テニス部、本入部、熱血コーチ気合入る
生徒会執行部に入ることを決意し、しばらく月日が経ち、伊吹はテニス部への入部届を出し、部活に参加していた。いや厳密に言えば、入部届は出さずにはいられなかった。仮入部の体験入部期間、毎日篠原コーチに、今日は練習に来るかと声を掛けられ続け、入部届を出したかも毎日聞かれ、ついに入部届を出した。
放課後のテニスコートには、西日が差し込み、赤みを帯びた光がフェンス越しに斜めに伸びていた。
緩やかな風が吹き抜け、ボールが転がる乾いた音が響く。
双峰高校のテニス部は、これまで「勝敗に縛られすぎない、楽しくやれる部活」として知られていた。
アップといっても、外周を軽く一周走って、ストレッチを少し。その後は球出しを受けて汗を流し、最後はゲーム形式でわいわい打ち合う――そんな流れが日常だった。
「今日もシングルス回すか」
「ダブルスで遊ぶ?」
「じゃあ俺は審判」
そんな軽いノリが、当たり前の空気として広がっている。
伊吹陽太はラケットバッグを肩にかけ、コートに足を踏み入れた。
(……やっぱり、この雰囲気だよな)
心の中で、ほっと息をつく。
勝ちに飢えた名門スクールの緊張感とは正反対。
体験入部ではどうなるかと思ったが、この楽しさの中に雰囲気なら、自分の居場所を見つけられる――伊吹はそう思っていた。
「おーい、今日は軽くやろうぜ!」
先輩の一人が笑顔で声を上げる。
それを聞いて、伊吹は(やっぱりそうか)と安堵し、ラケットケースのチャックを開けようとした。
――その瞬間。
「集合!」
鋭い声が、コート全体に響き渡った。
篠原コーチだった。かつて双峰を県大会ベスト16に導いた“英雄”と呼ばれるOBであり、3年前から正式にコーチとして部に戻ってきている。
ホイッスルの短い音が、夕暮れのコートに突き刺さる。
部員たちは「え?」と顔を見合わせながらも、慌ててラケットを置き、コーチの前に並んだ。
「今日から練習メニューを変える」
篠原は腕を組み、ゆっくりと部員たちを見渡した。
眼差しにはいつになく強い光が宿っている。
「お前らのテニスは、確かに楽しそうだ。けどな――勝つためには、それじゃ足りねぇ」
ざわつく部員たち。
「え、どういうことですか?」と誰かが小声でつぶやいた。
篠原は続ける。
「俺は、忘れないんだ、伊吹のサーブとフォアをな」
その名が出た瞬間、周囲の視線が一斉に伊吹へと集まった。
伊吹は一瞬、息を呑む。
「……」
黙って俯いたままの伊吹をよそに、篠原は言葉を重ねた。
「あれだけのボールを打てる奴がいる。なら、このチームは全国を目指せる。――そう確信した」
どよめきが広がった。
「全国?」「マジかよ……」と半信半疑の声。
これまでそんな目標を口にしたことはなかった双峰にとって、それはあまりにも現実離れした宣言だった。
伊吹は胸の奥が冷たくなるのを感じた。
(……やめろよ。俺は、そんなつもりでここに来たんじゃない)
しかし、篠原の視線は一切揺るがなかった。
「今日からは本気でやる。アップも基礎も、徹底的にやり直す。楽しくやるのは悪くねぇが――その先に勝利を見据えろ」
部員たちの間に、緊張が走った。
伊吹の胸にも、重苦しい予感がのしかかっていった。




