第百八話 優れた経営者は移動中にブリーフィングするのか
菜穂さんはしばらくは俺の焦った様子を楽しんでたけど、
やっぱりどこか寂しそうなのは変わらなかった。
この人に最も似つかわしくないと思ってた言葉。
諦め。
ふっと影が薄くなるような、他者というより自己への興味の喪失。
シマナツや安奈さんが心配していたように、菜穂さんは
自分を大事にしない。
今もそうだ。
諦めれば自分が辛いとわかっていて、わかっていたからそうしてる。
そしてそんな彼女の前で、俺は違うって言えないんだ。
リディアが好きな人じゃないって、言えない。
「ふうん、どうやら私のライバルは白石ちゃんじゃないみたい。
ま、勝負にもならない感じだけど……」
「向こうは俺を何とも思っちゃいないよ。自由に会えないし、
俺の名前さえ知らないんだ」
「なにそれ? 私にもワンチャンあるって言ってんの?
もしものときのためにキープしとこうって?」
「そんなんじゃないよ、俺はただ……」
ただ……なんだろう?
ただ……なに? って感じで菜穂さんも待ってる。
その顔見てたらふと思ったんだ。
笑ってないなって。
「菜穂さんにはそんな顔してほしくない。笑ってくれよ。
やせ我慢でも、俺をバカにするのでも、なんでもいいから」
菜穂さんは五秒くらい無表情をキープしてたけど、
やがて輪郭が緩むみたいに笑ってくれた。
「なんだよ~、私の笑顔が好きってか? ていうかコーイチ君、
シマナツになんか入れ知恵された?
私への、笑顔が好き! は弱点特攻だよ?」
「わかった、んじゃそれシマナツに聞いてみる。
あの後、話せてないんだよな?」
「うん、無事かどうかも……」
「群道君のときと同じことが起こったとして、シマナツは群道君のことの
後も俺たちと普通に話してた。無事だよ」
菜穂さんが力強くうなずく。
まったく……そのくらい自分も大事にしてくれたらな。
俺は彼女にこれ以上心配かけないよう、元気よくベッドから降りて
ふらつきました。
支えられました。
めちゃくちゃ心配されました。
「あれ? なんか貧血? みたいな……おおおお、気持ちわる」
「そりゃそうだよ、あんなに血を流したんだから。
私のちょっと飲む?」
「飲んでもどうにならんわ。怖いこと言うなよ。大丈夫、落ち着いた。
じゃあ、ちょっと着替えるから……」
「うん」
「あの……着替えるんだけど?」
「うん、見てるよ?」
「出てけ」
なんか俺が悪いみたいに文句言いながら出ってたぞ。
おとなしく言うことを聞いただけでも、リディアよりはマシか。
………………
………………
着替えたんだけど、これって……
「ねえ、なんで上下とも菜穂さんのと色も柄も一緒なの?
ダックスフンドの柄しかなかったの?」
「そう、それしかなかったの。ペアルックとか気にしてんの?
中学生じゃあるまいし」
「コンビニ寄ってもいい?」
「ダメ! もうタクシー来てるんだから、そのまま」
ぜったい狙ってやりやがったな。
すれ違った看護師の、まあ今だけよって感じの冷笑が身に染みる。
家に帰るまで……家に帰るまでだ。
にしてもスマホがないと情報収集ができない。
俺たちの事件がどう扱われてるのか。
安奈さんたちにどんな動きがあるのか。
気になってるのに情報にアクセスできないって、両手を縛られて
目隠しされてる気分だ。
スマホがないときって俺たちどうしてたの?
「確認することは二つ。一つは当然、シマナツの状態ね。
もう一つは壊されたハードの状態」
突然タクシー内でブリーフィング始まった。
優れた兵士は移動中に寝るっていうけど、優れた経営者は
移動中にブリーフィングするのか。
会議室で会議してるやつ、二流な。教師とか。
「ハードっていうと、記録したパターン?」
「そう。守護天使はバックアップがあるけど、実験はオフラインで
やったからね。残ってなかったらおしまい」
「もう一回やる……ってわけにはいかんよなぁ」
「トサカがなんでああなっちゃったのか、原因がわからないからね。
シュウちゃんもコーイチ君も、危ない目にあわせちゃった……」
「俺は覚悟のうえだ。気にしないでくれ」
「死にかけたのに?」
「教師やってりゃ、あのくらいしょっちゅうさ。
俺は今日中にもう一回いけるぜ」
無理にかっこつけてるの見透かされて、肘鉄くらった。
でもちょっと嬉しそうな菜穂さんを見ると、俺も嬉しい。
これ、どういう感情なんだ?
俺の人生からばあちゃんがいなくなって以来、ほぼ一人だった。
家族でもない人にそんな気持ちになったことないんだ。
だから彼女にというより、自分に戸惑う。
「大丈夫、たとえカナンがなくなっても私は諦めないよ。
シマナツを、いつか完全なシマナツにしてあげるの。約束なんだよ、
それまで私たちの夏は終わらない……」
「夏……ね。そういえば、シマナツはシーマの発表のとき泣いてたな。
杏奈さんの夏は終わったって」
「ええ? あいつそんなこと言ってたの?
……あ、すみません、ここで降ります」
菜穂さんは支払いを済ませてタクシーを降りる。
「なんでここで? まだ少しあるよ?」
「うん、少し歩こ。私たちがどこへ向かったか、すぐにはわからない
ようにしておいたほうがいいかなって。身体の調子はどう?」
「腹減ったな」
「いいんじゃない? 白石ちゃんがごはん作ってくれてるかも」
「あいつを何だと思ってる? 平日だよ、学校行ってる時間だ。
もし家にいたら説教だな」
「わかんないよ~~? 愛する人のためなら学校なんてサボっちゃう。
私もよく学校サボって夏実の病室に行ってた」
「それ困るんだよ。こっちは保護者から大切なお子さんをお預かりしてる
わけで、急にいなくなるとかマジでビビるから」
「あはははは、ゴメンゴメン。そんな先生サイドの問題なんて
考えたこともなかった。だってそれが子供でしょ? 自分のことだけで
頭が一杯。友達の気持ちさえ勝手に決めつけてる」
「大人でもわりとそうだよ。そういうのを自覚できるのって、
大人も子供も関係ないんだ」
「先生みたいなこと言わないでよ。先生ってあんまり好きじゃない。
私はね、そんな自覚できない子だったの。夏実の病室が空き室になるまで、
ほんとによくなるんだって信じてたアホなの」
「アスホールみたいにアホって言うのやめなさい。
そんな菜穂さんだから夏実さんは救われてた。最後までそういう
菜穂さんでいてほしかったんだよ」
「どうかな……。ただめんどくさかったんじゃない? 本当のこと
言って、私が泣いて大騒ぎして、励まされたり慰められたりするのが。
ゆっくり静かに死にたかったんだよ」
「そうやってまた、夏実さんの気持ちを決めつけてる」
「……ほんとだ。やるね、コーイチ君。さてはできるほうの先生だな?
まったく、私ときたらいつまでも自分のことしか頭にない。
杏奈もシマナツも愛想を尽かせるわけだ」
明るく言って、軽く舌なんか出して。
一人だけ置いて行かれたような、深い孤独の影を纏わせて。
一人だけ夏実さんの死が近いことを知らずにいた夏の、
一人だけ違う夢をみていた夏の孤独をずっと抱えている。
で、彼女と一緒に笑えない俺が、その孤独を彼女に
より強く感じさせているっていうね……。
「誰だって好きな人が泣くのを見たくない」
「そうかな? 私は一緒に泣きたいよ? 三人で大泣きして、
人生を呪って暴れて、自分が怪我しない程度にものを壊して。
私はそういうのがいい。だからやってやるのよ。シマナツを完璧にして、
杏奈を連れてきて、絶対にそれをやる」
「それが終わらない夏?」
「……他の二人はちょっと違う言い方をしてたかもしれない」
「なんて言ってたのか気になるね。ちゃんと伝わってたのか」
「……三人でずっと一緒にいようね、的な?」
まさか俺がため息で感情を伝える日が来るとは。
照れ笑いでごまかしてもダメです。
「シマナツをもとにしたAIの開発を急いだのもそのせい?」
「んあ? なんのこと?」
「杏奈さんから聞いた。群道君のことがあってからも、菜穂さんが
シマナツとそれをもとにしたAIの開発を推進したって」
「そりゃそうよ、あのときはニグの子会社化の話が出てたからね。
独立を保つためには新しい事業が必要だったの」
「そのときからニグとの連携の話があったのか……。
なのに安奈さんは開発に反対した」
「群道君のことはかなりショックだったみたいだからね。
私も仕方がないって思ってた」
「けどシーマは──」
菜穂さんが目を逸らす。
安奈さんがそのときから今の状況を考えていた可能性から。
……と思ったんだけど菜穂さんはじっと地面の一点を見つめてる。
我が家の玄関前に、そんなヘンなとこがありますか?
「コーイチ君、これ」
ヘンなとこありました。
菜穂さんが指さしたのは、まぎれもない血痕だった。
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