第10話 笑うことの価値
投稿です。
「あと、どれくらい?」
「もうちょっとだ」
「十分間隔で聞いているけど、その返事七回目よ」
照光と白心は高天原の広大な産業廃棄物置き場、通称『文明の墓場』を歩いていた。
ただ広大なだけじゃない。その名の通りここには高天原にとってのゴミが集まる広大な土地で、『外の世界』から見たら充分以上に使えるものばかりが集まる場所だ。倹約家な(というよりそうでなければならない)照光はたまに使えそうなものをタダで拝借するためにここの管理人に頼んで入っていることを思い出す。
ここによく入る理由の一つがそれで、もう一つは変わった景色を持つここでトレーニングしたくなることがあるからだ。
ここのゴミはまるで歴史的な神殿に使われそうな円柱に圧縮されて整列した軍隊の如く等間隔に並べられ、まるでこの夕空を支えているんじゃないかと思えるほどの高さで無数にそびえ立っているのだ。その景観は圧巻の一言に尽きて、ゴミとは思えない清々しいまでの整然さに今まで幾度となく気分転換させてもらったものだ。
この様式も空中鉄道と同じく土地問題を解決する一つの方法らしいのだが、照光としては『こんな芸当もできるよ』と自国の科学技術力を他国にアピールする意味合いが大きいのではないかと思っている。
——暇だ。そうだ、この間にいろいろ話してみよう。
「空井はさあ、どうやったら笑えると思う?」
「『成功者は怖い人が多く,成幸者は笑顔の人が多い』」
「?」
「幸せになれば、笑えると思います。でも、幸せになるには、どうすればいいのか、私には分からないわ」
たしかに、白心は今まで幸せとは縁遠い環境に身を置いていたから、幸せの定義や手に入れ方を忘れたと言っても頷ける話だった。かと言って無運枠の照光に幸せとは何かを問うのは酷な話でもある。
どう答えればいいものかと悩んだが、ここで照光は戦いで見つけた答えをぶつけてみることにした。
「逆に笑えばいいんじゃないか? 笑えば人生楽しくなると俺は思うぞ」
「なるほど。『笑顔の周りに笑顔が集まり、笑顔があれば幸せが訪れる。すべての日々で一番もったいないのは笑わなかった日である』ということね。でも、あなたを見てると、そうも思えないわ」
「なんだよ、俺はいつも偽りの笑顔だから幸せじゃないとでも言いたいのかよ」
振り返ると白心が何かを思い出すように首を傾げていて、しかし目だけは照光のそれを覗き込んでいた。
「そうじゃないの。笑顔は浮かべているという、事実がある限り、それに嘘や偽りなんかは、きっとないわ」
ただ、と少し言いづらそうにしながらも、白心は踏み切るように言った。
「あなたの笑顔は、質や量の割には、幸せが伴っていない、気がしたの」
「…………」
なんでそう思うのだろう、というのが率直な感想だった。
笑顔は笑顔でしかない。強いて言うなら自分の弱さや醜さを隠す簑だ。そんなものに質だの量だの幸せだの求めるだなんて、照光にとってはてんでおかしな話だった。
それに照光の人生は負け犬の人生だ。それ以下であってもそれ以上はない。そんな男が笑顔一つで幸せになれるくらいだったら照光は今頃宇宙一の幸せ者になっているはずだ。
そして、そうなっていないからこそ笑顔で何もかもを隠すのだ。
……まあ、本当はこの間の戦兵衛との戦闘で初めて心から笑って宇宙一の幸せを感じ、コンプレックスを隠そうとする心の翳りはほとんど消えたのだが、極限状況に晒され一種のトランス状態だった照光はそのことに気づいていなかった。仕方ないと言えば仕方ない話である。
——常に無表情なこいつは、何も隠していないってことになるのかな。
う〜ん、と何か考えている様子の白心は相変わらず無表情のままである。
彼女は誰よりも不幸なはずだ。それでも感情を消されたばかりに笑顔で隠すことができず、また隠す必要がないのだ。
だとしたらもしかしてこの無表情は無表情なだけであって、白心にとっては『思案に耽る』表情ということになるのだろうか?
——いや、無表情ってことはつまり隠してるってことだろ。
——でもこいつにはそもそも隠す心がないみたいだし……。
——第一心を見せるために表情を浮かべるモンなんだぞ普通。
——あれ、じゃあ俺の隠すための笑顔は本物ってことか?
——いやいやそれはない。だって幸せなんか一切感じてないからな。
——でもそれだと俺の『笑えば幸せになれる』発言と矛盾するしなあ……。
白心はどう考えているのかと思ってもう一度振り返ると、まだ思考の世界で悶々としていた。
「『幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ』っていう言葉もあるし、『笑う門には福来たる』もある。でも、『笑いは副作用のない鎮静剤』とも言われるから、もしかしたら、この人は……(ブツブツ)」
「……そういえばさ、お前の言葉っていつもたどたどしいけど、一節だけすごく流暢になることがあるな。なんで?」
「ええ。私、『心が震える』、『心が踊る』、『心が痛む』とかの、感覚を覚えればすなわち、心があるということだと、思ったから、そう感じるように施設で、片っ端から書物を、漁ってたの。特に名言や故事には、入念にチェック、してたからはっきり、言えるんでしょうね」
へえ、とつぶやきながら白心が幽閉されていた施設の部屋を思い出す。その中は山のように整然と積まれた本があって、そのほとんどに付箋が貼られていたことからおそらく本当のことだろうと判断する。
「で、結果は?」
「何も感じないという、現実を見せられても、何も感じない、ということだけは、分かったわ」
「……そうか」
気づいたら、機械の拳を握っていた。
たった一人の少女がくだらない実験で蹂躙され、そんな藁に縋るまでに追い詰められる。今までの照光だったらその惨状を見て見ぬフリをしたかもしれない。だが道化師として白心を笑わせると決めた照光は、その所業に対して怒りを覚えずにはいられなかった。
しかし照光の受けた(ムリヤリ、と頭につけるべきか)依頼は『白心を笑わせる』ことであって『高天原に復讐する』ことではない。それに優しい白心なら口が裂けてもそんなことは言わないような気がする。だからこれ以上の怒りは鎮めて、ただ静かに「クソッタレ」とつぶやくだけに留めた。
「……空井はこの世界が嫌いか?」
「いえ。私は、この世界が好きよ」
そう言う白心の口調は相変わらず感情の波がないながらも、誤解している子供を優しく諭すように大人びたもので、同時に取り繕いのない正直なものだと感じた。
「たしかにこの世界は、私を閉じ込める。でもあなたが、私を解放してくれたから、世界がこんなにも、美しいことを知れた」
そう言って白心はクルリと回って、広い夕焼け空の下にいることをその身体で誇示する。その光景には夢の世界にしかなさそうな空想的な美しさがあり、照光は思わず息を呑んだ。
「高所から見下ろす幾何学的な街並み、頬を撫でる風の温かさ、夏の日常を謳歌する人たちの表情、どこまでも広がる雄大な空。この世界は、美しいもので満ち溢れている。そのことをあなたが、教えてくれたおかげで、なんの希望も、見出せなかったこの世界を、好きになることができた」
ズイッ、と覗き込むように白心は照光の顔に自分の顔を近づけ、
「世界の美しさを、教えてくれたあなたに、私は感謝している。だから、絶対に笑ってみせるわ」
力強い瞳で見つめられた照光は話半分で正面に向き直り、赤くなった顔を見せないようにした。ただ、本当に笑えないのだと再確認させられるもとりあえず笑う気はあるのだと知ることができたからか、その顔はどこか嬉しそうだった。
「ねえ、あなたはこの世界を、どう思っているの?」
「ええっと、俺は……あっ! ほら、見えてきたぞ。あそこの家だ」
返答に困った照光は無理やり話題を変えて前を指差す。その先にはこの広大な廃棄場に不似合いな一件の家屋があった。
「あそこは?」
「俺の唯一の友人の家だ。そこで少しの間匿ってもらうつもりだ。あとその、ごめんな。おんぶの一つでもしてやりたかったんだけどここまで歩かせちゃって」
「平気。それに私って、重いでしょうしね」
「へえ、そんなこと気にするって女の子らしいとこあんじゃん」
ム〜ッ、と不機嫌のオーラが背中にチクチクと刺さるが照光は鳴らない口笛を吹いて受け流した。
そして後ろの白心に気づかれないよう憎々しげに自分の手脚を見る。
おんぶはできないのでもしたくないのでもない。してはいけないのだ。
魔龍の腕。天龍の脚。
人ならざる四肢。これのせいで今まで数えきれない弊害を抱えてきたがこれがないと生きていけないという二律背反に照光は常に苦しんできた。何でも屋で力仕事を請け負った時に重宝することもあれば露見の回避に精神をすり減らすこともあるということだ。
今だってそうだ。本当は白心を担いであげて疲れさせないようにしたかったのだが、人外の手脚に気づかれることを恐れてそれもできない。
照光は自分の四肢を……こんな身体にした世界が大っ嫌いだった。
——仕方ない話だけど、空井にはそうだと言えねえな。
詮なきこととして考えるのをやめた照光は間もなく玄関の前に着き、ベルを鳴らした。
「カーイ、俺だー、照光だー」
「声出したら、呼び鈴の意味、ない」
「そういやそうだな。ていうかなんで呼び鈴とかあるんだろうな。普通に声出して呼べばいいのに」
「恥ずかしいからじゃない? みんなあなたみたいに、声を張り上げたくは、ないでしょうから」
「ああ、それもそうだな」
と、取り止めもない話をしていると玄関の方からドタドタと足音が聞こえ、
「「テル兄!」」
二人の男の子が出てきた。
「おお、ヨシとフクか! 元気にしてたか?」
「「テル兄いいいいいいいいいいい!!」」
「ごふぉぼぉ!?」
二人は猫まっしぐらと言わんばかりに照光に向かって突撃し、その腹にプロ野球選手顔負けのヘッドダイビングをかました。
「テル兄が来たよフク! 一ヶ月ぶりだよ!」
「違うよヨシ! 一ヶ月半ぶりだよ! だって三十八日ぶりだもん!」
「違うもん! 三十七日ぶりだもん!」
「三十八!」
「三十七!」
双子らしい男の子たちは照光の腹の上でギャーギャーと口論して、それの対応に困った白心はオロオロするばかりだった。
「こらアンタたち、テル兄さんに迷惑かけちゃダメでしょ」
「いらっしゃいテル。本当に来てくれて嬉しいよ」
すると玄関から今度は中学生ぐらいの利発そうな少女とメガネをかけた理知的な少年が出てきた。
「さあ入って入って。今お茶を淹れてあげるか……ら…………」
ここでようやくメガネの少年が白心の存在に気づき、少女と双子たちも釣られるように白心の方を見た。
「て、テル兄さんが女連れ!? そんな! ウソよ、私は信じないわ!」
少女の方は浮気現場を目撃した妻のような動揺を見せ、
「すごいよテル! 友達を作る段階を飛び越して彼女を作ったのかい!? これはめでたいことだよ!」
メガネの少年は赤飯を炊きかねない喜びを見せ、
「テ〜ル兄がおんなづれ〜おんなづれ〜おんなづれ〜テ〜ル兄がおんなづれ〜お〜ん〜な〜づ〜れ〜」
双子に至っては『メリーさんの羊』のメロディで照光の腹の上で踊り始めた。
「いや、あの」
「いやいや何も言わないでいいんだよ。ほら、大したおもてなしはできないけど君も一緒にどうぞ」
「ダメよカイ兄さん! こんな間女を入れたら私たちとテル兄さんの関係が崩壊するわ!」
「まおんなって何?」
「まおーのおんなじゃないかな?」
「じゃあこの人まおーの奥さん!?」
「もしかしてテル兄の奥さん!?」
「「すっげー!」」
満面の笑みや金切り声、期待の視線など統一性のないものを向けられて白心は終始ドギマギすることしかできなかった。
この時照光が白目を剥いて気絶していることを彼らが知るのは、もうちょっと先の話である。
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