22話 Loneliness
「妙だな……」
感染者が、動いていない。いや、正確には動いているのに、そこにいつもの恐怖を感じない。
――いつもの?
「分かる?結梨」
「……なんか、襲ってこないのは」
少し前までの、殺意が感じられないというか。あれは最早生き物ではなく、動かされない人形になってしまったと言えるほどに。
「好都合だけど、どうにも不気味だな」
そう言う自分は、すでにその崩れた顔面の真正面に立っている。飛びかかって来るはずの距離。なのに、命の危険は露ほどにも感じない。
「ここのところ、こいつらを見なかったけど……いつの間にこんな風に」
「考えて分かることじゃないよ」
考えるのをやめた人に言われると、説得力に欠けるが。
「涼さんは……ずっと、戦って?」
「いや、逃げてた時のが長いかな」
少なくとも、椿が感染者に慣れるにはちょうどいい。慣れるべきものじゃなくても、怯えて、竦んで、ただ殺されるよりはずっとマシだ。
あんなのは、人の死に方じゃない。
「どうする? 一気に抜けちゃう?」
「慎重に行こう。原因が分からないんだ」
結梨は、少し焦っているかもしれない。目的地を見つけて、そこに全速力で走りたい気持ちは分かる。きっとそれは、ついこの間までの自分の事だ。
「……分かった」
この中では、彼女だけが明確な目的を持っている。そのことが妙に羨ましく、また不安材料でもある。
――もし、目的地がすでに汚染されていたら。
俺たちは、どこに行こうとするんだろうか。
「あの、あれ……」
無意味に頭を巡る考え事は、姪っ子の声に遮られた。その小さな指が指したのは、ぽつりと佇む人影。
「あれ、人間……か?」
「多分、そうだと思います」
答えたのは椿。視力がいいのだろうか。
「見えるの?」
「あ、えっと……はい。たぶん、ですけど」
歯切れの悪い返事だ。前を行こうとしていた結梨を呼び止め、3人でかたまっていてもらう。
「……気をつけてよ」
「分かってる」
右手のレンチは、いつの間にか手に馴染んでいる。慣れているのだろうか、この世界に。
「嫌なこと……かもな」
いつの間にか、静寂に耐えられない癖まで付いている。
改めて、前に立つ人影を観察すると、確かに生きた人間らしい。弱々しく佇み、周りへの恐怖を感じさせない。
「ある意味、アレより人間味がないな」
この例えは、問題かもしれない。それでも、その生気のない人影は、ともすればバケモノよりも生物から遠いような存在に見えた。
「失礼」
後ろから話しかけると、びくりと肩を震わせ、怯えたようにゆっくりと振り向く。目と目があった瞬間、彼は大げさに安堵のため息を吐いた。
「……ああ! 人だ! 人なんですね!」
痩せた体つきに、白髪混じりの男性。立場の弱そうなサラリーマン、というのが第一印象だった。
「無事な人に会えて嬉しいです」
「私もだ! 良かった、まだ生きている人がいたなんて……!」
感激と、喜びに体を震わせる彼は何日振りに人に会ったのだろう。
「自分は連れもいます。よろしければ、一緒に昼食でも」
「他にも、他にもいるのかい?」
……全員女子だって言ったら、悲しむかな。
「今は、全員子供ですが」
「なんだっていいさ。生きている人が恋しいんだ!」
とりあえず、危険な感じはしない。
「じゃあこちらへ。昼食場所を探すので」
手招きして、結梨にジェスチャーで合図する。
この人は、どうやって今まで生きてきたのか。少し気になった。
「初めまして。永峰 理一、38歳です。助けていただき、本当にありがとう」
サラリーマン口調が微かにのこる男性は、見た目よりはるかに若かった。苦労したんだろうか。
「梶木 涼です。会えた幸運に感謝します」
どこかで聞いたセリフを、そのまま言った。わざわざ本音で接する必要もない。
「湯ノ瀬 結梨です……よろしく」
「……椿、です」
俺の陰に隠れて怖がる那槻以外は、とりあえず自己紹介を行う。那槻は……人見知りを発動したのか、顔を出そうとしない。
思えば、椿のことさえまだ落ち着いていない。もともと恥ずかしがり屋の那槻に、早い慣れは難しいかもしれない。
「……俺の後ろにいるのが、那槻。戸籍上は姪っ子です」
「ああ、よろしく。いや、怖がられても仕方ないよ」
10代の子供に囲まれた大人は、余裕を見せようとしているのか、やけに柔らかい物腰を崩さなかった。
なぜか、俺は彼の存在を不快に思う自分に気づいていた。




