化」は。
確かに、タイトルが長い=情報量が多い、ということであり、話の内容が分かりやすい、自分の読みたい要素が含まれているか確認することが容易である利点が挙げられます。
そして、この小説投稿サイトのようなweb界隈では、タイトルが長いと「画面を占める面積が増える」=「短いタイトルの作品よりも長文タイトルの方がクリックしやすい」という実利的な面もあったり。
ただ、「分かりすぎる」のもなあ……という気持ちも、少しあります。
鮮烈でミステリアスな短いタイトルに惹かれて、中身を確認してみたくなる……そんなドキドキも、少しは欲しかったりして。
タイトルと中身、という話題で、なんとなくベルギーの画家、ルネ・マグリットを思い出しました。
マグリットの奇妙な絵はインパクトがあり、青空や雲が鳥の形に切り取られた「鳥」や、巨大な岩が宙に浮き、その上に城が建っている「ピレネーの城」などが有名で、学校の美術の教科書でよく見かけます。
人の顔の前に布、果物、帽子などで表情を隠している意味深な絵も多く、中には、顔の前に羽ばたく鳥がいて「シャッターのタイミング間違えた」的な絵も。
描かれた「イメージの裏切り」という作品は、タバコを詰めるパイプの絵と、その下に「これはパイプではない」と文字が記されています。
いや、描かれているのは確かにパイプの絵やんけ、とツッコミたくもなるのですが、これは「絵」であり、「本物のパイプではない」ということを、絵に描いてメッセージとして表現しているのです。
私がマグリットの絵で鮮明な記憶として残っているのは、綺麗な青空を描いた風景のタイトルが「呪い」。
作品の中身と、タイトルが、まったくのミスマッチ。もはや説明不可能です。
そのネーミング自体が芸術表現であり、哲学のひとつなのでしょう。
マグリットは芸術活動を進めるうちに「タイトルと中身は関係がなく、他と区別するためだけのものにすぎない」みたいな考えに至ったようです。
さて、別に長文タイトルに苦言を呈するわけではありませんし、それも流行なのだろう、と思います。
ワシが若い頃には、長いタイトルの作品なんて、全然なかったがのう……という老人たちへ。
「こち亀」こと「こちら葛飾区亀有公園前派出所」は、「週刊少年ジャンプ」で昭和51年(1976年)に連載をスタートしていましたよ。




