第2話 賭け(前半)
作物の味を良くするためには、自動化できない「本物の有機肥料やり」を手作業で行う必要があった。その泥臭くて手間のかかる仕事を、アゲハとモミジ、そして近所の子供たちが手伝うのが、この地区の日常だった。
バケツに入った強烈な臭いの肥料を、柄杓ですくって土に撒く。爪の間に黒い泥が入り込み、肌が汚れても、双子はちっとも気にしなかった。
作業が終わると、おばあちゃんは「ほら。いつものこれ」と、水で洗ったばかりのみずみずしい大根を二人に手渡してくれる。
「これは、ただの泥がついた大根だからね」
おばあちゃんは悪戯っぽく笑う。
システムは「電子データ化された所有物」や「生体IDに紐づいた資産」の移動を血眼になって監視しているが、データベースに登録すらされていない、そこらの土から採れた「ただの野菜(現物)」の受け渡しは、グレーゾーンとしてスルーされてる。おばあちゃんには「年寄りの知恵を言いふらかすんじゃないよ」と、念をおされていた。
システムが検知しない、私たちだけの唯一の温もり。
両親のキル数が少なくて食い詰めた月は、おばちゃんの野菜類が双子の、家族の飢えをしのいでくれた。逆に、両親が奇跡的に3キルや4キルを達成して懐に余裕がある日は、おばあちゃんを家に招き、「本物の肉」をごちそうして、みんなで食卓を囲んだ。
「いつもおばあちゃんには助けられてるからね。お互い様だよ」
そう言って笑う父親の顔を、アゲハは今でもよく覚えている。貧しいけれど、そこには確かに、人と人との「持ちつ持たれつ」の暮らしがあった。
しかし、そんな穏やかな日常は、ある「噂」によって唐突に終わりを告げようとしていた。
年に一度開催される、「プレミアムサバイバル」だ。
一般のレギュラーサバイバルとは異なり、プレミアムサバイバルとは「実際に人間が死亡する」システムだった。ゲームオーバーは、文字通り現実の死を意味する。
だが、その見返りは、レギュラーとは比較にならないほど莫大だった。
「1キル=10万ラム」
10万ラム。それは、レギュラーサバイバルで50回キルを達成しなければ得られない、一般市民にとっては一生遊んで暮らせるほどの超大金だった。
「100人参加して、生き残れるのはわずか10人」
生存率10%の地獄。それでも、借金に首が回らなくなった底辺層や、一獲千金を狙う強欲なサバイバーたちが、自ら進んでエントリーシートに血判を押す。運営にとっては、社会の不穏分子や貧困層を合法的に「間引く」ための、極めて効率的な娯楽装置だとはこの時は思ってもいなかった。
「なあ、お前たち。もし、プレミアムに俺たち夫婦がこれに参加して、生き残ったら……」
ある夜、父親が食卓でぽつりと言い出した。母親は驚いて箸を止めた。
「あなた、何を言っているの? プレミアムに参加だなんて! 死んだら終わりなのよ? この子たちは誰が面倒みるのよ! 私は嫌よ、絶対に嫌!」
母親の声は震えていた。
死の恐怖、そして幼い双子を遺して逝くかもしれないという恐怖が、その瞳にありありと浮かんでいる。父親は静かに視線を落とし、握りしめた自分の拳を見つめた。
「わかっている。死ぬのが怖いなんて、当たり前だ。俺だって死にたくない。……だけどな、もう限界なんだ」
父親が絞り出すように言う。
「先月のサバイバルで死んだ時、俺のレベルは1に戻った。元の身体能力を取り戻すまでに、また何ヶ月かかる? ようやくレベルもある程度までは戻したが、最近は引き金を引く指が震えるんだ。いつまで、俺たち二人が無事に『2キル』を維持できる? もし俺たちのどちらかが、あるいは二人とも同時にレギュラーで稼げなくなったら……その時は、この子たちを飢えさせることになるんだぞ」
容赦なくリセットされるシステムの中で、いつまで「2キル」を続けられるか分からないという、中堅サバイバーならではのジリ貧の恐怖。母親は唇を噛み締め、言葉を失った。父親は彼女の震える手を、そっと両手で包み込んだ。
「ラグランドルという男はな、ただの強いサバイバーじゃない。彼は『リスクを徹底的に排除してキルを稼ぐ』プロなんだ。無謀な正面衝突や撃ち合いは絶対にしない。頑丈なシェルターに身を潜め、罠を張り巡らせて、獲物が罠にかかるのをじっと待つ。あるいは、他のチーム同士が潰し合って、満身創痍になった奴だけを背後から安全に仕留める。そうやって、生存率を極限まで保ったままキル(金)を稼いできた、本物のベテランなんだよ」
「正面から、戦わない……?」
「ああ。自分たちが傷つくリスクを限りなくゼロにして、漁夫の利で1キルをもぎ取る。奴の戦術に乗れば、俺たちも安全にキルを稼げるはずだ。夫婦でそれぞれ1キルずつでも勝ち取れれば、それだけで20万ラムだ。それだけあれば、もう二度と、あんな痛い思いをしてサバイバルに出る必要もなくなるんだぞ」
父親の言葉は、必死だった。それは母親を説得するためでもあり、自分自身の恐怖を打ち消すためのものでもあった。母親は、しばらく沈黙した。アパートの薄暗い天井を見上げ、それから、リビングの奥で静かに寝息を立てている幼い双子の部屋の扉を見つめる。
「……本当に、安全にキルを奪って、みんなで生きて帰れるのね?」
母親の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。それは諦めではなく、大切な家族の未来を勝ち取るための、悲痛な覚悟だった。
「ああ。約束する。必ず四人で、あの綺麗で広い上層区の家へ引っ越そう」
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出発の朝、母親は双子を強く抱きしめた。
「おばあちゃんの言うことをよく聞いて、良い子にしているのよ。戻ってきたら、最高に美味しいお肉を、お腹いっぱい食べさせてあげるからね」
「うん……いってらっしゃい」
アゲハはどこか胸騒ぎを覚えながらも、母の温かい背中を見送った。
モミジは笑顔で手を振っていた。
「お土産、楽しみにしてるね!」
それが、両親との最後の会話になるとも知らずに。
本日2話目となっております。




