34話 killer
「椿、大丈夫か?」
「……何がですか?」
心なしか、距離を置かれている気がする。
「最近、ちょっと気になるから」
結局背負っている那槻の体温が、肌に心地いい。幸い、もう俺は疲労で倒れることもない。なら、この暖かさは知っていたんだろうか。
「分かんないです。なにか、頭に引っかかってるのに」
冬の風が、彼女の髪を揺らす。憂いを帯びた表情は、どうしても妹を連想させた。
――そういえば、桜はこんな表情見せなかったな。
意識してそうしていたのか、本当に幸せだったのか。今はもう知る術もない。そう、彼女は妹ではない。
何度も、何度もそう言い聞かせてきた。それは彼女のためでもあり、自分のためでもある。
「まぁ俺も、人のことは言えないからね」
今はもう、ぼんやりとでも理解している。あの2週間自分が何をしたのか。
――彼を、叫び喚き、逃げ惑う彼を殺したことも。
罪の意識は、薄い。それは、俺が元来まともな人間じゃないということだろう。別に2年前のあの日から変わったわけじゃない。元からその素質はあった。
「ごめんなさい。心配してもらってるのに……」
謝る彼女は、何かを隠しているようにも見える。でも、それを掘り出す勇気は自分にはない。
「気にしないで。ゆっくりなれればいい」
自分も、彼女が彼女を知らないことを利用している。自分が人として生きるために。
でも、それももう少しの間だけ。彼女を含むみんなを、安全に生きていける場所につければ、俺が人である必要もなくなる。
――その時まで、待ってろってことだろ?
頭痛の中、幻聴は囁く。だけど、それはきっと俺の本心。
「あのっ……!」
「どうした?」
「あ……いえ、ごめんなさい。なんでもないんです」
思い詰めた瞳が気になって、つい頭に手をのせてしまっていた。驚いたように見上げられると、何とも気まずい。
「あ、ごめん。ちょっと……思い出して」
「……全然、大丈夫です」
穏やかに笑って、顔を背けてしまう椿。つい、妹のつもりで接してしまう。こんなことがないよう、あまり近寄らないでいたのに。
「おい、ガキ」
真剣な表情のヤンキー男に、嫌な予感を覚える。そしてそれは、あっさりと的中した。
「前にいやがる。俺とお前でやるぞ」
「回り道……では?」
「残念だがな、こっからは歩行者天国らしい。少ない所を通らないとな」
らしくない冗談だが、その不敵な笑みは頼もしい。
「怪我人ですよ?」
「生意気な分は働いてもらう」
仕方ない。この間の発作も今の所黙っててもらっている借りがある。ここはやるしかない。
「……えっと」
「いってくる、那槻を頼んでいいか?」
おずおずと頷く椿に、起こした那槻を預ける。右手だけだが、やるしかない。
「……気をつけて、ください」
大丈夫。俺は死なない。
彼女たちが、後ろにいる限りは。
「……お強いですね」
皮肉でも、冗談でもない。押井 龍斗、恐ろしい男だった。
恐れず、それでいて油断もなく、淡々と障害を排除していく姿は見習いたい。自分はただ、感情に任せた暴力を振るっているだけだ。
――心のどこかで、満たされながら。
そんな自分に、嫌悪感を覚える。認めたことでも、受け入れられるかどうかは別だ。でも、あるいはそれでいいのかもしれない。来るべき時まで保つなら。
「お前も、片手でよくやるよ」
確かに、片手で振るにはこの鉄パイプは少し長い。代わりの物もないから、仕方ないが。
「戻るぞ。とっとと進もうじゃねぇか」
振り返った彼に続こうとしたその瞬間――襲ってきた白刃を、咄嗟に左手で受け止めた。
「……何を、するんですか」
「決まってんだろ。感染者は殺さないとな」
――分かっていた上で、他のメンバーから引き離したのか。
確かにただのバカではない。こいつはきっちり自分の状況を創り上げている。
「左手で受けるか、やっぱりケガではなかったな」
獲物を狩る、狩猟者の眼だ。本気で殺す気か。
「まぁ、どっちにしろ生かしてはおかないがな」
包帯を貫き、腐食した肉に立てられた白刃を引き抜いて、彼は言った。ナイフでやる気か。対人戦を心得ているのか?
――よう、出番か?
まだだ。ここは俺がやる。
――安心しろよ、俺も、お前だぜ?
ゆっくりと瞬きすると、世界の色は変わっている。包帯を振り捨て、左手に感覚を呼び戻す。殺されるか、殺すかならば、答えはひとつだ。
「完全にバケモノだな、貴様。人の言葉が分かるのか?」
邪魔をするなら、殺す。たとえ相手がプロだろうと、人間だ。
精確なナイフの突きを、左手で掴む。体に刃が食い込む感触はあっても、痛みはない。胸板に蹴りを入れられ、大きく後ろに吹っ飛ばされる。だけど、武器は奪った。
手強い相手、その事実が胸を踊らす。やはり自分は、こうするより他に生きる道を知らない。
視界が歪んでいようと、彼の場所はわかる。大ぶりの鉄パイプが、コンクリートに当たって暴力的な音楽を奏でた。
殺す、殺す、殺す――。
楽しませろよ、クソ人間。
「バケモノが……!」
何発の拳を正面から受けようと、怯む必要はない。俺は違う。お前らとは違う。そっちの理論で殺れると思うな。
「この野郎……!」
体が宙を浮き、背中がコンクリートに叩きつけられた。床? 壁?そんなことはどうでもいい。
今は、ただ殺す。自分のために。




