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【感謝!4万PV突破!】雑に学ぶと書いて雑学 ~昨日より今日の自分が少し賢くなるかもしれない~  作者: 雲条 翔


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学校(スクール)の語源は「ヒマ」

これを見ている読者の方の中に、現役の学生さんはいらっしゃいますか?


 ちょっとした計算をしてみましょう。


 家から学校に支払っている1年間の学費を調べて、それを1年間の授業のコマ数(何時限あるか)で割って、1時限あたりいくら払っているのか、という「授業単価」を計算してみるのです。

 

 ……結構、高いんですよ。居眠りしたり、授業をサボッたりしている場合ではないっ。


 お金を出して、学校に行って、机に座っている間に先生の話を聞き流して、自分に何も身につかない時間を浪費しているのだとしたら、あまりにももったいないです。


 かつて、学校に行って勉強を習うことができるのは、一部のお金持ちだけでした。

 カネを使って子供に勉強させるよりも、ウチの労働力として働いてもらわないと!と、親が子供を学校に行かせず、子供に家業を手伝わせる、なんて考え方が当たり前の時代があったのです。現在の日本では、義務教育は法律で定められていますけど。


「学校」を意味する英語「schoolスクール」の語源は、ギリシャ語の「schoreスコレー」。その意味は、「余暇」です。


 余裕があればこそ、古代ローマやギリシャの市民は、自分で自由に使える時間に、議論をしたり、音楽や芸術を楽しんだり、精神的に充実する時間を堪能したのです。


 自ら、そうした時間を楽しんで、学び、習っていたことが、「スクール」の由来になったというのです。


 学校に行っている間も、自分の人生の一部の時間を使っているのです。何かを掴み取り、学び、有意義に過ごさないと。


 無理して勉強しろ、という話ではなく、ダラダラと過ごしている時間を振り返って、マインドセットをチェンジし、少しでも「実のある時間」にできれば、という「自己反省」も込めた、経験から来る教訓です。

 大人になってから、「学校で何も勉強しなかったなあ」って思っても遅いよ、しとかないと後悔するよ、という話。


「勉強」の「強」という字には、「強制」「強要」など「相手の意思などおかまいなしに、おしつける」といった悪い意味もありますが……今回は「強要」する話ではなく、自ら学び取る「教養」のお話でした。



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