2.爪先の秘密
web投稿一周年を記念して配布したお話です。
【あらすじ】
高橋奏と高木勇吾は同期入社で、勇吾の声に惚れた奏の猛アプローチで付き合い始めた。しかしここのところ仕事が忙しい勇吾に三回連続でデートをキャンセルされている。
付き合って三年目のその日に、一目でも会いたいからと奏は勇吾の部屋で待つが、日付ギリギリに帰ってきた勇吾は酔っ払っていてそのまま寝つぶれてしまう。
怒った奏は勇吾の爪にいたずらをして――!?
高橋奏がオフィスのPCでメールをチェックしていると、後ろに人が立つ気配を感じた。
「おい」
よく聞き慣れた低い声が不機嫌そうに奏を呼んだ。声の主は高木勇吾――奏の同僚で彼氏だ。奏が返事をしないでいると、ジレた勇吾がデスクに片手をついて耳元でささやいた。
「おい、無視すんなよ」
勇吾の周りを意識して抑えた低めの声が奏の耳をかすめ、背筋がゾクリと震えた。相変わらず良い声をしている、と苦々しく思いながらふり返る。
「何か御用ですか?」
「爪の落とせよ」
眉間に深いシワを寄せて勇吾がイラついた声を出す。奏はツンと澄ました声で応えた。
「何のことでしょう?」
「足の爪、塗ったのお前だろ」
「ふん、そんな爪じゃ他の女の前で裸足になれないものね」
「はぁ? 何バカなこと言ってんだよ」
「バカにバカって言われたくありませーん」
「おい、いい加減にしろよ」
「いい加減にするのは、あんたでしょ! バカ!」
デスクで小声で小競り合いをしていると、奏が呼ばれた。
「高橋さん、ちょっと良いかな?」
「はーい」
「おい! 奏!」
椅子をくるりと回して立ち去っていく奏の後ろ姿を、腕を組んだ勇吾がにらんでいた。
*****
前の日の晩、奏は勇吾の部屋でペテギュアを塗っていた。
「ん、良い色」
今日買ったコーラルのポリッシュは発色が良く持ちも良いので奏のお気に入りだ。上手にペテギュアが塗れたというのに、奏はため息をこぼした。
「はぁ……遅いな……」
スマホの時計を見るともうすぐ日付が変わりそうだ。そろそろ寝ないと明日に響く。奏はもう一度ため息をこぼした。
同期入社の奏と勇吾が付き合いだして今日でちょうど三年目だ。勇吾の声に惚れた奏が猛烈にアプローチしたのがきっかけだった。ここのところ勇吾の仕事が忙しく、三回連続でデートをキャンセルされていた。仕事で仕方ないとわかっていても、今日はどうしても顔が見たかった。
『顔だけでも見たいから部屋で待ってて良い?』
『良いけど遅いよ』
奏が送ったメッセージに返ってきたのはつれない言葉だったけれど、それでも勇吾が恋しくて合鍵を使って部屋で待っていた。
「日付け変わっちゃうよ……」
テーブルに置いたスマホがチカと光ったのが見えて慌てて画面をタップするが、映されたのは行きつけの美容院からの営業メッセージだった。
「なんだ」
テーブルの上に投げ出したスマホがポリッシュの瓶にあたって瓶が倒れた。蓋の締まりが甘かったようで中身がこぼれてしまう。
「あ、ヤダ!」
ティッシュを引き抜いてテーブルの上を拭いていると、ガチャガチャと部屋の鍵が開けられる音がした。
「勇吾、おかえり!」
「奏?」
赤らんだ顔でフラついた勇吾が抱きついてきた。勇吾の身体からはアルコールとタバコの匂いがして奏は顔をしかめる。シャワー浴びて着替えなよ、と肩を叩くが、勇吾は抱きついたままベロリと首筋を舐めた。
「やだ、やだってば」
「ん……奏……好き……」
耳元で甘い言葉をささやかれると、腰が砕けて抵抗できなくなってしまう。
「ん……」
流されるままにキスをして床に倒れこむ――とそのまま勇吾はガクンと動かなくなった。
「……勇吾?」
勇吾は奏を抱えたまま酔い潰れて寝ていた。
「……バカッ!」
勇吾の身体の下から抜けでてリムーバーで机の上を拭いていると、キツイ匂いが鼻についてなんだか涙がこぼれてきた。
「バカ……勇吾のバカ……」
奏から告白したせいなのか、勇吾は酔った時やベッドの上でしか甘い言葉を言ってくれなかった。自分ばかりが好きな気がするのが悔しくて、奏はほとんど空になってしまったポリッシュの瓶を手に取ると勇吾の足に目をやった。
奏は残ったポリッシュで勇吾の足の親指の爪にそれぞれ「バ」「カ」と書くと、そのまま部屋を出て自分の家に帰っていった。
*****
そのまま気まずい空気が続いた週末の帰り道、勇吾が奏を待ち伏せしていた。
「おい、これ」
手にした紙袋は化粧品ブランドのものだった。受け取って中を見ると先日のポリッシュの新品が入っていた。
「どうしたの?」
「同じのくださいって見せたんだよ」
「え! お店でその足見せたの!?」
「バッカ、ちげーよ!! これの容れ物、忘れていっただろ! それ見せたんだよ!」
「は、なんだ」
頭の中に勇吾が美容部員の前で爪先のペテギュアを見せてる姿が浮かび、奏はなんだかおかしくなって笑いが込み上げてきた。
「ふ、ふふ、ははは、びっくりした」
ひとしきり奏が笑った後、気まずそうな顔をした勇吾が首の後ろをかいて言った。
「なぁ、奏。仲直り、しよーぜ」
*****
行きつけの居酒屋のカウンターで並んで座りながら、お酒の勢いを借りて奏が尋ねた。
「なんで普段は好きとか言ってくれないの?」
「は? お前がヤダって言ったんだろ」
「え?」
「素面の時に好きとか言われると恥ずかしいって」
言われて奏は思い出した。付き合ってすぐの頃、勇吾の声で甘い言葉をささやかれると何も考えられなくなってしまうので、やめてほしいと頼んだのだった。
「あ……」
「言うなっつうから我慢してたのに、それで文句言われるとかわけわからん」
「ごめん」
「いや、俺もデートキャンセル続きで悪かった」
「……仕事だから仕方ないってわかってる。でもさびしかった」
「俺も」
勇吾はグビとジョッキのビールを空にすると、カウンターの下の奏の手を握って手の甲をなでた。
「なぁ。今日、泊まってくだろ?」
奏の耳元に顔を寄せて色気をふんだんに乗せた声でささやいてくる。わかってやってるからタチが悪い、と奏は心の中でひとしきり文句をつぶやきながら、頬を赤らめてただ小さくうなずくのだった。
*****
勇吾の風呂上がりの爪先を膝の上に乗せて、少し削れた「バ」「カ」の文字を丁寧にリムーバーで取り除いていく。
「くすぐったい」
よっぽどくすぐったいのか、ベッド上に座った勇吾はモゾモゾと身体をよじっていた。
「また塗ってあげようか」
「……良いかもな」
「案外ノリ気なんだ?」
奏がクスクス笑ってると、勇吾は奏の隣に座りペテギュアの塗られた足を持ち上げて爪をペロリと舐めた。
「こっそり同じ色塗ってるってなんかエロくない?」
そんなことを上目遣いに色気だだ漏れな声を出して言うものだから、奏は真っ赤になった顔を両手で覆った。
「あぁ、もうほんと良い声してムカつく」
「ははっ。お前、俺の声、好き過ぎだろ」
「バカ」
顔を隠したままの奏を勇吾が後ろから抱きしめて耳元でささやく。
「良いこと教えてやるよ。俺は奏に『バカ』って言われるのが好きなんだ」
「……バカ」
「真っ赤になってカワイイ」
うつむいた奏の頭に勇吾が頭を乗せてグリグリと動かした。どうやら甘い言葉を吐くのをガマンしなくなったようだった。
「なぁ。それ、今度、俺にも塗らせてくれよ」
勇吾が奏の爪先を撫でながら言った。
「お互いに塗り合いっこする?」
「良いな。今度、一緒に買いに行くか」
奏がふりむいてイタズラな笑みを浮かべると、勇吾もニヤリと応じて奏を抱きしめるのだった。




