テニス部、本入部、熱血コーチ気合入る②
「よし――まずは走るぞ。校舎外周、三周だ」
篠原の声が響いた瞬間、ざわつきが広がった。
「え、三周?」「外周って一周一・五キロだろ?」「マジで?」
普段は一周で済ませていたランニング。しかも軽くジョグするだけのアップだったはずが、その三倍。部員たちの顔色が一気に曇る。
「おいおい……俺ら陸上部じゃねぇぞ」
「三周もしたらバテてテニスできねぇだろ」
先輩たちの不満が口々に漏れる。特に三年生たちは、ため息を隠そうともしなかった。
「文句言うな。全国を目指すなら走れ!」
篠原が一喝する。
仕方なく列が作られ、校舎脇のアスファルトにスニーカーの音が響き始めた。
最初こそ談笑しながら走る者もいたが、二百メートルも進まぬうちに息が荒くなる。
伊吹もその列の中にいた。
(……これ、三周? 四・五キロってことか)
体はまだ動く。だが心の奥に、重苦しい塊が引っかかっていた。
(俺は……こんなのを求めてたんじゃない)
息を切らしながら隣を走る大谷が、やけに元気な声を上げる。
「よっしゃー! 燃えてきた! ラストまで全力でいくぞ!」
小柄な体で大股に走り、汗を光らせる。
後ろから石田の大きな足音が響く。
「野球部の冬練に比べりゃ楽だな!」
笑いながら余裕そうに駆けていく。
一方で三年生は露骨にペースを落とし始めていた。
「はぁ……なんで今さら……」「俺たち、もう最後の大会出られりゃいいだろ」
その言葉が伊吹の耳にも届く。
(……そうだよな。普通はそう思う)
ラディアンス時代、練習の締めは十キロ走だった。逃げ場のない冬の寒風の中、ただ黙々と走らされる。自分はそこで何度も「どうしてここまで」と思った。
――そして結局、全国に出ることもなく終わった。
(なのに、また……俺はここでも同じ道を走らされてるのか?)
胸が焼けるように熱くなる。足は自然に前に出るのに、心は置き去りにされたままだった。
「おい伊吹、速ぇな!」
誰かが声をかける。気づけば列の先頭近くを走っていた。無意識に体がペースを上げていたのだ。
(……しまった)
慌てて速度を落とす。だが周囲の視線はもう彼を捉えていた。
「さすがラディアンス」「やっぱ持久力もあるのか」――そんな囁きが背中に突き刺さる。
(俺は……期待されたいわけじゃないのに)
二周目に入るころ、三年生の一人が足を止めた。
「もう無理。やってらんねぇ」
その場にしゃがみ込み、額の汗を拭う。仲間の三年が「おい、休むなよ」と声をかけるが、本人は首を振るだけ。
篠原の声が飛ぶ。
「立て! ここで逃げるようじゃ全国なんて夢のまた夢だ!」
だが三年は顔をしかめ、視線を逸らす。
その光景を見て、伊吹の胸にざらついた感情が広がった。
(やっぱり無理だろ、全国なんて。俺だって……)
三周目。脚は重くなり、肺が焼けるように痛む。
それでも伊吹の足は止まらなかった。
(やめたい。けど、やめられない)
自分でも理由が分からない。ただ体が、走ることをやめてくれなかった。
ゴール地点に戻ると、篠原が腕を組んで待っていた。
「よし――ここからが本当の練習だ」
部員たちの肩が一斉に落ちた。
伊吹も深い息を吐きながら、胸の奥に冷たい声を響かせた。




