第09話 笑顔の意味
投稿です。
空中鉄道。
高天原の土地面積は北海道を軽く超える程度で世界的に見たらそこそこの広さではある。しかしそれでも広大な実験施設、生態調査用の森林地帯、学生の欲望を満たすための各種アミューズメントの必要性から慢性的な土地問題を抱えており、鉄道の敷設は後回しにされてきた。
今まではバスを中心とした交通機関でなんとかしてきたが所詮はその場しのぎ。もともとが入り組んだ土地構造をしていたから渋滞率も高くバスでは時間がかかり、どうしても手軽で速い鉄道が必要だった。
そこで彼らが求めた場が空であり、生まれたのがこれだ。
空をあみだくじのように巡る線路とその下にぶら下がるモノレールは今では高天原を代表する象徴の一つだ。
そして照光と白心はそれに乗って目的地に向かっている途中だった。
「…………」
「…………」
会話はない。お互いこの空気をどうしようかと悩んで口を真一文字に結び、同極の磁石のように顔を向き合わせなかった。照光は頭突きと『お前は人形』発言と突然現れては見せた粗雑な態度、白心は頭突きと『愚かな人』発言と助けられたという事実にそれぞれ負い目を感じていたのだろう。
電車の中にはまばらにしか乗客がいなくて、電車の風を切る音だけが耳に染み込んでいく。二人は二人がけの席に座っていて、白心は窓際でずっと外の景色を眺め、照光は時たま身体に走る激痛に顔を歪めていた。
チラリと白心の方を見る。服は新しいもの(といっても制服だが)に着替えているから前と背中の傷は隠せていて、向こうもまだ気づいていないようであることが救いだった。
「あの」
急に白心の口が開いて身体が一瞬跳ねそうになる。
「な、なんだ?」
「本当に怪我、治さなくていいの?」
「しつこい。人が嫌いとするものを使ってまで治したくない。気持ちだけは受け取っておくよ」
「……どうして私の、いる場所が分かったの?」
「ええっとな、俺が知ったのはお前が幽閉されているってことだけでさ、だったらネクスト関連の研究所を手当たり次第ブッ潰していけばいいと思って見つけられただけで分かっていたわけじゃないさ」
「なんで私を、助けてくれたの?」
「勘違いすんなよ。お前を助けたのはお前のためじゃないからな」
「私は理由を、聞いているのだけど」
「ッ、揚げ足取るなよ」
「ごめんなさい」
会話が続かなくなり、また気まずい雰囲気に逆戻りする。
照光はチラリと窓に映る白心の顔を見る。その顔にはやはり無感情の仮面をつけられていて真意の欠片すら拾うことができなかった。
——こいつを笑わせるのは難しいだろうな。
照光はこの前の戦闘について思い出す。
結局、最後まで戦兵衛を笑わせることができなかった。まるで常在戦場の権化で笑うのは戦っている時だけのような男だったが、白心を笑わせるよりかは何段もハードルが低い試練だと思っていた。なのに、笑わせられなかった。それどころかおどける自分を見て激昂の様子すら示していたような気がした。
やはり全無能の自分にはユーモアのセンスもないようだと改めて思い知らされ、一筋縄ではいかないだろうと深く深くため息をついた。
「どうした、の?」
その様子に耳聡く反応した白心が顔を覗き込んでじっ、と目を見つめてきた。
まただ。またこれだ。
彼女はいつも吸い込むような瞳を向けてくる。お互いのことを何も知らないというのにだ。
そう————何も知らない。
「……なあ空井」
「はい」
「お前のことを教えてくれ。何もかも、包み隠さず全部だ」
「!」
何も知らない人間を笑わせるなど馬鹿げている。それは試験勉強をせずに試験で高得点を取ろうとするように、都合のいいことばかり夢想することと同じだ。
もう、今の自分はそうではない。
夢に向かって走り出しているのだから。
「頼む」
「……分かりました」
白心は再び窓に身体を向け、一人語りのように話し始めた。
「私は実験体として、あの施設に、いえ、この国に幽閉されていました」
「それは知ってる。それより『聖母の愛』にそれほどの価値があるのかが分からないんだ」
「事象を否定する能力。つまり、あることをなかったことにできて、生命の死でさえ、否定して蘇生させることも、可能なの。逆に、生を否定して、問答無用で命を奪うことも、対象のDNA構造を、否定してまったく違う、能力や生態に、作り変えることも、できるわ。もっと頭を、ひねればもっとすごいことが、できるでしょうね。私の存在はいわば、『自然律の否定』そのもの、なの。私を持てば、世界丸ごとを、相手にできるというのが、この国の見解よ」
「……俺の頭じゃ理解できんが途方もなくすごいことは分かった。他の白金ネクストもそんなにすごいのか?」
「私は『金剛石』の、ネクストなの」
「金剛石? 純度は金属や鉱石で表されるけどそれって宝石じゃん」
「私は『ジュエルーツ』。プラチナがヒエラルキーの頂点だとしたら、ジュエルーツはその上の雲。私の頭にある、『根源の羽根』はどうやら、特別製らしいの。髪が白いのも、それが原因でしょうね」
「…………」
ジュエルーツ。
根源の宝石、と言ったところか。
照光はてっきりこの国にいる十二人の白金の一人なのだと思っていた。だがそれ以上に強力な能力と捉えてカテゴライズされたと考えると、高天原が一人の少女を幽閉するのも逆に納得できた。
同時に、それだけで一人の少女を幽閉して笑顔から遠ざけたという無茶苦茶な事実に歯を噛み砕かんの怒りを覚えた。
「『火のないところに煙は立たぬ』。知らないのも、無理はないわ。この国はジュエルーツの存在を、ひた隠しにしてきたんですから」
「でもどうやって」
「私は四才の時に、ここに送られてから、一回も外に、出されなかった。私を知っているのも、ごく一部の関係者だけ。そして十年以上、施設で実験と投薬の毎日、だった」
「……つらかったろうに」
「毎日が地獄。何ヶ月も水の中に、頭まで入れられることもあれば、投与された百グラムの、青酸カリを完全に消すまでの、時間測定。口、鼻、耳から汗腺に至るまで、管を通して健康管理されて、どのレベルの欠損まで、完全に修復できるか、調査するために腕や脚を」
「すすすすストップストップ! あの、言えって言っといてなんだが、それ以上はキツイだろ? 俺も聞いててキツイからもっと他の話題にしよう」
「はい」
地獄。それ以上にふさわしい言葉はないだろう。
聖母の愛ですべてを否定できるとはいえ何ヶ月も水中に入れられる孤独や1グラムで人を殺せる青酸カリを百グラム投与される苦しみなど、常人の照光に理解できるわけがなかった。
本当にこの娘を笑顔にできるのか?
照光の夢が一気に遠く離れた気がした。
「やっぱり、その能力は嫌いなんだろ?」
「『愛憎相半ばする』、と言ったところね。能力は嫌いよ。でも持ってて良かったと思うの」
「なんでさ。お前がこんな目に遭った原因だろ? だったらむしろ逆なんじゃないか?」
『能力は好きだが持たなければ良かった』なら分からないこともない。誰も持たないようなものを持てる優越感を味わえるかもしれないが、それが原因で地獄を見る羽目になるからだ。
だが、白心の返答はそんな些細なものを吹き飛ばす意外なものだった。
「これはおそらく、誰も持たないものでしょう。だからきっと、私が持たなかったら、私以外の誰かが持つはず。私以外が高天原に、蹂躙されないで良かったと、常々思うわ」
「つまり、自分が身代わりになれて良かった、ってことか?」
「噛み砕けば、そういうことね」
「……フン! 聖女みたいなこと言いやがって。そんな言葉に俺は騙されないからな」
そう言うと、白心は飼い主に怒られる白猫のように申し訳なさそうにうなだれた。
——……聖女のような美しさ、か。
——中身までそうだったら、もう敵わねえよ。
実は、照光は言葉ではあんな風に言うが、その一面を強く目の当たりにしていたから誰よりも『聖女らしい』と思えた。
会って間もない男に説教に加え頭突きまでかませる女なんてそういない。おそらくあれは努力の意味を履き違えた照光に怒り、そして教えようと思った故の行動で、それこそ聖女が心を鬼にしないとできない行動だ。そして憎く思っているチカラを躊躇なく他人に使おうとする姿勢もその考えを堅固なものにした。
「あなたには謝らなくちゃならない、ことがあるわ」
白心は外の光景から照光の目に視線を移した。
「私はあなたを、巻き込んでしまった」
「ケッ、何を今さら。知ってるぜ、これのことだろ?」
ポケットの中を漁って一枚のハンカチを白心に見せる。
「! そ、れは」
「お前のハンカチだよ」
照光は義手が白心の手に触れないよう細心の注意を払ってそれを渡した。
「全部気づいてるよ。これを俺に渡して暗に助けを求めたんだろ。『私を見つけて。これを置いていくから、助けに来て』ってな」
図星のようだ。ぐっと出かかる言葉を呑み込みうつむく姿からそれは窺えた。
「俺はすっごい怒ってます」
「ごめんなさい」
「それには(今は潰したが)発信機が仕込まれていてな、俺の許に刺客が現れてお前の存在を知ったからってんで追い回される目に遭ったんだぜ? なんとか逃げ切れたけどマジで死ぬかと思ったよ」
これ以上罪悪感など背負わせて笑顔から離れないように肝心なところは隠すことにした。
「ッ、そんなことが……」
相変わらずの無表情だが雰囲気だけはしっかりと申し訳なさそうなそれをまとっていた。無表情で良くここまで表現できるなあ、と的外れな感心をする。
「本当に、ごめんなさい」
「謝ってほしいのはそこじゃねえ」
照光はぐっと眉根を寄せて不満を露わにし、
「なんではっきりと助けを求めないんだよ」
「だって、あなたを巻き込むわけには、……それに、言っても助けてくれるわけが」
「俺は何でも屋だっつったろ。依頼さえあればどんな無理難題だって取りかかってやるっつうの」
解決してやる、と言わない辺りが照光の素直さの表れであり、自信のなさであり、無能の自覚だった。
「……依頼なんてしてないし、あなたが勝手に、押しかけたんじゃない」
「ちなみに取り下げは無理だからな。黙って助けられろ」
ムスッ、と不貞腐れる雰囲気を醸し出されたが照光は鳴らない口笛を吹いて無視した。
……もしかして、だが、目も表情も虚無にして、しかし心は聖女のように清いこの少女がハンカチを置いていけたのは、少女としての最後の人間性を振り絞ったからではないだろうか?
もしそうなのなら、白心は良心と利己の狭間で大いに揺れ動いていたことだろう。
——普通に助けを求めればいいのに。……難儀な奴だな。
チラリと白心を見ると不貞腐れて完全に首を窓に向けてしまっている。その後頭部だけ見れば(白髪だが)普通の少女にしか見えなかった。
「……実は、ハンカチを置いて行ったのは、ある人に言われたから、なの」
「ある人?」
コクン、と白心は白い髪を揺らしながらうなずく。
「施設で唯一、私に優しく、してくれた人。忙しい人みたいだけど、暇を見つけては来てくれて、いつも話し相手に、なってくれた。そしてある日、没収されていた、私のハンカチを渡して、こう言ったの」
白心は一字一字思い出すような調子で、言った。
「『これを持っていたまえ。そして近々ここから出られる日が来るから、その時に自分を助けてくれると思う人に渡したまえ。運が良ければ、君は真に自由となれるだろう』」
その言葉を聞いて第一にこう思った。
なぜその関係者は実験身体であるはずの白心に味方し、逃がそうとしたのか。
残念ながら照光の想像力では答えには到底たどり着けそうにはなく、白心の話に耳を傾け続けた。
「そしたら数日後、この国を包むような、大停電が起きた。私はそれに乗じて、施設を逃げて、路地裏で不良に目を、つけられたところであなたに、助けられた」
「そうだったのか。じゃあ俺も停電のおかげでゴミ掃除の仕事ができて路地裏にいたからそのおかげでお前に会えたってことになるな」
そういうことに、なるでしょうね、と白心がうなずく。
「そんなことがあったんだな。まあ俺としちゃお前が笑ってくれさえすればそれでいいんだがな」
ニシシ、と笑おうとして、
「? 私、笑えないよ?」
一瞬で表情筋が固まった。
「私の『聖母の愛』は、正確には自分があり得ないと思ったものを、消す能力。だから是非を判断する、感情が邪魔だって、施設に矯正された」
つまり。
「感情を、……消されたのか!?」
「投薬でね。私としては、助かったわ。二度と苦しむことも、恥ずかしく思うことも、悲しむこともなくなったから」
冗談じゃない。二度と笑えないということはつまり、
「薬によって能力に、最適化された私はもう、壊れた人形なんでしょうね」
照光の夢が叶わないということではないか。
『アレを真に理解した時、うぬはアレを見捨てようぞ』
忌々しい笑みを貼り付けた戦兵衛の顔と言葉が頭をよぎる。あいつは絶対に叶えられない望みを叶えようと息巻く照光の愚かさに気づいていたのだ。そして、白心の悲運に歯噛みし己の非力さに拳を握って夢を諦める照光を想像して、陳腐な悲劇だとでも思っていたのだろう。
照光は頭は悪いがバカではない。そして思ったことを取り繕わない素直さを持っている。
その素直な心がこう言っていた。
諦めろ。全無能のお前なんかじゃその娘を笑わせられない。
悔しさや不甲斐なさで照光はやはり歯噛みして拳を握る。
普段ならここで素直に諦めてバカではないからその時間を勉強やトレーニングに充てて有効活用していただろう。
でも。
「認めねえぞ、こんなこと……ッ!」
諦めるわけにはいかなかった。
照光は初めて自分に逆らい、白心の双肩に掴みかかって訴えた。
誰のためかも、分からないまま。
「俺はお前を笑わせるって決めたんだ。道化師に生まれ変わって、お前の笑顔を見るって決めたんだ。絶対に、たとえ俺の命に代えてでも笑わせてやるって誓ったんだ!」
戦いの最中に『笑えば幸せになれる』という当たり前のようで誰も知らないことを知った照光は、心から笑って初めて幸せになれた。そしてさらなる幸せのために白心を幸せにして笑顔を見たかった。
それなのに。
その幸せが幻だったなんて。
「こんなの、あんまりじゃないか……」
「それがあなたの、私を助けた理由?」
「そうだ。お前のためじゃなくて俺のためだ。そのためだけにお前は俺に付き合わされるんだ。外道だろう? 卑怯だろう? 残酷だろう? 罵ってくれて構わないぜ?」
シン————と車両の中が静まり返る。ゴウンゴウン、と電車の揺れとこの近くを飛ぶアドバルーンのCM音だけが聞こえる。
今になって思う。照光はただなんの才能もない一般人が儚げな美少女ヒロインを救い出してヒーローになるという勇気や悲壮美に酔いしれたかっただけなのではないかと。ただの自己満足で少女の人生を振り回そうとしているのではないかと。
ヒトの人生を自分のものとする。それは無能であることよりも罪深いことだ。
だが、分かっていたとしても彼女の笑顔を目標————この世界の希望と見出してしまった照光には自制することが果たしてできただろうか。
歪んだ目標を持つ自身と白心を歪ませたこの国への怒りに顔を激烈なものにする。
どんな言葉でも受け入れよう。そう覚悟して白心が口を開くのを待った。
そしたら、
「嬉しい」
予想だにしなかった言葉が飛び出た。
「私はもう、笑顔を思い出すことができない。でも、あなたがそれを、思い出させてくれると言うのなら、私は喜んであなたに、ついて行きます」
「い、いいのか? 笑わせようとする俺の姿がダサすぎて幻滅するだけかもしれないんだぞ? それだけじゃない、自分は笑えないという現実を突きつけられて絶望するだけなのかもしれないんだぞ?」
「いいえ。あなたならきっと、できるわ」
ここで照光は人外の手で白心の肩に手を置いていることに気づき、慌てて離した。白心の様子を見るにどうやら義肢には気づいてないようだ。
「私があなたに、嫉妬していること、覚えてる?」
「そうだ、ずっと聞きたかったんだ。いったい何に嫉妬してるんだよ。こんな最底辺の男のどこに嫉妬してるんだよ?」
「最底辺、ね。もしかしたら、だからなのかもしれないわね」
謎かけなのか言葉遊びなのかよく分からない言い回しに照光の頭は紐に絡まった扇風機の如くこんがらがる。
「教えてくれよ。気になって夜も寝れねえよ」
「それはね、」
白心は人差し指を照光の唇に当て、
「教えてあーげない」
と、いじらしく言った。
その妖艶な仕草が浮世離れした美しさを持つ白心とジャストフィットしていて、図らずも顔が赤くなるのを感じた。
「あなたも私を、助けた理由を、言おうとしなかったから、言わない」
「俺最終的に言ったじゃん!」
「それでも言わない」
プイッ、とそっぽを向いたその後頭部で「これ以上は話さない」と言われ、取りつく島がない照光は仕方なく反対側の窓に目を向けた。
ちょうど午後四時ぐらいだろうか。若干日が低くなってはいるが夏である今はまだ昼のように明るい。
この娘もあの太陽みたいに笑ってくれたら。
そう思って試しに彼女の笑った顔を思い浮かべようとするが、そのためのピースがあまりに不足していて微笑みすら作れなかった。
自分の笑顔なら、いくらでも作れるくせに。
太陽は昇っては下り、また昇る。
彼女の太陽もいつの日か————




