21話 name
「何、考えてんの?」
綺麗に晴れた朝の空を、教室の窓から覗いていると、結梨に話しかけられた。
「これからのこと、かな」
置き手紙の意味も分からず、守ってくれる人はいなくなり、守るべき人は増えた。
「あの子、どうするつもり」
「連れてくしか、ない」
でも、どこへ――?
あの日、おっさんに言われた言葉がまだ胸に残っている。無責任に連れ回して、どこを目指せばいいのかも分からないまま死んだとしたら?
「……苦労するね」
「お互い様だよ。大分頼らせてもらってるから」
しっかり者の一人娘。口にしたことは無かったが、今ならおっさんの気持ちも想像できる。彼女は、必要だ。
「周りの風景は、全然変わらないのにな……」
電柱にとまるカラスをみて、ひとりでにそう呟いていた。
そう、草も木も、空を飛ぶ鳥に池の中の魚も、何も変わっていないかのようにただ生きている。
――なのに。
「ウチは、東京に行く」
決意を込めた表情で、彼女は言った。
「何があるか分からないし、お母さんがそれまで無事でいてくれるかも分からない。でも、ウチが歩いて来たのはそのためだから」
彼女は、きっと1人でも歩いて行くだろう。それが辛く険しい道でも、たとえ道半ばで倒れたとしても、最後の瞬間まで歩み続ける。
「……ついていって、構わない?」
「嫌だって言っても、来るんでしょ」
もし彼女に心底拒絶されたなら、自分はどうするのか。目的を見失い、ただ2人の少女の命を背負った自分は、一体何をすればいいのか。
「昨日、連絡したら……東京はまだ割と安全だってさ」
そう話す彼女の顔は、どこか物悲しげに見えた。
「あの子たちにも、安全な家になるかもしれないよ?」
「……ありがとう」
兄貴からは、きっともう二度と連絡は来ない。この道中の間に、自然とそれを感じてしまっていた。なら、あの2人の為に今できるのは安全な場所を探すこと。
「行こうよ、みんなで」
結梨は、爽やかな笑顔で言った。
その『みんな』に彼女の父親はもう、含まれないのに。
「おはよう。昨日の今日で悪いんだけど、色々話ておきたくってさ」
例の娘との会話は、結梨が始めた。
「はい。私も……話したいこと、ありますから」
昨日の虚ろな瞳に、今は光が確かにある。それだけでも、1日のリスクを冒した価値があると思えた。
「とりあえず、聞いてくれる? ウチらの目的地と、今の状況を説明したいから」
「……宜しくお願いします」
その生真面目そうな顔は、桜には見えない。顔のパーツはそっくりでも、やはりこうまで変わるのだろうか。
「涼君……なにぼーっとしてるのさ。説明してよ」
「わかった」
いきなり話を振られて一瞬戸惑うが、地図を取り出し話を始める。
「日本がどうなったのかは、分かるか?」
「どう……とは?」
そこから、覚えていないのか。
「結論から言うけど、マトモな人類はもう、ほとんどいない」
意味がわからない、といった顔に結梨が続ける。
「信じられないと思うけど、ホントだから。何かの感染症みたいなのが、変えちゃったの」
「言葉だと信じ難いと思うけど、遠からず見ることになる。覚悟だけはしておいてほしい」
半信半疑のまま、頷いた彼女に地図を見せる。
「今はここ。目的地は東京。直線距離で200キロ以上はある」
使えるのは、徒歩のみ。その長さは、軽い絶望さえ感じさせる。
「人生最悪の、ハイキング……かな」
気の利かない結梨の冗談も、現実味があるからこそ恐ろしい。
「さっき言った感染者の襲撃も考えられる。正直、危険だ」
「でも、他に道はないんですよね」
まっすぐに見つめる瞳と、その奥に映る自分の顔。
――昔、こんな風景を見つけた気がする。
「……今の所、これしか頼りはない」
例えハイリスクな日常に飛び込むことになっても、ただ死ぬのを待つよりは――。
「できるなら、君にもついてきてほしい。できる限りのことはする」
「……私が、ですか?」
「無理にとは言わないけど、ここで1人でいたって、死ぬのを待つだけだ」
救える命なら、見捨てたくない。
例えそれが、自分勝手な贖罪でも。
「私は……名前も思い出せません」
少しの間の後、彼女は口を開いた。
「状況だってまだ飲み込めていないし、迷惑をかけるかもしれない。そんな私は、ここには……」
「名前なら、あるよ」
被せるように響いた、明るい声。
「考えといた。呼びにくいもんね」
まるで、もう仲間だと決めているかのように。
「椿。どう?」
驚き、目を見開く少女。その頰を、そっと涙が滑り落ちた。
「大丈夫か? 嫌なら他の名前でも……」
慌てて声をかけるが、彼女は顔を抑え、首を振る。
「いえ……ありがとう、ございます……」
嗚咽をこらえ、紡ぎ出した言葉は、喜びと安堵に満ちていた。
「なんか、ほっとしちゃって……ごめんなさい」
一度緩んだ涙腺は止まらないのか、ただ静かに泣き続ける。
「……気に入ってもらえて、良かったよ」
どこか満足そうな結梨。
「一緒に、来てくれるか?」
「はい……!お願いします」
安堵に大粒の涙を流しながら、何度も頷く彼女。
自分が誰なのかすら、分からない。その不安と、一晩中戦っていたのだろう。
もしかすると、俺たちの来るずっと前から――。
でも、もう違う。
「改めて、よろしく」
青空は、昔となんら変わっていない。




