悪役令嬢と執事の日常
午後のサロン。
窓から柔らかい日差しが差し込み、銀のポットから注がれる紅茶の香りが広がっていた。
お嬢様はカップを傾けながら、ぽつりとつぶやく。
「ねえ、領民たちの税、ちょっと上げちゃおっかしら」
執事はカップを置き、軽く目を細めた。
「なるほど。確かに税制を見直すのは領主の務めでございます」
「でしょ?」とお嬢様は得意げにうなずく。
「しかし――もし増税すれば、パン屋は粉を減らして小さなパンを作るでしょう」
「ふむ」
「仕立屋は布を惜しみ、流行のドレスは丈が短くなるやもしれません」
「ふむふむ」
「そして収穫祭には、余裕のなくなった農民が踊り子を出せなくなる」
「まあ、それは寂しいわね」
執事は少し声を落とす。
「……なにより。菓子屋は砂糖を控え、パイもマドレーヌも小さくなり……お嬢様のおやつが激減いたします」
お嬢様の目がぱちりと大きく開いた。
「――それは大問題だわ!」
カップを置いてきっぱりと言い切る。
「やめましょう、増税なんて。領民のために!」
執事は深く一礼した。
「ご英断でございます」
お嬢様は鼻を鳴らし、紅茶をくいっと飲み干した。
「ふふん、わたくしってば慈悲深い領主だこと」
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舞踏会の翌日。
お嬢様はソファに優雅に腰掛け、窓辺の薔薇を眺めながら紅茶をすすっていた。
「ねえ執事。最近話題のあの新興貴族、ちょっと目障りじゃなくて? 潰しちゃおうかしら」
執事はカップを拭きながら、平然とした声で答える。
「なるほど。確かに昨日の舞踏会では随分と目立っておりました」
お嬢様は扇子をぱたぱたさせ、ふんと鼻を鳴らす。
「でしょ? 生意気なのよ」
「しかし、お嬢様」執事は柔らかく微笑んだ。
「彼らは陛下のお気に入りでございます。潰そうとすれば、真っ先にお嬢様が潰されかねません」
「まあ、それは困るわね」
「さらに、彼らの領地からは極上のワインが献上されています。あれがなくなれば、お嬢様の晩餐が少々味気なくなるかと」
お嬢様は眉をひそめた。
「ワインは大事だわ」
執事は続ける。
「そして……何より舞踏会で振る舞われたあの菓子。あれを用意したのも新興貴族の手配でございます」
お嬢様の手がぴたりと止まった。
「あのフルーツタルト!」
「はい。潰せば、二度と口にできなくなるでしょう」
沈黙。
次の瞬間、お嬢様は力強くカップを置いた。
「……やめましょう。潰すのは!」
執事は深々と一礼する。
「ご英断でございます」
お嬢様はにこりと笑い、口元を覆った。
「わたくし、やっぱり慈悲深いですわね」
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昼下がりの庭園。
小鳥のさえずりと噴水の水音を聞きながら、お嬢様はティーカップを手に取った。
「ねえ執事。ちょっと退屈だわ。……隣国に攻め込んでみようかしら」
執事はティーポットを置き、軽く首をかしげる。
「なるほど。確かに戦は華やかでございますな」
お嬢様は頷き、目を輝かせる。
「でしょ? 鎧姿で颯爽と馬に乗って、勝利の凱旋! 格好いいじゃない」
「しかしお嬢様」執事は涼しい顔で続ける。
「遠征すれば、毎日のお茶会は開けません。馬上で紅茶を淹れるのはなかなか難しゅうございます」
お嬢様はハッと息をのんだ。
「……確かに、カップが揺れてこぼれそうだわ」
「さらに、戦が長引けばお菓子の供給も滞りましょう。パイも、タルトも、最悪チョコレートも」
「チョコレートが無いなんて、戦より恐ろしいじゃない!」
執事は深くうなずいた。
「お嬢様の仰る通りです。そしてもうひとつ。攻め込めば、隣国の温泉にも行けなくなります」
お嬢様はカップを置き、思わず立ち上がった。
「――温泉! あそこの湯は最高なのよ! 行けなくなるなんて、絶対いや!」
「かと存じました」
お嬢様はぷいと横を向き、再び腰を下ろす。
「……じゃあ攻めるのはやめるわ。紅茶と温泉のために」
執事は深々と礼をして、にこりと微笑んだ。
「ご英断でございます」
「ふふん、やっぱりわたくしって平和主義者だわね」
――庭園には、今日ものどかな午後の風が吹き抜けていた。
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放課後の学園庭園。
お嬢様は薔薇を背に、扇子をぱたぱたさせながら吐き捨てた。
「今日ね、平民のくせに王子に馴れ馴れしい子がいたのよ。腹立たしいから決闘で叩きのめしてやろうかしら!」
執事は紅茶を注ぎながら、涼しい顔で答える。
「なるほど。確かに平民が殿下と親しげにするのは目立ちますな」
「でしょ? 一発こらしめれば静かになるわ」
「しかしお嬢様。もし勝てば“平民をいじめた高慢な令嬢”と噂され、負ければ“平民以下の令嬢”と笑われます」
お嬢様は扇子を止めた。
「……どっちに転んでも、わたくし損じゃない」
執事は静かにうなずく。
「その通りでございます。しかも決闘が禁止されている以上、教師に叱られるのは間違いなくお嬢様です」
お嬢様は椅子にどさっと腰を下ろし、紅茶を一口。
「……やめるわ。決闘なんて退屈よ」
執事は小さく微笑んだ。
「ご英断でございます」
お嬢様は口を尖らせた。
「でも……一度くらいなら、格好良く勝ってみたいものよ」
「その時はぜひ、稽古相手として私をお使いくださいませ」
「……あら、それも悪くないわね」
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夜の晩餐。
煌めく燭台の下、お嬢様はふと退屈そうにつぶやいた。
「ねえ執事。紅茶にちょっと毒を仕込んで、スリルを味わってみたいわ」
執事は銀のトレイを手に取り、穏やかに微笑む。
「なるほど。刺激的でございますね」
「でしょ? ちょっとドキドキするじゃない」
「しかし……お嬢様。お忘れでしょうか。毒味役は、常に私でございます」
お嬢様の表情が固まった。
「……あら」
執事はカップを置き、冗談めかして首を傾げる。
「私が倒れれば、お嬢様のお菓子の相手も、お茶会の相談も、すべて消えてしまいます」
お嬢様は慌てて首を振った。
「それは絶対に困るわ! じゃあ毒は無し!」
執事は小さくため息をつき、笑みを浮かべる。
「ご慈悲に感謝いたします」
お嬢様は紅茶をひとくち飲み、口元をにやりと歪めた。
「……でも、ちょっとくらいスリルは欲しいのよね」
執事は一礼して囁いた。
「では明日は、紅茶を“熱め”にしておきましょう。舌を火傷する程度なら、十分スリルでございます」
「……それ、ただの嫌がらせじゃなくて?」
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「ねえ、執事。退屈だから、あなたをクビにしてみようかしら」
お嬢様は扇子をぱたりと閉じ、いつものように冗談めかして言った。
執事は目を細め、安堵のような笑みを浮かべる。
「……なるほど。しかしもし私がいなくなれば、紅茶を淹れる者も、お菓子の話をする者も、誰も残りません」
お嬢様は肩をすくめた。
「それは困るわね。じゃあクビはやめておくわ」
「ご英断でございます」
お嬢様は扇子をくるくる回し、思いついたように言葉を続けた。
「そういえば聞いたわ。北の山奥には万病に効く薬草があるんですって。奪いに行こうかしら?」
執事は静かに首を振る。
「そんな薬草はございません。あるのは苔と獣道ばかり。行けば足を挫き、帰れなくなるのが関の山でしょう」
「……それはつまらないわね。じゃあやめておくわ」
「ご英断でございます」
お嬢様はふっと笑みを浮かべ、さらに続ける。
「じゃあ次は――南の海辺に、寿命を延ばす魔法が使える祈祷師がいるらしいの。誘拐してこようかしら?」
執事はくすりと笑った。
「そんな祈祷師はおりません。海辺にいるのは祈祷師ではなく、ただ日焼けした漁師でございましょう」
お嬢様は思わず肩を揺らして笑い、紅茶をひとくち。
「ふふ、漁師じゃ意味がないわね。じゃあそれもやめておくわ」
「ご英断でございます」
やり取りは、いつもと変わらない。
けれど――お嬢様は扇子をそっと閉じ、今度は少し真面目な声で囁いた。
「それじゃあ……わたくしのわがままを聞きなさい。今夜は、しっかり眠ること。お茶の支度も菓子の用意もいいから、ゆっくり休むのよ」
――その返事は、もうなかった。
閉じられた瞳、かすかに動いているのかも分からぬ胸元。
ただ、安らかな微笑みだけが残っていた。
その手を握り、静かにささやいた。
「……ふふん。やっぱりわたくしって慈悲深い令嬢だこと」
窓の外で小鳥が鳴き、春の風がカーテンを揺らした。
読んでくださりありがとうございます!
流行りの悪役令嬢?二作目です。
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