第二章 氷室叡――中東方面派遣隊司令 その三
十
「それでは、弁護人。反対尋問を」
法廷に、女性裁判長の声が凛――と、鳴った。
それまで椅子に深く腰掛け、書類にペンを走らせていた滝村弁護士が、眼鏡の奥から氷室をじっと見詰め――おもむろに立ち上がった。
「では証人、今度は、弁護士の滝村が質問させていただきます。これまでと同じく、正面を向いてお答えください」
氷室は、身体を一瞬、ぶるっ……と震わせてから、
「はい」
小さく返事を押し出した。
「まず最初に確認ですが、証人は事案当時、ソマリア海やオマーン湾での海賊対策・情報収集を任務とする艦隊の司令であった、という事で間違いありませんね?」
「はい、間違いありません」
「そして、指揮下に護衛艦『ぎんが』を置き、同艦の艦長である被告人の上司であった――そうですね」
「はい」
「では当時、『ぎんが』艦長である被告人が指揮し、発生した結果に対する責任は、司令であるあなたにとっては、どうだったのですか?」
淡々とした滝村の質問に、氷室は沈黙した。
冷えた静寂が、法廷を包む。
滝村はただ、静かに証人を見据え――
「質問を変えます。自衛隊内においては、司令と、その部下の行為に対する責任関係は、一般的にどうなっていると、証人は認識していますか?」
氷室はまたも、長く沈黙してから、
「部下の失敗は、司令の責任でもあります」
ぼそぼそと早口で答えた。
「そうですね。通常、自衛隊では、部下の責任は上官の責任でもある――」
語勢を強めた滝村の言葉に、傍聴席の空気がわずかに揺れた。
「では、今回の件も、総合的に見て、被告人のこの結果について――証人が仰った、戦後日本の最大の混乱、『三日間戦争』という結果についても――
司令であった証人にも、責任があると認識している――
そういう事でよろしいですか?」
氷室は身じろぎひとつせず、目の前のマイクを、すがめた目でじっ……と見詰めた。
――が、やがて、静かに、
「そうです。私の不徳の致すところです」
滝村は、僅かに口角を動かし、
「不徳――ですか」
一瞬、言葉を切り――
「ま、いいでしょう。あの時の日本の、前代未聞の混乱も、証人に相応の責任がある。それはお認めになると、そういうことですね」
氷室は眉の間にしわを寄せ、唇をぎゅっと引き結んだ。
氷室の沈黙を見届けてから、滝村はゆっくりと口を開く――
「ではお伺いします。ではなぜ、被告人は起訴され、証人は起訴されていないのでしょうか?」
氷室の喉仏が、わずかに上下する――
「異議あり!」
すかさず、主任検事が声を上げ、立ち上がった。
「起訴する、しないは検察官の領分です。証人に自分がなぜ起訴されなかったかなどという理由は判り様もありません。質問は失当です」
滝村は、ちらりと立ち上がった検事に視線を送った後、すぐに、
「質問を撤回します」
あっさりと取り下げた。
「では別の質問をします」
証言台で、氷室は、ふーっ……と大きく息を吐いた。
神経質な指先で首元のネクタイを緩める――
十一
「もう一度、貴方が事案の概要をどのように知っていったかを教えてください。まず、第一報は?」
「救難信号を受け、風間二佐が独断で信号発信地点に向かった時です」
「誰からその報告を受けました?」
「村澤君です」
「では次の報告は?」
「国籍不明の艦船と交戦し、これを撃沈したと報告を受けました」
「なるほど。それだけでしたか?」
「撃沈した艦船の乗組員救助を、風間二佐が放棄したと」
「以上ですか?」
「そして、我が国のタンカーの乗組員の救助に向かったと」
滝村弁護士は、持っていた書類に落としていた目をちらりと上げて氷室を見詰め、
「それらの報告は誰から受けましたか?」
「村澤君です」
「すべて――村澤三佐から報告を受けたのですね」
「そうです」
滝村の右の眉が、ピクリと上がる。
「この時、証人は――村澤三佐から報告を受けただけ、だったのですか?」
ゆっくりと、念を押すように訊いた。
氷室は、少し眉間にしわを作り、じっとマイクを凝視した。
「そうです」
滝村は、さっ――と裁判官を見上げ、告げた。
「記憶喚起のため、検察官証拠甲第〇〇号証、『護衛艦『てんま』と『ぎんが』間で交わされた衛星通話記録のテキスト化』〇〇ページを証人に提示してよろしいですか?」
裁判官が検事に確認し、この滝村の要請は認められた。
弁護人席に座った女性弁護士が、大きなドッジファイルから一部書証を外した。
これを受け取った滝村が、証言台に進む。
そして、証言台横に設置された投射機に同書類を置いた。
書記官が、投射機を操作する。
検事側、弁護側のそれぞれの背後の壁の巨大液晶スクリーンが点灯した。
そこへ、書類の映像が大きく映し出され――
『……か、艦長に撃沈した敵艦の乗組員の救助を優先するよう指揮してくださいますか?』
村澤の言葉が大きく表示される。
傍聴席の微かなざわめきが、氷室の背中に冷たい影を落とした。
「証人、ここで貴方は、村澤三佐から、撃沈した乗員救助の指揮を、被告人に指示してもらいたい旨の意見具申を受けたのではありませんでしたか?」
眼鏡の奥の鋭い眼光が、至近距離から氷室を刺す。
氷室はぎゅっ――と唇を噛みしめ、スクリーンを睨みつけていたが――
「はい……そう……そうです。思い出しました」
二度、三度、細かく頷きながら答えていた。
十二
「証拠の提示を終わります」
スクリーンが暗転した。
てきぱきと滝村が書証をまとめ、自席に戻りつつ、
「これを受け、証人は被告人に要救助者の救助を命じましたか?」
法廷が沈黙し、視線が証言台の男に注がれた――風間を除いて。
猫背になった司令のスーツから、
「いえ……命じませんでした」
ぼそりと、静かな告白が漏れた。
滝村が追撃する。
「なぜ、命じなかったのですか?」
「邦人の救出を優先すべき、と思ったからです」
「ではあなたは、国際法違反に当たる敵乗員の放置という、被告人の指揮をお認めになったと――そういうことですね?」
氷室の眼鏡の中の眼が、ぎょろっ――と滝村を睨んだ。
「いや――認めてなど、いない」
「おや、そうでしょうか?」
滝村の口角がわずかに上がった。
「証人は、村澤三佐から被告人の敵兵の見捨ての報告を受け、さらに村澤三佐から、被告人に敵兵救助を指揮してくださいと意見具申されたにもかかわらず、これを無視し、被告人の邦人救助優先を肯定しました。間違いなく、司令である証人も、敵艦船の乗員を見捨てるよう指揮したと、そういうことではないですか?」
「私は、そんな指揮など執ってはいない!」
氷室の声がやや大きくなった。
滝村は、しばしそんな氷室を凝視し――
「――ま、いいでしょう。では、証人は、その後、邦人の救出を命じたと、そういうことですね?」
目を閉じ、大きく息を吐いた氷室が、
「そうです」
ぽろりと答えを証言台に落とした。
「誰に命じたのですか?」
すかさず、しかし淡々と――滝村が訊いた。
氷室の喉が、ゴクリ――と鳴った。
「……被告人に、命じました」
答えた氷室の声は、囁くようだった。
「間違いありませんか?」
滝村の念押しに、氷室は、一瞬、返答に詰まり――
「間違いありません」
氷室の声は、なお小さい――
滝村が裁判官を仰ぎ見る。
「裁判長、証人の記憶喚起のため、先ほどの――」
「あ、思い出しました!」
打って変わった大きな声で、氷室が滝村の言葉を遮った。
「そうでした、私は村澤君に、邦人の救出を優先するよう命じました」
心なしか上ずっている氷室の声――
滝村の、眼鏡の奥の眼差しは冷ややかだ。
「思い出していただけて幸いでした。そうですね、証人は、村澤三佐に、邦人救出を指揮した――そして、その後、貴方は何を村澤三佐に言いましたか?」
氷室は、細い指でさっと眼鏡の位置を直し、鋭く滝村を睨んだ。
「邦人救出優先――それだけですよ! 私が村澤君に指示したのは」
滝村は、おどけたように肩をすくめ、
「そうでしたか? 証人は、さらに村澤三佐に、言葉をかけているようですが」
氷室の右ひざがイライラと上下する――
「思い出していただけないので誘導しますね。証人は村澤三佐に、後は君に任せると――」
「異議あり! 誘導尋問です!」
弾かれるように検事が立ち上がった。
「弁護人は、質問を変えてください」
女裁判長が、静かに告げた。
滝村は、座っている女性弁護士と視線を交わし、
「では、再び、証人の記憶喚起のため、先ほどの――」
「君に任せる、と言いました!」
氷室の大きな声が法廷に響き渡った。
その言葉の余韻が法廷に吸い込まれて行く――
氷室は、証言席で胸を張り、鋭い目をぐっと天井に向けている。
氷室の舌が、一瞬、口から這い出て唇をべろり――と舐めた。
そんな氷室を、これまで終始被告人席で顔を伏せていた風間が、薄灰色の瞳で、じっ……と見上げていた。
十三
「そうですね。証人は、確かに村澤三佐に――
『君に任せる』
と、そう、仰いましたね」
淡々と響く滝村の声は、氷室と対照的だった。
「これは、村澤三佐が指揮を執るようにという意味ですか、それとも、現場にいる被告人にすべて任せる、という意味ですか?」
「この質問に、何か意味があるんですか?」
氷室が滝村を睨みつけた。滝村の口元が、わずかに歪んだ。
「申し訳ないですが、質問しているのは私の方です。質問に答えてください。あなたは、誰に、自分の指揮を委任したのですか?」
氷室の瞳が怒りに燃えたぎった。
「答えるまでもない! 現場の指揮官は風間だ! 風間に任せたんだ! 当たり前だろう!」
「ですが、貴方が指示したのは、村澤三佐ですよね?」
滝村の言葉には感情の起伏がまったくない。
「同じことです! 現場の指揮官は、風間だった! その副長として風間を支えていた村澤君に私がした指示は、すなわち風間に指示したことと同義だ!」
滝村は、手に持った書類に視線を落とし、
「そうですか、同じことですか――解りました」
静かに告げた。
「では、この段階で、司令は、これまでの被告人の指揮――」
ここでいったん言葉を切った滝村は、声高く朗々と書類を読み上げた。
「戦後日本の最大の混乱である『三日間戦争』を引き起こした被告人の指揮を追認し、
さらに以後の指揮をこの被告人にすべて委ねた――
と、そういうことでよろしいですね?」
「追認? ばかな!」
氷室の声が跳ね上がった。
「私はこいつの、イランとの戦端を開きかねなかったあの危険な指揮を、
追認など微塵もしていない!」
白い光の中に佇立する滝村に向かって喰いつかんばかりの勢いで氷室が叫ぶ。
「救難信号発信源への急行、敵艦撃沈、敵船乗員の救助放棄、
これらはすべて私は事後報告で知ったんだ!
私にはどうすることもできなかった!
しかも、追認など、もってのほかだ!
これらの罪でこいつは今、裁かれているんだ! 違うか!」
氷室が右手の指先で激しく風間を指さしながら喚いた。
そんな氷室を、滝村は、首を傾げ、眼鏡の中の目を細めて見詰めた。
そして――静かに言った。
「ほう、証人は、ここまで何も指揮していなかったにもかかわらず、
被告人の指揮をここに至って追認もしなかったと、そういうことですか?
そして以後の指揮を、現場の被告人に丸投げしたと、いうことですか?
それでよろしい……」
「丸投げじゃない!」
氷室の吠え声が法廷に轟いた。
「村澤君に任せたんだ!
彼なら適宜適切な指揮を取れる!
彼ならきちっと法に基づいた指揮ができる!
風間とは違う!」
そんな氷室を、滝村は、眼鏡の奥の眼をすがめて見詰めつつ、質した。
「あなたは先ほど、被告人に指揮を任せたと仰いましたが」
「うるさい! 風間に任せつつ、村澤君に法に基づいた適切な補佐を頼むと、そういう意味を込めた言葉だ!」
顔を真っ赤に染めて畳みかける氷室――
憐れむような視線で見降ろしながら、しばし、滝村は黙った。
そして――言った。
「証人は――司令は、この事案で、『ぎんが』艦長である被告人と、直接話をしたり、指示を与えたりしましたか?」
氷室は証言台に置いた左の握りこぶしを、ゆっくりと下げ、再び正面を向いた。
「いえ……してません」
氷室の声は、法廷の白い空気に消え入るようだった。
「それはなぜですか?」
氷室の顔が朱に染まり、唇が震えた。
「それは……それまで風間が、何度も……私の指示を無視する男だったからだ!」
吐き捨てた。
「だから、私は村澤君に絶大な信頼を置いていた! 村澤君は、本当に苦しい状況で最大の判断、行動をしてくれたと思う! 今回の事件で一番問題なのは……」
氷室は充血した目で、ギラっ――と被告人席の風間を睨み据えた。
そんな氷室の視線を、風間の薄灰色の瞳が静かに受け止める――
「ここにいる風間が、すべて独断専行で突っ走った結果だ! それは明らかだ!」
細い人差し指を風間に突き刺すように向けて、氷室が怒号した。
滝村は黙ってその様子を眺め、
「もう一度聞きます。今回の被告人の事件について、司令である証人に責任はないと、そう仰りたいのですか?」
滝村の言葉が終わらないうちに、氷室は、風間から視線を引っぺがし、
「停職十二か月!」
滝村を睨みつけ、叫んだ。
「停職十二か月だ! 私も責任を取ったんだ! 停職十二か月だ! 判るか? 私もきちんと罰を受けている! 私にも責任はある! そんなことは十分判っているんだ!」
氷室の怒声が、唾液と共に法廷にまき散らされた。
一瞬、傍聴人たちが互いに囁き合い、法廷をざわめかせた。
その余韻をしばし噛みしめた後、氷室から視線を外した滝村が、おもむろに――
「以上で、弁護人の質問を終わります」
宣言し、静かに席に着いた。
反対側の検察官席では、主任検事がきつく目を閉じ、若い検事は、五指を組んだ手の上に顔を載せてじっと氷室を見詰め、そして、その隣の初老の検事は、眼鏡の奥の瞳で滝村を射抜いていて――
「では、検察官、最終尋問は?」
女性裁判長の静かな問いかけに、主任検事は目を開いて立ち上がり、一言、
「ありません」
告げていた――
第二章 資料
自衛隊法抜粋
(上官の命令に服従する義務)
第五十七条 隊員は、その職務の遂行に当つては、上官の職務上の命令に忠実に従わなければならない。
第六章 自衛隊の行動
(防衛出動)
第七十六条 内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。この場合においては、武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成十五年法律第七十九号)第九条の定めるところにより、国会の承認を得なければならない。
一 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態
二 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態
(武器の保有)
第八十七条 自衛隊は、その任務の遂行に必要な武器を保有することができる。
(防衛出動時の武力行使)
第八十八条 第七十六条第一項の規定により出動を命ぜられた自衛隊は、わが国を防衛するため、必要な武力を行使することができる。
2 前項の武力行使に際しては、国際の法規及び慣例によるべき場合にあってはこれを遵守し、かつ、事態に応じ合理的に必要と判断される限度をこえてはならないものとする。




