第4話 泥水の生活
両親がプレミアムサバイバルで命を落としてから、二ヶ月が経過した。
アパートのリビングには、かつて家族四人で囲んでいた賑やかな食卓の温もりはどこにもない。残されたのは、支払いを催促する無機質な電子通知の点滅と、壁にぽつんと立てかけられた、火の消えたように静かな空間だけだった。
この世界では、親が死んだからといって、システムが子供を保護してくれるわけではない。
家賃の支払いが滞れば、その瞬間に入居登録(アクセス権)は抹消され、スラム街同然の下層路地へ叩き出される。未成年であろうと関係ない。「自力で稼げない人間は、この街の下層の路地へ行け」――それが運営の、そしてこの超・資本主義社会の暗黙の宣告だったのである。
「アゲハ、今月の口座残高……あと、三百ラムしかないよ」
モミジが端末の画面を見つめたまま、力なく呟いた。
「わかっているわ」
アゲハは静かに答えた。おばあちゃんから手渡される泥付きの野菜だけで飢えをしのぐのにも、限界がある。電気代、水道代、そしてアパートの維持費。それらを支払うためには、何が何でもレギュラーサバイバルに参加し、キルを勝ち取らなければならなかった。
アゲハは、自室の机の引き出しから、一冊の古びた手帳を取り出した。
あの日、テレビの中継映像を見ながら、擦り切れた鉛筆で書き留めたメモ。
『D48-09544』(父)『D48-05466』(母)
『L22-08911』(ラグランドル)『K15-00342』(ラグランドルの仲間)
下二つのIDコードを見つめるアゲハの瞳に、かすかな熱が宿る。ラグランドル、そして彼の相棒。この二人は両親を裏切った。
一人は命を落としたが、ヤツはその命を引き換えに大金を手に入れ、上層区へと逃亡した。いくらあの時、遠距離から狙撃されたとしても、一気に3人も光点が消えるのはおかしい。
彼の居場所を突き止めるためにも、まずは自分たちがこの泥水をすするような生活から抜け出し、実力をつけなければならない。
「行きましょう、モミジ。レギュラーサバイバルへ」
「うん。……今度は、絶対にやられない」
二人は昨日、VRでの訓練を終えたばかりだった。
この世界の武器は『銃』。レベル1であっても、頭の中でイメージし、スキルを発動すれば、肉体の一部から光の粒子とともに銃が物質化する。
しかし、VRと本番の戦場は全く異なっていた。
レギュラーサバイバルの転送ロビー。
100名の参加者が集まる巨大な待機ドームは、独特の熱気と殺気、そして不快な汗の臭いに満ちていた。
「おいおい、見ろよ。ガキがまた紛れ込んでるぜ」
「どうせお小遣い稼ぎだろ。いいカモだな」
周囲のサバイバーたちからの、容赦のない蔑みの視線。昨日惨敗したばかりの双子にとって、その視線はそれだけで肉体をすくませるのに十分だった。
そんな中、双子に向かってわざとらしく足音を響かせ、近づいてくる影があった。
「へえ、まだ懲りずにエントリーしてるんだ、お嬢ちゃんたち」
声をかけてきたのは、無骨な黒いタクティカルベストを身にまとった男だった。
名前のホログラム表示は『ブラルド』。
その横に輝くレベルは『18』。
一般層の限界値に近いその数字は、中堅としての十分な実力を示していたが、彼の纏う空気はどこか卑屈で、強者特有の威厳は微塵もなかった。
ブラルドはいわゆる「初心者キラー」だった。自分より強い高レベルのサバイバーとの戦闘は徹底的に避け、待機場で見極めた素人や、武器の物質化すらおぼつかない初心者を死角からハントすることで、安全にキル数を稼いでレベルを維持している噛ませ犬。
ブラルドは、双子の華奢な体躯と、怯えを隠せない瞳を舐めるように見つめた。
「サバイバルは遊びじゃないんだよ。お父さんやお母さんにおねだりするみたいにはいかない。まあ、戦場で俺に出会ったら、痛くしないように一瞬でロビーに戻してやるから感謝しな」
下卑た笑い声を残し、ブラルドは去っていった。
「なによ、あいつ……!」
モミジが悔しそうに拳を握りしめるが、アゲハは彼女の肩を静かに抱き寄せた。
「気にしちゃダメ、モミジ。私たちの目的は、あの男と張り合うことじゃない。まずは『1キル』よ。確実に生存枠に入るために立ち回りましょう」
『カウントダウン終了。転送を開始します』
システム音声とともに、視界が真っ白な光に包まれる。
転送された先は、崩壊したコンクリートのビルが立ち並ぶ、無機質なゴーストタウン。
「エリア12」。
転送直後、アゲハはすぐに身を潜めるための物陰を探した。
「モミジ、銃を物質化させて!」
「わ、わかってる!」
モミジが神経を集中させ、右手を突き出す。
光の粒子が手の平の周りに集まり、彼女の得意とする「栗色のショートヘア」に似合う、軽量な二丁拳銃が形を成していく。
――遅い。
頭の中でシークエンスをイメージしてから、完全に実体化して引き金が引ける状態になるまでに、どうしても二秒以上の「タイムラグ」が生じてしまう。実戦における二秒は、死ぬのに十分すぎる時間だった。
さらに、この世界の『銃』には、肉体への強い反動が存在する。
「あそこ、敵よ!」
すると、さっそく敵が視界に入った。不運としかいいようがない。だが、ビルの窓からこちらに敵がいないか窺う影を見つけると、モミジが反射的に引き金を引いた。
――バァンバァンッ!
凄まじい発砲音とともに、リボルバーが跳ね上がる。
「きゃっ!?」
ステータス(身体能力)がまだレベル1の初期状態であるモミジの細い手首では、その反動を抑えきれなかった。弾道は大きく上にそれ、銃本体が手元から滑り落ちそうになる。
「モミジ、姿勢を低く!」
アゲハが自分のスキルを発動させ、肩まで伸ばした髪を揺らしながら、無骨なセミオートマチック・ピストルを物質化させて応戦しようとする。だが、アゲハもまた、射撃の瞬間に襲いかかる強烈なキックバックに、照準を狂わされた。
この世界のシステムは非情だった。
レベルが下がれば(リセットされれば)、筋力や反射神経といった基本ステータスもすべて初期値に戻る。銃をコントロールするための肉体が、今の双子には圧倒的に不足していた。
音で正確な位置を捉えた、敵サバイバーは見逃さない。
――ヒュッ、と風を切るようなかすかな音が響いた。
次の瞬間、モミジの胸から真っ赤な光のエフェクトが吹き荒れる。
「あ……」
声も出せないまま、モミジの体が砂のように崩れ、仮想空間の光の塵となって消滅していった。
「モミジ!?」
アゲハが叫んだ瞬間、彼女の視界もまた、灰色のコンクリートから激しい火花へと反転した。
背後、建物の死角からの正確無比な狙撃。銃声すら聞こえない距離からの、一方的なハントだった。
『YOU DIED. レベルは1にリセットされます』
――現実世界の、薄暗いリビングとも思えない場所にて。
「う、あ、あああっ……!!」
小さなボロボロのソファに転送されて戻ってきたモミジが、胸をかきむしりながら激しくのたうち回った。
心臓を撃ち抜かれた生々しい痛覚の電気信号が、脳を激しく痛めつけている。
「はぁ、はぁ、痛い、痛いよ……アゲハ……っ」
アゲハもまた、隣の床に倒れ伏し、激しい目まぐるしさと、首の後ろを焼かれたような熱いトラウマに息を荒げていた。
「悔しい……悔しいよ……また何も、何も、できなかった……」
涙をこぼしながら、モミジがソファに顔を埋めた。
一度死ねば、またレベルは1。どれほど訓練しても、本番では銃の物質化すら満足にできず、反動に翻弄され、ただの「肉の標的」にされてしまう。
これが、両親のいなくなった現実だった。
カツカツ、と静かな足音が、アパートの外から近づき、ノックの音が響いた。
扉を開けると、そこには、いつものように泥のついた野菜を抱えたおばあちゃんが立っていた。
「おやおや、やっぱりボロボロだね」
おばあちゃんは、双子の青ざめた顔と、部屋に充満する敗北の重苦しい空気を見て、静かに微笑んだ。
「ほら、これを食べなさい。泥を洗って、じっくり煮たやつだ。賞味期限が切れちまったばかりの煮物だよ。登録も解除されてある。人間、体の中に温かいものがなきゃ、銃の反動になんて勝てやしないよ」
差し出された、湯気の立つ野菜の煮物。おばあちゃんが『植物急成長スキル』を使いつつも、こだわり抜いた「手作業の肥料やり」で育てた、特別な煮物。
アゲハとモミジは、喉を詰まらせながら、それを口に運んだ。
じゅわりと広がる温かい甘みと、確かな大地の味。
冷え切っていた双子の心と体に、じわりと体温が戻っていくのを感じた。
「おばあちゃん、私たち……勝てないよ」
モミジが涙を拭いながら、小さな声でこぼした。
「当たり前さ。お前たちはまだ、自分の『銃』と対話できていないんだからね」
おばあちゃんは優しく二人の頭を撫でた。
「銃は金属じゃない。自分の体の一部だ。タイムラグを削るのも、反動を殺すのも、すべては脳と体の繋がりの深さにかかっている。焦るんじゃないよ」
「……おばあちゃん、教えて。どうすれば、私たちは強くなれる?」
アゲハがおばあちゃんのしわくちゃの手を握り、真剣な瞳で見つめた。
「最低限の事は教えてやるよ。だけどね、私の特訓は、ちょっとばかり厳しいよ?」
おばあちゃんの言葉に、双子の瞳に、消えかけていた小さな闘志の火が再び灯った。
「でもまぁ、まずは住む場所からだねぇ。アパートは解約しちまいな」
おばあちゃんのその一言を機に、双子は住み慣れたアパートを解約することにした。
修正作業してたらいつもの20時になってしまった。戦闘を端折っても、ちょっと長くなりすぎた感……orz
端折ってた為、ちょっと文章を変更(6/9 7:40頃)
今週は毎日20時に投稿予定。




