He is my partner in crime
どうやら、実質的な被害者が俺だけで済んだのが良かったらしい。
修さんは市外の……車で3時間程かかるような山奥の署に異動になったが、全体としてはそれだけで明確な懲戒はなかった。もちろんはっきりと説明されたワケではないが、あくまで俺と修さんの私的な揉め事、というところで手を打ったことになっているのだと思う。
俺は修さんところの息子がまだ小さいのも知ってる。家族を連れて遠地へ引っ越していかなきゃいけないなんて、本人にとっては十分辛いことだっただろうし、それも、酒に酔って暴れた上で責任を取らされたなんてこと、家族には言えないだろう。
修さんの異動は俺が病院に閉じ込められてた間に決行され、事情を聞くどころか、挨拶をする間もなく、職場から修さんの痕跡はなくなっていた。
「あ、ナカ! 今日退院だっけ、おかえり」
「ヤノ先輩……」
空っぽになった修さんの机を見下ろして、黙ってしまった俺の背中をヤノ先輩が軽くはたく。
「そこの席、明日には新しい警部補が異動してくるから、汚すなよ」
「ヤノ先輩、修さんは……」
「止せ。黙ってるのが一番だ」
修さんの名前が出た途端に、ヤノ先輩だけじゃない。見渡す限りの同僚達の背中が反応したのが見えた。ヤノ先輩が止めた理由も分かってしまう。
同僚達の中では、修さんはラインを越えてしまった人になったんだ。
こちら側から、向こう側へ……。
「……お前、今日まだ病み上がりだろ。本調子じゃないんだから、適当に切り上げろよ」
ひらひらと手を振って、ヤノ先輩は踵を返す。そのまま去っていく背中を、見ているしかなかった。
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何がどうなって、あんなことになったのか。
最初から最後まで知らないのは、もしかして俺だけなんじゃないか。
署の誰も教えてくれないのだとしたら、教えてくれそうなヤツに聞くしかない。
あの夜、結局は辿り着けなかったマンションに、仕事が上がってすぐ、俺は向かった。金のかかっていそうなオートロックシステムは、1Fから奥は住人か客人しか入ることが出来ない。
エントランスで部屋番号を押し、梶谷を呼び出す。
……誰も出ない。留守なのだろうか。
このもやもやを抱え続けるのは辛い気がして、梶谷の番号にショートメールを送った。簡単な一文だ。「話がしたい」それだけ。
今まで、結構な確率で即返事が来ていたショートメールは、しかし、沈黙したままだった。
仕方なくその日は寮に戻り、早めに就寝した。
……結局、翌日の晩になっても、返信はなかった。
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梶谷が働いていた駅前のコーヒーショップ。店員を捕まえて聞けば、梶谷は辞めたと言う。
いつも待ち合わせていた喫茶店。マスター曰く、しばらく姿を見ていないらしい。
ショートメールの返信は来ない。
あれから、何度も送っているのに。
「会いたい」「話したい」「連絡をくれ」。
修さんのことが気にかかる以上に、梶谷の姿を見られないことに苛立っていた。
「どうしてる」「なぜ返信をくれない」「俺のことが嫌になったのか」。
返信はない。
マンションに直接行く以外、俺にはもう伝手もなかった。
エントランスで待とうとすれば、管理人に不審者と思われてしまう。少し離れた路地で、梶谷が帰ってくる――もしくはマンションを出て来るのを待った。張り込みならお手の物だ。
夜が更けても動きはない。
どこか頼りになりそうな男のところにでも、泊まっているのだろうか。
身体を張って守ってやっても、問題が解決した途端、もう俺はいらないということか。
いや、まさかそんなことはない。ないはずだ。
梶谷はあの夜、俺を部屋へ誘った。お互いに友だちだと言い合っていたが……本当にそれだけだったとは思いたくない。
もちろん成り行きに任せてどうなるかは定まっていないにしろ、あの夜、俺達は一線を越える可能性だってあったんじゃないか。
そうでなければ……俺はただ、修さんを捕らえるための囮にされただけなんだろうか。
いつか思った通りの、便利に使える知人として。
いや、ダメだ。それだけはダメだ。
それじゃあまるで、俺と梶谷の間には何もなかったみたいじゃないか。
今までも。これからも……!?
……落ち着いて考えてみよう。
もしかすると、今頃どこかで事故にあっているなんて可能性はないか。例えば、釈放された山西が、梶谷にまたちょっかいをかけているとか。
思い付いた瞬間に、梶谷を探して駆け回りたいような焦りを感じた。それなのに、俺の足は張り付いたように動かない。ここで梶谷の動きを張る以外のことは出来そうにない。
仕方ない。行きそうなところなんて、全く想像がつかないのだから。……とにかく、梶谷は好きで俺を避けてるワケじゃないはずなのだ。もう少し待てば、きっと……。
身を焦がすような思いで待つ俺の目に、梶谷の細い背中が入った瞬間――もう、それだけで救われたような気になった。
しなやかで長い脚のラインも、うなじを隠す長めの髪も、その隙間から覗く頬の滑らかさも――それが見えただけで安堵して、無意識の内にその背中を追いかけた。
何も考えずに無心になっていたのが良かったのだろう。管理人にも梶谷本人にも怪しまれず、梶谷が無造作に開けたエントランスの入り口を友連れで潜る。
突き当りのエレベーターで、ボタンを押す梶谷の細い指が見えて、その華奢な作りを握りしめたくなった。
すぐに扉が開き、梶谷が乗り込む。ボタンを押そうと振り向いて、ふと俺の顔に目を留め――両目を大きく見開いた。
「……な、かのさ……」
咄嗟にその唇を、自分の口で塞いだ。
薄い皮膚に自分の荒れた唇が擦れる快感を味わう。一瞬だけ離して、殴り付けるように閉ボタンと梶谷の部屋がある10Fを押した。
その隙に梶谷は何かを言おうとしたが……もう、聞かなくたって俺には全部分かっている。
すぐにまた唇を合わせ言葉を止めた。
分かっている。あんたが何を言いたいかなんて分かっている。
誰よりも、俺が。
俺だけが。
「……んぅ……っ」
呼吸を塞がれた梶谷が、苦しそうに喉元で唸った。その声が官能的に耳を擽る。
「……梶谷っ」
「待っ……中野さ、んっ」
首を振って逃れようとする梶谷を、エレベーターの壁に体ごと押し付けた。片手で肩を押さえ、もう片手をジャケットの裾から脇腹へと潜り込ませる。
「やっ……やだ! こんなとこで……」
細い指先が俺の手にしがみつく。その瞬間に、高い音が響いて、エレベーターは10Fに到着した。
「……ここじゃなけりゃ良いのかよ」
「じゃ、なくて……中野さんっ!」
「あんたの部屋なら良いんだろうが」
暴れる梶谷の身体を引き摺って、部屋の前まで連れてきた。梶谷が右手側のポケットに部屋の鍵を入れていることを、俺は知っている。暴れる両手を一緒に束ねて、鍵を取り出し、扉を開けた。
中に押し込んだ梶谷が、身を捻って抵抗する。玄関の扉を鍵まで締め直してから、そのまま床に押し倒した。
「中野さん! 違うんだ、僕……中野さんのことが……」
「俺のこと好きなんだろ!」
か弱い抵抗は、力なんて入ってないみたいだ。力任せにねじ伏せることすら、快感だった。
白い頬を濡らして垂れ落ちていく雫が見えてはいたが――もう、そんなことは何の問題でもなかった。
全部ポーズだ。そうだろう?
嫌がって見せているだけだ。
廊下の奥、ダイニングの扉が半分ほど開いたままになっている。
電気をつけたまま出かけていたらしい。暗い玄関までぼんやりと差し込んできているその光は、境界も曖昧に俺達を照らしている。
「ねぇ待って。中野さん、僕達友だちじゃなかったの……?」
囁く声が耳元に息を吹き込む。
言葉よりも明確に、その感触が俺を煽った。
服の下に手を入れながら、少しだけ……少しだけ、頭の隅に怯えが走る。
もしもの話だ。
もしも、梶谷に本当にその気がないのだとしたら。
力尽くで奪うだけの人間なんて、山西や修さんと全く同じじゃないか。
そんな思いがふと胸を過ぎったけれど……もう、俺には自分の形など分からなかった。
梶谷の唇が微かに歪んで、何かを吐き出そうとしている。俺はそれを止めるために、もう一度唇を塞いだ。
だから、その歪みの理由は、俺には多分永遠に分からないままだ。
笑っているのか、泣いているのか。
そもそも、その2つは本当に別のことなのだろうか。
絡み合う身体の境界線など、どこにも見当たらないような気がした。




