32話 remember
「ここにいたんですか」
彼を見つけるのは、誰が思うより簡単だ。
「何の用だ、クソガキ」
今の俺には、この感覚がある。ある程度の範囲内なら、人のいる場所は分かる。
――もう、完全に人間から離れてるな。
それでもいい。誰かの為に生きていられる間は。
「こんな雨の中立ってたら体に毒です。帰りましょう」
「ほっとけ」
頑なに、態度を変えないヤンキー男。
「なんで片木の奴がお前と来ることにしたのか、俺は知らん」
心底、信用していないらしい。無理もないけど。
「その目、気に食わねえんだ。常に自分は冷静ですってか。気持ち悪りぃ」
確かに、彼はバカではない。ただ、感覚で動いてるだけ。あの詐欺師ほど警戒する必要はない。
――むしろ、藤咲さんのが。
「何を考えていやがる」
「ああ、いえ。すいません、戻りましょう」
もし、殴りかかって来るような奴ならば、ここは殴られておくべきだろう。
「ふん……」
鋭く睨み付けると、横を歩いて行ってしまった。一悶着あるかと思ったが、幸運だった。
彼らとはまだ、仲間でいる必要がある。
「おい、ガキ」
「はい……?」
「お前、前科あるか?」
そう問いかける、暗い力を持った声。間違いない、こいつも犯罪者だ。
「ありませんが?」
警察の世話にはなったけど、残念ながら俺は被害者側だ。
「人を殺したことは?」
一瞬、息がつまる。
「あるわけないじゃないですか」
答えた声は、自分でも分かるほど引きつっている。こいつの感は、半端ではない。
――同類、だろ?
一瞬、そんな声が頭をよぎった。妙な既視感。そして、額に当たった雨。
「そうか、ならいい」
彼はそう言って去っていった。足が動かない。降りしきる雨が、頭の中の何かを呼び覚ます。
――なぁ、そろそろ思い出せよ。
呼びかける声は、だんだん大きくなる。でもこれは、知っている。覚えていないのに、知っている。
――自覚しろよ、お前は。逃げるのはこの辺にしてさ。
違う、これは違う。俺じゃない。
「おい、どうした。帰らねぇのか」
「すぐに……行きます」
今は抑えろ。彼らに悟られるわけにはいかない。
――いつまで、そうやって逃げんの?
逃げてなんかいない。お前は嘘だ。ただの、ストレスの塊だ。
――俺は、お前だよ。
うるさい。うるさいうるさいうるさい。
「おい、なんだよ。おい!」
苦虫を潰したような顔で、近づいてくる。やめてくれ、こっちに来るな。出したかった声は、声帯に届かない。
――手始めに、こいつでもいいんだぜ?
やめろ。
「おい、なんだ。まさか、感染してんじゃねぇだろうな」
「違う……!」
違う、俺は。これは俺だ。感染したからじゃない。あの日から確かにあった、俺自身だ。
「少し、待って……」
あいつらを、生かしたい。その後なら、何だってしてやる。今はまだ、黙っていてくれ。
――へぇ、人殺しといて、よく言うな。
「ころ、した?」
――あのおっさん、いい声で鳴いたぜ。
俺が? 誰のためでもなく、自分の欲求で殺した?
――まぁいいや。もうちょい待っててやるよ。
頭痛と、震えは遠くなる。顔を上げると、ヤンキー男の顔があった。
「とんだトラウマを、えぐり出したみたいだな」
やれやれ、といった面持ちで、彼は告げる。
「帰るぞ」
引きずられるようにして、雨の中を歩いた。寒さはほとんど感じないのに、ただただ怖かった。
「……大丈夫?」
「うん……なんとか」
眠りたいのに、身体は言うことを聞かない。一度眠って、落ち着きたい。自分の中で、すべてがごちゃごちゃになってしまっている。一晩中、それに脳内を掻き回される苦痛は、並みのものではない。
「風邪……ではないね。持病?」
「トラウマというか、後天的なものです」
「ウチの龍斗が、なにかしたかな?」
そう言う片木は、恐らくもう感づいている。
「いえ、大丈夫です」
表面だけでも落ち着いていられるのは、進歩したということなのか。それでも、まだ受け入れ難い。
「歩けそうなら、出発するけど」
「……行きましょう」
数人は止まるような視線を向けるが、なりふり構っていられない。あいつが本格的に動く前に、なんとしても、やらないといけないことがある。
「……大丈夫?」
不安に満ちた、小さな瞳。那槻の恐怖は、きっと自分と比べ物にならないほど大きい。
「大丈夫、心配しないで」
状況をしっているだけに、椿はあまり近寄ろうとしない。それでも、その目線は確かに自分の力になる。
彼女たちは、生かす。たとえ、どんな犠牲を払っても。
その先にある未来に、自分がいなくても。
「じゃあ、行こうか」
目の前で笑う男も、できかけた友人も、なんだって捨ててみせる。
――これは、俺の最初で最後の仕事だから。




