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He is my partner in crime

 どうやら、実質的な被害者が俺だけで済んだのが良かったらしい。

 修さんは市外の……車で3時間程かかるような山奥の署に異動になったが、全体としてはそれだけで明確な懲戒はなかった。もちろんはっきりと説明されたワケではないが、あくまで俺と修さんの私的な揉め事、というところで手を打ったことになっているのだと思う。

 俺は修さんところの息子がまだ小さいのも知ってる。家族を連れて遠地へ引っ越していかなきゃいけないなんて、本人にとっては十分辛いことだっただろうし、それも、酒に酔って暴れた上で責任を取らされたなんてこと、家族には言えないだろう。

 修さんの異動は俺が病院に閉じ込められてた間に決行され、事情を聞くどころか、挨拶をする間もなく、職場から修さんの痕跡はなくなっていた。


「あ、ナカ! 今日退院だっけ、おかえり」

「ヤノ先輩……」


 空っぽになった修さんの机を見下ろして、黙ってしまった俺の背中をヤノ先輩が軽くはたく。


「そこの席、明日には新しい警部補が異動してくるから、汚すなよ」

「ヤノ先輩、修さんは……」

「止せ。黙ってるのが一番だ」


 修さんの名前が出た途端に、ヤノ先輩だけじゃない。見渡す限りの同僚達の背中が反応したのが見えた。ヤノ先輩が止めた理由も分かってしまう。

 同僚達の中では、修さんはラインを越えてしまった人になったんだ。

 こちら側から、向こう側へ……。


「……お前、今日まだ病み上がりだろ。本調子じゃないんだから、適当に切り上げろよ」


 ひらひらと手を振って、ヤノ先輩は踵を返す。そのまま去っていく背中を、見ているしかなかった。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 何がどうなって、あんなことになったのか。

 最初から最後まで知らないのは、もしかして俺だけなんじゃないか。

 署の誰も教えてくれないのだとしたら、教えてくれそうなヤツに聞くしかない。


 あの夜、結局は辿り着けなかったマンションに、仕事が上がってすぐ、俺は向かった。金のかかっていそうなオートロックシステムは、1Fから奥は住人か客人しか入ることが出来ない。

 エントランスで部屋番号を押し、梶谷を呼び出す。

 ……誰も出ない。留守なのだろうか。

 このもやもやを抱え続けるのは辛い気がして、梶谷の番号にショートメールを送った。簡単な一文だ。「話がしたい」それだけ。


 今まで、結構な確率で即返事が来ていたショートメールは、しかし、沈黙したままだった。

 仕方なくその日は寮に戻り、早めに就寝した。


 ……結局、翌日の晩になっても、返信はなかった。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 梶谷が働いていた駅前のコーヒーショップ。店員を捕まえて聞けば、梶谷は辞めたと言う。

 いつも待ち合わせていた喫茶店。マスター曰く、しばらく姿を見ていないらしい。


 ショートメールの返信は来ない。

 あれから、何度も送っているのに。

 「会いたい」「話したい」「連絡をくれ」。

 修さんのことが気にかかる以上に、梶谷の姿を見られないことに苛立っていた。

 「どうしてる」「なぜ返信をくれない」「俺のことが嫌になったのか」。

 返信はない。


 マンションに直接行く以外、俺にはもう伝手もなかった。

 エントランスで待とうとすれば、管理人に不審者と思われてしまう。少し離れた路地で、梶谷が帰ってくる――もしくはマンションを出て来るのを待った。張り込みならお手の物だ。


 夜が更けても動きはない。

 どこか頼りになりそうな男のところにでも、泊まっているのだろうか。

 身体を張って守ってやっても、問題が解決した途端、もう俺はいらないということか。

 いや、まさかそんなことはない。ないはずだ。

 梶谷はあの夜、俺を部屋へ誘った。お互いに友だちだと言い合っていたが……本当にそれだけだったとは思いたくない。

 もちろん成り行きに任せてどうなるかは定まっていないにしろ、あの夜、俺達は一線を越える可能性だってあったんじゃないか。


 そうでなければ……俺はただ、修さんを捕らえるための囮にされただけなんだろうか。

 いつか思った通りの、便利に使える知人として。


 いや、ダメだ。それだけはダメだ。

 それじゃあまるで、俺と梶谷の間には何もなかったみたいじゃないか。

 今までも。これからも……!?


 ……落ち着いて考えてみよう。

 もしかすると、今頃どこかで事故にあっているなんて可能性はないか。例えば、釈放された山西が、梶谷にまたちょっかいをかけているとか。

 思い付いた瞬間に、梶谷を探して駆け回りたいような焦りを感じた。それなのに、俺の足は張り付いたように動かない。ここで梶谷の動きを張る以外のことは出来そうにない。

 仕方ない。行きそうなところなんて、全く想像がつかないのだから。……とにかく、梶谷は好きで俺を避けてるワケじゃないはずなのだ。もう少し待てば、きっと……。


 身を焦がすような思いで待つ俺の目に、梶谷の細い背中が入った瞬間――もう、それだけで救われたような気になった。

 しなやかで長い脚のラインも、うなじを隠す長めの髪も、その隙間から覗く頬の滑らかさも――それが見えただけで安堵して、無意識の内にその背中を追いかけた。

 何も考えずに無心になっていたのが良かったのだろう。管理人にも梶谷本人にも怪しまれず、梶谷が無造作に開けたエントランスの入り口を友連れで潜る。

 突き当りのエレベーターで、ボタンを押す梶谷の細い指が見えて、その華奢な作りを握りしめたくなった。

 すぐに扉が開き、梶谷が乗り込む。ボタンを押そうと振り向いて、ふと俺の顔に目を留め――両目を大きく見開いた。


「……な、かのさ……」


 咄嗟にその唇を、自分の口で塞いだ。

 薄い皮膚に自分の荒れた唇が擦れる快感を味わう。一瞬だけ離して、殴り付けるように閉ボタンと梶谷の部屋がある10Fを押した。

 その隙に梶谷は何かを言おうとしたが……もう、聞かなくたって俺には全部分かっている。

 すぐにまた唇を合わせ言葉を止めた。

 分かっている。あんたが何を言いたいかなんて分かっている。

 誰よりも、俺が。

 俺だけが。


「……んぅ……っ」


 呼吸を塞がれた梶谷が、苦しそうに喉元で唸った。その声が官能的に耳を擽る。


「……梶谷っ」

「待っ……中野さ、んっ」


 首を振って逃れようとする梶谷を、エレベーターの壁に体ごと押し付けた。片手で肩を押さえ、もう片手をジャケットの裾から脇腹へと潜り込ませる。


「やっ……やだ! こんなとこで……」


 細い指先が俺の手にしがみつく。その瞬間に、高い音が響いて、エレベーターは10Fに到着した。


「……ここじゃなけりゃ良いのかよ」

「じゃ、なくて……中野さんっ!」

「あんたの部屋なら良いんだろうが」


 暴れる梶谷の身体を引き摺って、部屋の前まで連れてきた。梶谷が右手側のポケットに部屋の鍵を入れていることを、俺は知っている。暴れる両手を一緒に束ねて、鍵を取り出し、扉を開けた。

 中に押し込んだ梶谷が、身を捻って抵抗する。玄関の扉を鍵まで締め直してから、そのまま床に押し倒した。


「中野さん! 違うんだ、僕……中野さんのことが……」

「俺のこと好きなんだろ!」


 か弱い抵抗は、力なんて入ってないみたいだ。力任せにねじ伏せることすら、快感だった。

 白い頬を濡らして垂れ落ちていく雫が見えてはいたが――もう、そんなことは何の問題でもなかった。

 全部ポーズだ。そうだろう?

 嫌がって見せているだけだ。


 廊下の奥、ダイニングの扉が半分ほど開いたままになっている。

 電気をつけたまま出かけていたらしい。暗い玄関までぼんやりと差し込んできているその光は、境界も曖昧に俺達を照らしている。


「ねぇ待って。中野さん、僕達友だちじゃなかったの……?」


 囁く声が耳元に息を吹き込む。

 言葉よりも明確に、その感触が俺を煽った。

 服の下に手を入れながら、少しだけ……少しだけ、頭の隅に怯えが走る。


 もしもの話だ。

 もしも、梶谷に本当にその気がないのだとしたら。

 力尽くで奪うだけの人間なんて、山西や修さんと全く同じじゃないか。

 そんな思いがふと胸を過ぎったけれど……もう、俺には自分の形など分からなかった。


 梶谷の唇が微かに歪んで、何かを吐き出そうとしている。俺はそれを止めるために、もう一度唇を塞いだ。

 だから、その歪みの理由は、俺には多分永遠に分からないままだ。

 笑っているのか、泣いているのか。

 そもそも、その2つは本当に別のことなのだろうか。


 絡み合う身体の境界線など、どこにも見当たらないような気がした。

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