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第四話

 大切な人にも、自分以外の大切な人がいる。


 あの日以来、その当たり前の事実が、私の胸に現実となって重くのし掛かっていた。私にとって、彼はこの白黒の世界で唯一『色』を見せてくれる、『特別』な存在だった。だから何となく、彼にとっても、私がそうであればいいな……なんて淡い期待を抱いていた。だけど、彼が私以外の女の子に見せる表情や仕草を目の当たりにして、そんな期待も泡のようにもろいものだったと思い知らされた。


 私は目を瞑りベッドに包まって、ひたすら何も見ないようにした。不思議だ。彼が笑っているのが好きだったはずなのに、他の人に笑いかけているのを見るのはとても嫌だった。何よりもそれを嫌だと思う自分自身のことが、何だか酷く醜く感じてしまって、たまらなく嫌だった。


 それから私は、毎日のように通っていた公園をいつしか避けるようなった。


 彼はあれからも、平日の夕方になるといつものようにベンチに座っていた。私にも、特段変わることなく同じように接してくれた。変な話、それが嫌だった。何で嫌なのかも分からないまま、私は彼を避けるようになってしまった。


 あれほど楽しみにしていた『色』も、今では知らなければよかった、と思うほどになっていた。赤も青も黄色も、知らないままでいられれば、私はずっと白と黒だけの世界で生きていけたのに。こんな私に親切に教えてくれた彼のことを、逆に恨みそうになってしまうのが怖かった。だから私は、だんだんと公園に行く回数が減っていって、放課後は一人で過ごすことが多くなっていった。それでも私が公園に出向くと、彼は何も聞かず、以前と同じように私に色について一生懸命説明してくれるのだった。


 ある時、思い切って彼に告白してみたことがある。


 どうして私にこんなに親切にしてくれるの? と。


 そうしたら彼は、嬉しそうに微笑んで、「おんなじだから」とだけ呟いた。私は意味が分からないまま、彼がカフェで他の女の子に見せていた別の種類の笑顔を思い浮かべて憂うつになった。


 現実は『シンデレラ』でも『白雪姫』でもなく、ましてや物語ですらない。そうこうしている内に、学校では受験勉強のシーズンが始まった。私は正直、ホッとしていた。これで公園に行かずに済む口実ができた、と思った。彼の隣に座るのが、今はもう楽しい『だけ』じゃなくなっていた。

 

□□□

 

 信号機が『黒』から『白』に変わって、止まっていた人の波が一斉に前へ前へと流れ始めた。私は不意に空を見上げた。目の前に広がる、どんよりと曇った『灰色』の空。相変わらず私の眼に映るこの世界には、高校生になってもやっぱり『色』がない。


 すれ違う人々の表情も、等間隔に並ぶ街灯も、徐々に光を灯し始めたネオンサインの看板も、白と黒だけの世界。絶望するにはあまりに白く光に満たされていて、希望を持つにはあまりに黒く暗い部分が目立つ、そんな私の世界。高校生になった私は、あれほど好きだった『色』のことなどすっかり忘れて、またモノクロの世界に舞い戻っていた。


 あれ以来、彼とは会っていない。改札を出て、いつものようにバス停に向かおうとして、私はふと思い立って例の公園に寄って見ることにした。


 公園は相変わらずだった。変わったことと言えば、私の視線がほんのちょっとだけ、高くなったことくらい。灰色の芝生を眺めながら、やがて私は噴水の前のベンチへと辿り着いた。


 ベンチは空っぽだった。当たり前だ。これで一年前と同じように例の彼が座っていたら、軽いホラーだ。もちろん、期待してなかったといえば嘘になるけれど。それでも私は懐かしさで胸がいっぱいになって、吸い寄せられるようにそのベンチへと向かった。


 噴水から流れ出る冷たい水しぶきを頬に感じつつ、私はベンチに腰掛け空を見上げた。風に運ばれて、白い雲がのんびりと泳いでいく。そういえば、空は何色なのか、彼から教えてもらうことはなかった。いつだったか、彼は私のことを空みたいだ、と言ってくれた。私にとってどこまでも灰色でしかないこの空を、彼は一体何色に見ていたのだろうか。


「あの……すいません」

「!」


 ぼんやりと空を眺めていると、不意に声をかけられた。いつの間にか、目の前に男の子が立っていた。私はびっくりして咄嗟に身を強張らせた。知らない顔だ。まだ中学生くらいの、年下のその男の子は、私をやたら熱い視線で見つめながら興奮気味に話し始めた。


「お姉さん……何で色が着いてるんですか!?」

「え?」


 私は首をかしげた。


「僕、実は生まれつき色が見えなくて……」

「!」

「でも、いきなりで失礼かもしれないですけど、お姉さんを見かけた時びっくりしたんです。色が……お姉さんにだけ、初めて色が、見えて。それで、追っかけなきゃって……!」

「…………」


 白と黒の男の子が、自分で言ってることに恥ずかしくなったのか、頬を灰色に染めて目を逸らした。これじゃ、ナンパと変わらない。私はおかしくなって吹き出しそうになった。


「あの……?」

「……何でもないの。色が知りたいの? 私でよければ教えてあげようか?」

「!」


 ああ、そうか。

 もしかしたらあの時の彼も、こんな気分だったのかもしれない。私はゆっくり微笑んで、目の前の男の子を手招きした。

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