第一章 白き法廷と白き制服
一
公訴事実――
被告人、風間ジェミニは、令和八年〇月〇日〇時〇分(現地時間)、北緯〇度〇分、東経〇度〇分のホルムズ海峡周辺海域において、護衛艦『ぎんが』艦長として指揮を執った際、以下の行為に及んだものである。
第一
被告人は、正体不明の武装舟艇に対し、自衛隊法に基づく警告手順等を逸脱し、主砲による射撃を命令。これを撃沈せしめた。これは『殺人罪』及び『公務員職権濫用罪』に該当する。
第二
被告人は、撃沈により海上に投げ出された敵艦乗組員約十名が救助を求めていることを認識しながら、これを放置、現場を離脱し、結果、同人らを死亡させた。これは殺意なき不作為による『殺人罪』、あるいは『保護責任者遺棄致死罪』に該当する。
罪名及び罰条
第一 殺人 刑法第百九十九条、公務員職権乱用罪 同法第百九十三条
第二 殺人 刑法第百九十九条、保護責任者遺棄致死罪 同法第二百十九条
静かな法廷に、検事の淡々とした声が響く――
関東地方裁判所第104号法廷――同裁判所の中でも極めて大きな部類に属する法廷。
人で埋まった傍聴人席、その数列には『報道』の腕章を巻いた人々。傍聴席の後ろには、独特の警備服を着た裁判所職員数名が立つ。
検察側の席には三人の検察官、うち一人が立ち上がって起訴状朗読。
反対側には、敏腕弁護士、滝村が主任弁護人として座り、他二人の弁護士が隣に控える。
証言台に立つ、体格豊かな風間ジェミニの、白い海上自衛官の制服姿が、異様に際立って見える。四角くきれいに整った顔立ちと、日焼けした茶色い肌の中の薄灰色の瞳が、彼の出自が混血であることを示している。
これら法廷を、一段高いところから、三人の裁判官が静かに見下ろしていた。
中央の、初老の女裁判長が、静かに口を開く。
「ここで被告人に伝えておくことがあります。被告人には、黙秘権があります。答えたくない質問には答えなくてもよい、という権利です。被告人は、この裁判の間中、ずっと黙っていることもできます。黙秘したからと言って、そのこと自体が被告人に不利になる、ということはありません。もちろん、発言したいときには発言することもできますが、あなたが発言した場合には、その発言があなたにとって有利であれ不利であれ、証拠として用いられる場合があります。このことについて、理解しましたか?」
「はい」
静かに、風間は答えた。
「では、このことを前提として、被告人に質問をします。今、検察官が読み上げた事実について、どこか間違っているところはありますか?」
法廷内を、緊張感を伴う静けさが支配した。固唾をのんで、風間の言葉を待つ。風間の目の前に座った廷吏の眼鏡がきらりと光った。
「いえ、読み上げられた事実に、間違いはありません」
静かな法廷に、はっきりとした風間の答えが響いた。
報道関係者のペンを走らせる音が法廷に響く中、裁判長が、
「では弁護人のお考えは」
訊いた。
中肉中背の滝村弁護士がおもむろに立ち上がった。滝村は、ゆっくり証言台の方に歩み寄ると、
「そうですね。事実については、争いません。争う余地もありません」
眼鏡の奥から風間を見つめながら、そう告げた。
「しかしながら、弁護人は、今回の裁判は茶番だと断定します。開廷する必要すらない」
言い切った。傍聴席がざわめいた。
二
「何言ってんだ滝村は」
「おいおい、芝居がかり過ぎなんだよ!」
「静かに!」
女裁判長の叱咤が飛ぶ。
滝村は、傍聴席に身体を向け、ざわめきが収まるのを待ち――続けた。
「軍事法廷――本来は、こうした案件は、軍事法廷で裁かれるべきです。それが国際常識というものです。しかし、残念ながら、我が国には軍事法廷が存在しない。こうして公開の一般刑事事件として扱うほかない。ですが……皆さん、どう思われますか? 国のために、国民のために、命を賭して尽くす自衛官を、こんな場所に引きずり出し、弾劾する――こんなことが本来、あっていいのでしょうか!」
滝村は傍聴席に向かって大きく声を上げた。
再びざわめく傍聴席。
「しかしながら――」
裁判官の方を振り返り、滝村は言った。
「これが現在の日本の立ち位置です。ここのところを、まず、皆さんには共有していただきたい。ただし、私も弁護士である以上、日本の法体系と制度の中で、被告人の弁護に全力で当たらせていただく……そして、私の結論は、被告人は――」
ここで滝村は言葉を切った。
法廷は、しばしの静謐に満たされる――そして……
「無罪です!」
滝村の断定が、法廷にこだました。瞬間――
「そうだ、無罪だ!」
傍聴席の誰かが声を上げた。
「おい、被告人は戦争を起こしかけたんだぞ!」
「何が無罪だ! 法治国家だぞ日本は!」
立ち上がり怒鳴り返す若者。
「傍聴人は黙りなさい! これ以上騒ぐ場合は、退廷していただきます!」
女裁判長の毅然とした声が飛ぶ。
若者はしぶしぶ席に就いた。
法廷内が再び落ち着くのを待ち、滝村は、
「以上です。弁護人の意見を終わります」
と締め、自席に戻った。
風間はただ、薄灰色の瞳で静かに前を見詰めていただけだった。
三
その後、検察官による冒頭陳述が行われた。
冷たく白い光が降り注ぐ中、検察官は、以下の点について語った。
事件当時、被告人・風間ジェミニ二等海佐が艦長として指揮する『ぎんが』は、オマーン湾の情報収集任務に就いており、ソマリア沖で海賊対処行動に従事する『てんま』座乗の司令、氷室一等海佐の麾下にあった。
事件当夜、商船越後屋のタンカー『五輪丸』からの救難信号を受信した『ぎんが』は、風間の指揮で信号発信地点に急行、炎上する『五輪丸』を発見――直後、国籍不明の舟艇が『ぎんが』に急速接近するのを認めた風間は、主砲発射を指揮して同舟艇を撃沈し、公訴事実第一の犯行に及んだ。
その後、『ぎんが』は『五輪丸』の乗員救助に向かい、この途中で撃沈した舟艇の乗員が海に投げ出されたのを確認したが、風間はこの乗員の救助を行わずに『五輪丸』乗員救助を優先し、公訴事実第二の犯行に及んだ。
なお、この乗員救助作戦で、立入検査隊が『五輪丸』に乗り込んでいた武装兵と交戦して排除した後、十一名の邦人を救助することに成功したが、『ぎんが』立入検査隊隊長館野一尉が犠牲となってしまった――
この後、『ぎんが』は爆発炎上する『五輪丸』から離脱。
さらに、本件の後、イラン政府が同舟艇と武装兵を「テロリスト」と断じるまでの三日間、『ぎんが』はオマーン湾内で臨戦態勢での航行を余儀なくされ、さらには日本がイランとの開戦に至る可能性すらあるという国家規模の危機を現出してしまった――
以上の事件の概要説明後、主任検察官は、被告人風間ジェミニが、沖縄で米国人の父と日本人の母から生まれたハーフであり、防衛大学校卒業後、海上自衛隊幹部としてキャリアを積んだ人物であること、未婚であること等を紹介した。
そして、被告人や参考人の供述調書、航海日誌の謄本、気象データ、無線記録、護衛艦『ぎんが』の事件記録映像のDVD等が書証として請求され、弁護人側は主に供述調書関係を不同意とし、航海日誌の謄本、映像記録等、客観的に争いのない証拠については同意し、証拠として採用された。
休廷を挟み、検察官側の採用されたDVD映像が上映される。法廷内の、検察官側と弁護人側のそれぞれの後ろの壁に設置された巨大スクリーンに、当時の緊迫した護衛艦『ぎんが』艦内の状況が映し出される……
四
静かな夜の艦橋内――
照明が落とされた室内に、レーダーディスプレイや計器の明かりが仄かに光を放っている。
窓外には満天の星が冷たくきらめき、凪いだ海は黒い墨汁のようだ。
画面の右奥に、背中を向けて座る自衛官が一人、その傍らに寄り添うように立つ自衛官がもう一人――
「こちら護衛艦『ぎんが』、『五輪丸』、応答せよ……」
「応答は……ないか」
二人のやり取りが、かすかに聴こえてくる……
何かが開いた時の、重い金属音が響き、
「副長、状況は」
艦橋の扉を開け入室してきたのであろう背の高い人物が画面の左端から現れ――風間艦長だと思われる――右奥に立っていた人物――副長であろう――に問うた。
「日本国籍のタンカーですね。商船越後屋の」
「我が国のタンカー……」
「はい、近海を航行していることは把握していたのですが、突然救難信号を受信しまして――」
副長がいったん言葉を切り、しばらくしてから続けた。
「ですが、その後の詳報が届かず、こちらからの呼びかけにも応答がありません」
「何?」
風間が沈黙する。そんな風間をじっと見詰めてから、副長が、
「艦長、まずは司令にお伺いを立てましょう」
「いや」
風間が首を横に振った。
「それでは時を逃すことになりかねない。直ちに救難信号の発信地点に向かう」
「いや、艦長! それは独断に過ぎます!」
副長が強い言葉で制止する。
「イラン戦争が収束に向かっているとはいえ、まだ予断は許されない状況です! ここはまず、ソマリア沖の司令に」
「司令にはこれより我が艦は救難信号の発進地点に向かう旨を報告しておけ」
「……承知しました」
不満そうに副長が承諾した後、風間艦長は艦内告知用のマイクを握り、
「総員、配置に就け、総員配置に就け……本艦は、我が国の商船からと思われる救難信号を受信した。本艦はこれより、信号の発信源に向け急行する」
と、艦内に通告する。その向こうで、副長が、司令に報告しようとしている……
五
しばらくは、暗闇を疾駆する『ぎんが』艦橋の様子――
スピーカーからの快調な機関の唸りが、白い法廷に響いている。
映像内では、風間、副長、その他艦橋要員が、双眼鏡で四方の海を観察している。
やがて、艦橋の中央の窓の遠方水平線上に、赤い点が見え始めた。
「艦長! あれは……」
副長が艦長に告げ、二人は同じ窓から双眼鏡を眺める。
「……副長。タンカーが燃えているな」
「そうですね……でも、まさか……攻撃?」
「もう少し近づいてみる必要があるな」
二人が会話している間にも、赤い点は大きくなっていき、徐々にタンカーがその姿をあらわにしていく……と、
『右、二時の方向! 船です! 高速で我が艦に向け接近中!』
CICからと思しき女性の声――レーダーの管制員か?――が、艦橋に響き渡る。
同時に、風間と副長が右斜め前に視線を移す。
「艦長! 確かに……あれは……」
風間は双眼鏡を下ろすと、マイクを手に取り、
「主砲、打ち方用意! 目標、接近する敵艦船!」
決然と指示を出した。
びくっと身体を震わせた副長が、双眼鏡を下ろし、風間に、
「艦長! それは自衛権の逸脱ですよ!」
と、詰め寄る――しかし、風間は再び双眼鏡を構え、微動だにしない。
ウイイイイイイン……
艦橋の正面に位置する単装砲が、二時の方向に砲口を向けるのが艦橋の窓の外に見える。ややあって――
「主砲、てーっ!」
風間の叫びが法廷に響いた。
一呼吸置いた後、主砲が咆哮――
もの凄い速さで弾丸が何発も暗い海に向かって吐き出され……
と、別の砲声のような音が聞こえたかと思うと、
ガンガンガンガン!
金属をぶっ叩いたような音が、法廷内に轟いた。
「う、撃たれた?」
うろたえたような声は副長だろうか?
「状況確認!」
風間の指示に、副長が双眼鏡を構えなおし、
「て、敵性艦に着弾した模様! 目標は、火を噴いています!」
続いてCICからの声。
『も、目標沈黙! キル、確認!』
『右舷前部に被弾あり! 応急班、確認急げ!』
「よし。本艦はこのまま、タンカーに向かう」
風間の静かな声が、静寂の戻った艦橋に落ちた。
船首から火を噴くタンカーが、左前方の窓外にじわりと大きさを増していく――
突然、
「艦長! 敵船の周囲を見てください! 人です!」
右後方に双眼鏡を向けていた副長の、緊迫した声が跳ねた。
風間の背中が、前方から右舷側に反転する。副長に歩み寄り、同じ方向に双眼鏡を向けた。ややあって――艦長は、再びマイクを口元に当てた。
「総員へ。艦長。敵性艦船は排除した……これより本艦は、同胞のタンカーの乗組員救助に向かう」
「艦長! 正気か? あの人たちを見捨てるのですか!」
弾けるように双眼鏡を外した副長が、風間に向かって吠えた。
だが、風間は、双眼鏡を下ろしてじっと副長を見据えると、マイクを口に当てたまま、静かに言った。
「敵性艦船の乗組員を救助している暇はない。全責任は私が取る。タンカーに向けこのまま前進し、救助活動を開始する」
「艦長! 待て! そんなことは司令が許さないですよ! いや、国際法にも抵触する! まずは要救助者の救助を優先して――」
「いや副長、燃えているタンカーは、いつさらに二次、三次の誘爆が起こるかわからない状況だ。事態は一刻を争う。最大戦速! 取舵!」
「しかし、艦長!」
なおも食い下がる副長に、艦長が、
「副長……ヘリに発艦準備を、タチケンにもタンカー乗船の準備を指示」
「……承知しました……ヘリに発艦準備を、立入検査隊に、タンカー乗船準備を指示します……」
言葉を飲み込み、副長は命令を復唱した。
その後、副長は艦長に背を向けると、足早に画面の外へと消えた――




