3話 なかなかに風のほすにぞ乱れける雨に濡れたる青柳の糸
前回のあらすじ
妖に襲われ、一人逃げる白犬。そこに差し迫る百鬼夜行。犬の運命は如何に。
もう動けない、そう感じた瞬間のことだった。体が軽くなり、痛みも疲れも苦しみも何も感じなくなった。もはや月をぼんやりと捉えるだけであった視界もはっきりとしていき、少し離れたところにある雨に濡れた青柳の小枝さえ見えるほどだ。
私はなぜ妖に襲われながらも、傷は全て癒えただけでなく、今こうしてここに居られるのだろうか。そして私を追いかけていた妖は何処に行ったのだろうか。
それを確認するべく振り返ると、そこには一匹の大きな銀狐の姿があった。
※
「間に合ってよかった」
狐はそう微笑んだ瞬間にその場に倒れてしまった。
「だ、大丈夫ですか!?」
白犬は急いで狐の元に駆け寄ると、狐の毛がほろほろと青い炎となって消えていき、先生の姿と成った。
「すまないな、あれは仕方がなかったのだ。許してくれ......」
先生は血まみれの腕で白犬の頭を抱きしめた。そして、泣きじゃくる白犬をよそに先生は何処か遠くを見つめながら語りだした。もはや先生の目は何も捕らえていないし、先生の姿はどんどん薄くなっていた。
「儂は、狐として生を受け、長い時を生き、王の元で化け狐の僕として勤めて来た。王も死に、国も破れ、もはや儂には何も残っていない。そんな時、今の王に出会い、再び彼女に夢を見せてもらった。戦争のない世界、飢えのない世界、みんなが笑って暮らせる世界、夢物語の世界を、600年前に存在したとされている世界を彼女は蘇らせると儂に約束し、こんな老いぼれに、転生者を守り育てるという使命を与えてくれた。うれしかった、あの方の笑顔が先王に似ていて。しかし使命を受けたものの、所詮儂は狐じゃった。じゃから、普通の村では暮らせない。そして儂はお主の為に幻の里を作った。すべてはお主に可哀そうな思いをさせぬため、そして妖からお主を守る為じゃ。そのために、お主にはこの世界の事、剣術、狩り、様々なことを教えた」
先生の体はもはや上半身だけとなっていた。白犬は先生が消えないようにすることを防ぎたいと思ったが、成すすべはなかった。
「先生、先生!行かないでください!お願いです!」
しかし先生には白犬の声は届いていないようであった。
「儂はもうじき、星に還らねばならない。しかし、その前にお主をここまで育てられてよかった。シロ助、お前はこれから王の城を目指すのじゃ。先ほどお主が訪れたであろう廃村にお主の為に準備していた物がある。それを頼りに旅立つのじゃ。その後のことは全て王が教えてくれる。あとは、任せたぞ」
「先生、待ってください!まだいろいろ教えてもらっていないことが沢山あります!それに、それに......!」
白犬は強く先生の肩を掴んだが、握りしめた手は宙をかくだけだった。
「先生!」
「王よ、そこにいらっしゃったのですね。私も今からそこに参ります故、暫しお待ちください......」
先生は幸せそうに微笑み、そして完全にその姿は消失した。
「なんで行ってしまったのですか、私を、一人にしないでくださいよ......」
※
朝日で目が覚める。見覚えのない和風邸宅。縁側から外をのぞけばなんとも立派な日本庭園がみえることか。ここはどこだろうか、気のせいか体が重くなった気がする。そもそも私はなぜここに居るのだろうか。
白くぼんやりとする記憶の中にふと老人の顔と狐の姿が現れる。そうだ、そうだった。先生は、もう二度と会えないのだ。先生、先生、先生、先生、会いたいです、寂しいです、どうして行ってしまわれたのでしょうか、どうしてあの時、共に逃げなかったのでしょうか。
先生の顔を声を思い出すたびに涙が溢れる。その体温、息遣い、全てを生々しく思い出せるのに、なのにその人にはもう会えない。胸の真ん中にぽっかり穴が開いてしまったほどの消失感、悲しみ、悲しみ。
私は目を手で覆い泣いた。大声をあげるのも気にせずに泣いた。すべてを忘れないように泣いた。
「泣いて、泣いて、泣いたら、どうするんだ?君は泣いている暇はないんじゃないのか?」
突如見知らぬ声が頭上から聞こえた。声からするに少年の声のようだ。私は手を少し開き、声の主を仰ぎ見た。しかしそこにあるのは、一振りの太刀のみだった。
「やあ、新しい主。僕は半妖の太刀、半分は太刀として、もう半分は覚妖怪として存在している。君の大好きな先生の最後の傀儡の術で、君との契約は既に終了しているから、僕は君の所有物だ。よろしく」
夢でも見ているのだろうか、声は確かに太刀から聞こえている。しかし、この手の温かさ、感覚、そういったすべてはとても生々しい。先生のいない現実なんて否定したいが、それができない位のリアルだ。
「先生の死は、それはそれは君にとってつらいだろうな。でも、君の思う寂しさは先生とは二度と会えないからくるものだろ。別に銀狐は永遠にいなくなったわけじゃない。いつも、傍に居るんだ。感じるだろ、星の命が。僕たちは星と繋がっているから生きているんだ。だから、死ぬってことは星に還ることなんだ。だから、寂しくなんかないさ」
どう意味だよ、訳わかんないよ、結局会えないじゃないか!
「いや、ずっとそばに居るよ。さあ、君にはやらなくてはいけないことがあるだろ。王に会いに行くという使命が。さあ、立ち上がって旅に出る準備をするんだ」
でも、でも......
「君は本当に何も知らないんだな。まあ、いい。兎に角、君は王に会いに行く必要があるんだ。君が王に会いに行かないと、多くの人が死ぬ。だから、君には時間がないんだ。さあ、早く僕を手に取り、旅に出る準備をするんだ!」
「わ、わかった......」
そして私は刀に手を伸ばし、掴んだ。
次回予告
王に会いに行くために旅に出る白犬。初めに立ち寄った村で何と出くわすのだろうか。
次回4話「梅が香にたぐへて聞けば鶯の声なつかしき春の山里」




