「女か虎か」の思考実験
小説の結末をハッキリと明示せず、読者の想像に委ねる……そういう形式を「リドル・ストーリー」といいます。
その中でも有名な作品に、1882年のストックトンの短編「女か虎か」があります。
概要を紹介しますね。
ある国の庶民の若者が、美しき王女と、身分違いの恋に落ちた。
怒った国王は、その国独自の方法で若者を処刑することにした。
その「独自の方法」とは、二つの扉の片方を選ばせること。
ひとつの扉の向こうには、腹を空かした虎がいる。扉を開ければ、すぐに襲われて食べられてしまうだろう。
もうひとつの扉の向こうには、美女がいる。この扉を開けば、若者の罪は消え、美女と結婚する決まりだ。
若者は、自ら、どちらかの扉を開けなくてはいけない。
王女は、どちらの扉に虎がいるのかを前もって知り、こっそりと指さすことで、若者に教えた。
さて、この時に王女が教えたのは、「虎」の方か、「女」の方か……そこで、結末は描かれず、終わっています。
王女にとっては、愛する若者が目の前で虎に食われて無残な死を遂げるなど、見たくないでしょう。
ですが、愛する若者が、自分以外の女性と結婚するなど、許せない。
激しい嫉妬心は、若者の命を犠牲にするのか?
なかなか、想像のし甲斐のある設定です。
様々な翻案がされ、ドラマや映画などにも使われています。
若者の立場から考えても、なかなか厳しい状況です。
ストレートに、王女の教えてくれた扉を選ぶことができるでしょうか。
王女の内心の嫉妬も想像がつくでしょうから、教えてくれた扉を素直に信じて良いのだろうか、という迷いも生まれるでしょう。
かといって、信じずに、教えてくれた扉とは逆の扉を開けて、もしも虎が出てきたら……。
「私のことを信じてくれなかったのね、最低!」と王女に罵られながら、虎に食われるなんて、そんな最後はイヤだよなあ、と考えてしまいます。
仮に、教えてくれた扉が、「女」の方だったとしたら。
王女は若者の命を救いたいのかもしれませんが、生き延びた若者は、美女と結婚したあとでも、王女への罪悪感は消えず、「幸せな人生」とは言い難いでしょう。
発表当時、多くの読者たちは「答え」を知りたがり、原作者のストックトンがパーティーに招かれた時には、虎の形と女性の形の二種類のアイスクリームが用意され、どちらを食べるかで正解を知ろうとした、という逸話があります。
ストックトンは、両方のアイスを同時に食べたので、答えは分からなかったそうですが(ユニークな切り返しが出来る人だな)。
リドル・ストーリーは、「読んでいない人相手に、物語の最後まで話しても、ネタバレにならない!」という長所もありますね。




